長野市の小学校の自由研究が「自由」じゃない? Twitterで母「自由研究なんだから何でもいいじゃん..」

市教委「体裁が統一されている方が比較、審査がしやすいのでは」

8月も下旬となり、すでに一部の地域では2学期が始まる時期になった。夏休みの自由研究も大詰めを迎えている。

そんななか、長野市内のある小学校の自由研究の発表体裁への違和感を綴った、母親のツイートがTwitterで話題を呼んでいる。

学校が児童に配布した資料=下写真によると、自由研究の専用の用紙をガムテープですだれのようにつなげる形で、発表内容をまとめていく。5枚の用紙をつなげて1列、6枚以上になる場合は、1列4枚にして1列目と2列目をひもでつなぐよう指示。「市内の小学校を巡回するときに利用するもの」として、てっぺんを薄い板で補強し、穴をあけるよう求めている。

Twitterで女性が示した、学校からの自由研究の発表体裁の説明資料
Twitterで女性が示した、学校からの自由研究の発表体裁の説明資料
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この指示内容に、母親はTwitterで次のようにつぶやいた。

「画用紙みたいな規定の用紙に決められた形式でまとめないとダメ。(中略)自由研究なんだから何でもいいじゃん‥」

「工作とか手芸とかだって立派な自由研究なのに何が何でも紙にまとめさせるってどうなんだろう。できることの幅を大きく制限してるとしか思えない。貼り合わせて吊り下げ部分をつけて提出する形式に作り上げるのも実際親が手伝わないと無理だし」

ハフポスト日本版が母親に取材したところ、この小学校では、方眼の目が薄く印刷された、自由研究専用厚紙が1学期末に配られ、自由研究の内容はすべてこの紙にまとめるよう指導されているという。もし間違えたり、たくさんの枚数を使う場合は文房具屋で買う。

3年生まではこの形式を用いず工作だけの出品でも許されているが、4年生以上は工作を提出するにしても、作った経緯や過程はこの形式を用いて説明するという。「周りを見てもノートにまとめた方がいいような旅行記でもこの用紙に書き直している」という。

この母親は、ハフポスト日本版の取材に対し、次のように述べた。

「共稼ぎの核家族が増えて子供の宿題に全力投球できる時間も余裕もない家庭も多いし、テーマを決めてやらせるだけでも夏休みの自由研究は重いのに、自由度が低く子供のやりたいことをストレートにやらせられないのはどうかと思います」

「長期休みに興味のあることをやってみる、というのではなく、見栄え良く掲示するための宿題になっているようで、誰の何のための宿題なのか疑問に感じます」

「プレゼンテーションやまとめの練習になるという意見もあるようですが、それは別にやれば良いことで、自由研究の名目でやることではないと思います」

■体裁だけでなく、テーマの制限も

体裁だけでなく、テーマも限定している学校もあるようだ。同市内の小学校に通う子どもがいる父親はこう指摘する。

「長野市内の学校では、内容はあくまで実験に限るとしているところもあります。文学や旅行記などの国語関係は不可、歴史や地理など社会の研究も不可、動物や恐竜に関する調べ学習も不可、調理実習なども不可で、あくまで理科的な実験に限定している学校もあります」

「そのための道具や機材を買ったり作ったりしなくてはならないので、親の時間や金もかかり、実際はかなり不自由を強いる自由研究というのが実態という小学校もあるのです」

■長野市教委「審査しやすいのでは」

ハフポスト日本版が長野市教委学校教育課の担当者に取材したところ、運用は学校によって違うが、大半はこの用紙を自由研究に使うことになっているという。市教委の担当者は「いつ始まったのかは不明」とした上で、こう話す。

「私が小学生だった30-40年前は模造紙でした。ここからは想像ですが、模造紙だと掲示の横幅がとられるし、ある程度統一した方が指導しやすいのでは」

すだれ状の体裁を求めているのは、提出後の審査で作品ごとの比較がしやすいからのようだ。

「優秀作品は理科教員の研究会などで審査して優秀な作品は他校でも展示される。体裁が統一されている方が比較、審査がしやすいのでは」

保護者が指摘したように、テーマを制限している学校もあるようだ。

「自由研究のテーマを何にするかは学校によるが、3年生より上の学年は、理科関連のテーマにした研究をするよう指導している学校が多い気がします。ただ、この体裁を守っていれば、社会関連がテーマの研究や工作でもOKの学校、工作の場合でもこの体裁は不要としている学校もあると思います」

■「全然自由じゃない」「制約下での表現、学べる」

母親の指摘に対し、Twitterでは様々な意見が出た。

「これは全然自由じゃないし大人の都合」

「教室の掲示に便利なようにという学校側の都合が見えますね」

ーーという声がある一方、

「目的が『評価』だからでしょう。異質なもの同士は評価しにくいが、一定の枠に嵌めれば評価しやすくなるから」

「制約のある決められたフォーマットでどう表現するかとか学べるものもありますね」

ーーという見方もあった。

議論をきっかけに、自由研究の「自由」とはそもそも何か考えさせられる。やる/やらないの「自由」?テーマ設定の「自由」?発表方法の「自由」?

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