難聴、白内障...風疹症候群の女性がTwitterで綴った思いは

「絶望の最中にありながらも、両親は私を光と音の世界へと導いてくれました」
白内障の手術のために入院していた生後3カ月のころ=サクラコさん提供
白内障の手術のために入院していた生後3カ月のころ=サクラコさん提供
@withCRS/Twitter

風疹が流行の兆しを見せている。

国立感染症研究所は8月28日、2018年に報告された風疹の患者数(22日時点)は184人で、現時点で2017年全体の2倍近くまで広がっていると発表した。2012-2013年の大流行に迫るペースという。

ワクチンの定期接種を受けていない30-50代の男性を中心に感染が広がっていることから、感染拡大を防ぐには、「30-50 代の男性に蓄積した感受性者を減少させる必要がある」と、感染研は呼びかけている。

妊娠した女性が風疹に感染すると、胎児も風疹のウイルスの影響を受け、難聴や目の病気を抱えて生まれてくる。これを「先天性風疹症候群」(CRS)と呼ぶ。国立感染症研究所の調べでは、2012-2013年の大流行で、風疹に感染した妊婦から生まれた先天性風疹症候群の子ども45人のうち、11人が亡くなっていたという。

そんな中、神奈川県在住の20代会社員サクラコさんがTwitterに投稿した経験談が話題を呼んでいる。

サクラコさんが生まれたのは、1989年。1987-88年のシーズンは風疹が大流行した年だった。サクラコさんを身ごもっていた母親が風疹に感染し、胎内にいたサクラコさんもCRSに。

生後まもなく「感音性難聴」が判明。いまも片耳が聞こえないために補聴器をつけている。また同じく「白内障」も見つかり、生後3カ月で水晶体を摘出、強度の遠視になり、成人後に眼内レンズをつけるまで特殊なめがねをかけて生活していた。いまも階段の段差や晴れた日の屋外が苦手という。小学校高学年の時には緑内障の診断を受けた。治療を続けているが右目の視野が欠けている。

CRSで生まれてから、どうやって今まで歩んできたのか。サクラコさんが綴ったツイートを紹介する。

■ 風疹と気づかれなかったから生まれてこられた

連番つけておきますね。時系列めちゃくちゃになるかも。(1)私が風疹に感染したのは、1987年を中心とする風疹大流行の時期です。2013年よりもはるかに規模の大きい流行がありました。この時代に妊娠適齢期にあった女性の多くは女子中学生のときに一回しか予防接種を受けていませんでした。

— サクラコ🌸 (@withCRS) 2018年8月27日

「あ、当時は、少し上の接種機会のなかった方々も妊娠適齢期ですね。私の母も風疹に対する免疫をもっておらず妊娠初期に風疹の症状が出ました。誰に移されたかは定かではありません。複数の病院に行ったものの風疹との診断がつかずお医者さんに大丈夫だといわれ、そのまま出産に至りました」

「いま考えると妊娠中に風疹と気づかれなかったおかげで生まれてくることができ幸運だったと思います。今も昔も風疹とわかると障害児が生まれるからと中絶を迫られることがあるのです。私の母も「もし風疹と知っていたら産めなかったかも」といっていました」

「妊娠の経過は順調だったようですが、生まれてすぐに心臓に異常があるということで別の部屋(NICU?)へ連れていかれました。検査をして経過観察のみで良いことが分かりましたが、そのとき母と父はどんな思いでいたのだろう、と思います。生まれた当時のことは今も覚えているそうです...」

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■病気が相次いで判明 ..「どうやって育てれば」

「生まれた数週間後に新たな異常が見つかります。両目が白いのです。あわてて病院に行ったら白内障といわれ「すぐに手術しないと失明する」と宣告されました。生まれたばかりの我が子が手術?全身麻酔で?すぐに手術をと言われましたが、ベッドの空きを待って生後3ヶ月で手術を受けました」

「約1ヶ月の入院中に風疹症候群の疑いが生じて聴力検査(ABR)をすることになります。重い難聴で、片方は全く聞こえていないという残酷な結果が出ました。目も見えない、耳も聞こえない我が子をこれからどうやって育てていけばいいのだろう?私たちに育てられるのだろうか?両親は絶望したそうです」

■光と音の世界へと導いてくれた両親

「目の手術は、濁ってしまった水晶体を取り除くものでした。手術を受けて見えるようになったことで、今まで人形のようだった子が笑うようになったそうです。生後9ヶ月か10ヶ月ごろに補聴器をつけると表情がさらに豊かになった。絶望の最中にありながらも両親は私を光と音の世界へと導いてくれました」

@withCRS/Twitter

「聞こえぬ我が子をなんとかして話せるようにしてあげたいという必死の思いで専門家のもとを訪ね歩いたそうです。聴覚口話法という残存聴力を活用して音声によるコミュニケーション手段を獲得するメソッドで話すためのリハビリを受けました。就学前まで数年続きました」

■ドッヂボールが「地獄」。「友人関係にはかなり苦労した」

「小学校は地域の小学校を選びました。今は重複障害児にも対応しつつありますが当時の聾学校は周りと同じペースで動くことが重視されていたらしく、発達が遅めの私は地域の学校のほうが自分のペースで成長できるだろうという判断でしたが、聞こえないために友達との関係にはかなり苦労しました」

「学校の授業の中で一番苦手だったのは体育でした。人や物の動きがよく見えないうえに、光が眩しくてボールが見えない。特にドッジボールは地獄です。怖くてたまらなかった。運動のセンスがなく、大学までずっと苦手意識が続きました」

■今の私がいるのはつくばで過ごした数年間のおかげ

「一番好きだったのは、小学校のときは国語で、本を読めば読むほど褒められるし、作文で自分の世界を自由に表現できて楽しかった。本好きにするために親が本を読んでいる姿を見せるという作戦を母が実行したそうです。そのおかげでいま日本語の読み書きがほぼ不自由なくできます」

「中学はあまりなじめずにほとんど行けていません。いわゆる不登校です。このあたりは黒歴史なのでそのまま高校にワープします。高校は環境が変わったことがきっかけで登校を再開できました。学校が楽しかったです。中高通してコンピューターが好きでプログラミングも少しかじりました」

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■ 「手話」に出会う

「大学は情報工学を学ぼうとつくばの某聾大学を選びました。ここで手話に出会い、手話を使う自分を再発見しました(と言いつつもいまだに手話が苦手ではあるのですが...)。大学でもいろいろとあったのですが、今の私がいるのはつくばで過ごした数年間のおかげです。ときどき筑波山が夢に出ます」

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■工夫で時短からフルタイムへ「やればできるじゃん」

「卒業後はまた紆余曲折あり大きく遠回りしたのですが、その間に2013年の風疹大流行が起きました。自分ができることをと思い情報発信を始めました。白内障の矯正眼鏡のことを言われるのが嫌でたまらず、思い切って手術を受けたのもこの年です。人生のターニングポイントとなる年だったと思います」

「社会人になってからの最初の壁は、学生時代あまり意識していなかった目の病気でした。短縮勤務でスタートし、大きいディスプレイを貸与してもらったりルーチン作業を効率化したりして工夫を積み重ねて疲れにくい環境を作った結果フルタイムへ移行でき、なんだ、やればできるじゃん、と思いました」

■聞こえる耳があったらと思うことばかり

「耳のほうは、一応、覚悟はしていましたが、会議で他の人が話していることがわからなかっなり、電話ができないためメールでのやり取りのみとなり電話をすればすぐ終わる話がややこしくなったりで、聞こえる耳があったらと思うことばかりです。耳が疲れるので家では補聴器を外して手話を使ってます」

「人生の階段を一歩上がることに障害のためにできないことで人に頼らざるを得ないことが増えていって悔しい思いをすることも多くなりました。一方、聞こえる世界と聞こえない世界、二つの世界が見えるのはすごく面白いとも感じます。これからもこの人生をできるだけ楽しんでいきたいなと思ってます」

■風疹の流行は平成最後の「夏の宿題」

これだけの思いをいま、Twitterで綴った理由について、サクラコさんに聞いた。

2018年になって、麻疹のあとに風疹が流行り出していることを知って唖然としました。2013年に風疹が大流行したときは、11人の赤ちゃんが亡くなっています。あのときと同じことが再び繰り返されることは決してあってはならない。流行を食い止めるために体を張って止めようと決意しました」

「少なくとも平成最後の『夏の宿題』が終わるまでは積極的に発信を続けたいという思いでいます」

■防げるものは防いであげて

「誰かのロールモデルになれるような華々しい人生ではなく、遠回りしすぎてあのときあれをやっておけばという後悔が多々あります。ただ障害のある人生を不幸であるとは感じていません」

「確かにできないことがたくさんあって悔しいと思うこともあります。そのようなマイナスの経験も含めて、他人とちょっと違った特別な人生を楽しんでいけたらなと思っています」

「ただ風疹は防げる病気なのですから、次世代の子供達には、私と同じように、障害があることで辛かったり苦しかったりする思いはさせたくありません。防げるものは防いであげてほしいと思います」

「ツイートを読んで良かった、ツイートを読んでワクチンを打ちに行きましたといってくださる方がいるのがとてもありがたく励みになります。一方で、自費では高すぎてハードルが高いとか、打ちに行きたいけど会社を休めないとかいうような声もいただきました」

「やはり、いくら私が怖い病気だと訴えても、実効性のある対策が伴わなければ実際のアクションに結びつきにくいのではないかと感じます」

■中途半端な行政の対策

「その点、国や自治体の対策は中途半端だと思います。予防接種費用を助成している自治体の多くは、予算不足などの理由で、接種の対象を、妊娠を考えている女性とそのパートナーに限定しています。そうすると助成を受けられる人が限られます」

「また、麻疹や風疹の流行が起きるたびにワクチンが不足するのも問題です。風疹の流行が話題になると、ワクチンを打ちたいという人が急増するので、接種を増やす大チャンスなのにワクチンが足りないということを知って諦めてしまう方もいるのはとても残念で心苦しいです。予防接種を希望する人が皆、少ない費用負担で受けられるようにするべきではないでしょうか?」

「2013年の流行のときに徹底的な対策を取っていれば、今回のようなことは起きなかったはずです。本当に2020年度までに流行をなくす気があるのでしょうか?CRSは防げるのです。防ぐことができるのになんで本気でやらないのだろうかと疑問に思います」

風疹は、2回のワクチン接種で防げる。ただ、接種が完全でない年代もある=下の図参照。

風疹含有ワクチンの定期予防接種制度と年齢の関係(2018年8月1日時点)
風疹含有ワクチンの定期予防接種制度と年齢の関係(2018年8月1日時点)
国立感染症研究所の資料から

国立感染症研究所は、風疹の予防接種の対象として次の人たちをあげている。

・30~50 代の男性で風疹にかかった経験がなく、接種していないか、接種歴が不明の場合

・妊娠前の女性

・妊婦の周囲の者

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