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2018年09月12日 19時45分 JST | 更新 2018年09月21日 09時44分 JST

ボコ・ハラムに拉致され、妊娠させられた女性たちの苦難

帰還しても、地域社会からは軽蔑の眼差しを向けられる

「家に帰った時、父は私を見ようとしませんでした。赤ちゃんの頃からずっと私の面倒をみてくれた人なのに。父が私を拒絶している......私の心は打ち砕かれました」

クルさんは3年間、イスラム過激派組織ボコ・ハラムに拉致・監禁された。ボコ・ハラムはナイジェリア北東部で活動する、アフリカで最も残虐な武装勢力として知られている。

クルさんは2017年に救出され、家族と再会することを望んだ。しかしクルさんはすぐに気づいた。他の拉致された若い女性たちと同じく、自分に降り掛かった厳しい試練はまだ続いており、彼女が待ち望んでいたハッピーエンドにはほど遠い状況だと。

2014年4月、ナイジェリア北東部のチボクにある学校から、女子生徒276人が拉致された。クルさんと彼女の妹もその中に含まれていた。この拉致事件は世界中に知れわたり、有名人や政治家が支援に乗り出し、「#BringBackOurGirls(私たちの少女を返して)」という運動が広がり、ナイジェリア政府に少女たちを奪還するよう強く求めた。この運動は2018年2月、東部のダプチで110人の生徒が学校から拉致された時に再び盛り上がりを見せた。

世界中で行動を起こすように求める声が上がったが、拉致された少女たちは何か月もの間、場合によっては何年もの間行方不明なので、メディアの関心は薄れていった。解放されて家に帰れたとしても、その後少女たちが直面する先行きが不透明な将来には、ほとんど目が向けられなかった。

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ボコ・ハラムに拉致された女性アイシャさん

帰還を祝う集いを開いてもらえることもなく、少女たちの多くは拒絶され、ひどい虐待を受けた。ボコ・ハラムに拘束されていたほうがましだったと当人が思うほどひどい虐待もあった。「あまりにもひどくて、自らボコ・ハラムの元へ戻っていった女性もいます。女性たちは、基本的に自分しか頼るものがありません。何も持っていないのです」と、紛争予防に携わるNPO「インターナショナル・アラート」のシンディ・チュンゴング氏は語った。

長い捜索を経て、軍が生存している女性たちを発見しても、彼女たちは厳しい尋問や検査を受けなければならない。こうした手続きは、女性たちがボコ・ハラムの過激思想を受け入れていないかを確かめるために行われる。

しかしチュンゴング氏によると、解放された女性たちの多くは検査をクリアしたかどうかにかかわらず、今もなお暴力の象徴とみなされるという。そして、ボコ・ハラムの信奉者になったのではないかと見られる。決して、被害者とは見られない。「こうした女性たちが戻ってくると、自分たちが殺されるのではないかと恐れるのです」と、チュンゴング氏は語る。

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ボコ・ハラムに拉致されたキンギミさん

帰還した女性たちの大半は治安が悪化している地域の出身なので、国内避難民(IDP)のキャンプに場所を与えられる。女性たちは孤独で、日々差別に直面しているという。チュンゴンさんによると、食事すら支給されないこともあるという。「彼女たちが配給の列に並ぶと叩かれ、平手打ちされ、侮辱されます。彼女たちの子どもも、同じような扱いを受ける」と、チュンゴンさんは語った。

キンギミさんは、ボルノ州の州都マイドゥーグリの避難民キャンプに来る前は、3年間ボコ・ハラムに拘束されていた。キャンプでは「ボコ・ハラムの妻」とか「アンノバ(疫病)」と言われる。キンギミさんは、「人々は私を疫病神のように扱って避ける。ですから私はひとりぼっちだと感じますし、絶望しています。彼らを非難することはしません。私だって自分が恐ろしいときもありますから」と、キンギミさんは語った。

クビリさんはまだ14歳だが、ずっと人を避けている。「私たちは、自分がボコ・ハラムから逃げてきたことを隠そうとしています。人々に知られて、差別されないようにするためです」と、クビリさんは語る。

帰還した女性たちは周囲の他人から疎まれるだけでなく、女性たちの家族や夫からも疎外される。コドマさんは北東部のマインティで拉致された。4人目の子どもを出産してわずか1週間後のことだった。「私は7か月間拘束され、結婚させられたボコ・ハラムのメンバーから陵辱を受けていました。私が応じない時は、縄で縛られ、容赦なく殴打されました。自分の子供たちと脱出できたのは幸運でした」と、コドマさんは振り返る。

コドマさんが避難民キャンプにたどり着いた時、幸いにも夫と再会できた。現実はともかく、少なくともコドマさん自身は幸運を感じていた。3週間後、コドマさんが強姦されたことによって妊娠していることがわかると、夫はコドマさんを住処から追い出した。「夫が私たちに会うことはありませんし、支援物資も全く送ってくれません」とと、コドマさんは嘆いた。コドマさんは、兄弟からも拒絶されたという。

こうした例はコドマさんに留まらない。ブヌさんは、妹以外の家族全員がボコハラムに殺害された。唯一生き残った妹を拒絶する理由を、彼はこう説明する。「彼女を受け入れることはできません。避難民キャンプ周辺で彼女を見かけても話しかけられないのは心が痛みます。でも、周囲の人々に何を言われるかわかりませんから」

ボコ・ハラムに拘束されていたときに強姦された女性たちは、その大半が避妊できず、避けようのない結末を迎える。そして女性たちは、二重の汚名を着せられる。ボコ・ハラムと関係したという汚名と、過激派の子どもを持つという汚名だ。

「村落の人々は、子どもにはボコ・ハラムの『悪しき血』が流れていると信じています。成長すればその子どもも過激派になるから、面倒を見てはならないし、一緒に遊んでもいけないと信じているのです」と、チュンゴング氏は言う。

25歳のジュマイさんは、キャンプに到着して間もなく妊娠が判明した。「毎日泣きました。(妊娠により)ひどい頭痛がしました。食べることも眠ることもできませんでした。重い鬱になってしまったのです」と、ジュマイさんは語った。

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「被害者は非難にさらされます。強姦された女性に非があるとされ、軽蔑される。男性は非難されません」と、チュンゴング氏は言う。

ハビバさんと18歳の娘ラディさんは、ともにレイプ被害者だ。「周囲の人は、私たちが経験した苦しみを全く理解してくれません。私たちは、嘲りの対象なのです」

家に帰ることが精神的に耐え難く、ボコ・ハラムの元に戻った女性もいる。「彼女たちは、『ボコ・ハラムでは少なくとも誰かの妻でいられるし、使用人もいる。ある程度は敬意を払ってもらえる。私の悪口を言う人はいない』と言うのです」と、チュンゴング氏は指摘する。

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ボコ・ハラムに拉致されたラディさん

チュンゴング氏は、状況がさらに複雑になることを懸念している。「地域の情勢は今なお厳しいのに、2019年に総選挙が予定されていることから、候補者たちは治安が安定することを望むだろう」

人道支援団体は、当局が身代金を支払い、ボコ・ハラムと協力して和平が回復したようにとするのではないかと危惧している。

しかし、治安が回復したとはとても言えない。チュンゴング氏は、僻地の農村地帯では毎週のように拉致事件が起きていると指摘する。「実際に何人拉致されたのか、誰も把握できません。通信手段のない地域で拉致が発生しているので、何週間、時には何年も経ってから、家族が都会に来た時に行方不明であることを申告するからです」

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ナイジェリアとボコ・ハラムの戦いは9年目を迎える。チボクの少女たちや、その他の地域で拉致された人たちには、どのような未来が待っているのだろうか。インターナショナル・アラートは、現在拉致された女性たちがいる難民キャンプや村落で、彼女たちの名誉を回復させ、家族を失った女性たちに地域社会の中で新しい結びつきをつくる社会復帰プログラムを実施している。

プログラムによって、拉致された女性たちの生活に変化は起きているが、それで話は終わらない。「こうした女性たちが社会復帰しても、突然生活が好転するわけではありません。この地域でやるべきことは数多くあります。世界でも最も貧しいこの地域に目を向け続けないといけません」と、チュンゴング氏は語った。

ハフポストUK版より翻訳、編集しました。