福原愛さん、選手だったことは「子供に内緒。温泉卓球でいきなりスマッシュしたい」

引退会見を開きました。
福原愛さん
福原愛さん
時事通信社

卓球の福原愛さんが10月23日、東京都内で記者会見を開き、現役を引退すると発表した。「皆様にお伝えすることができて、晴れやかな気持ちです」とにこやか表情を見せた。

3歳9カ月から卓球を初めて約26年間。一番印象に残っている瞬間を尋ねられると、全日本選手権での初優勝、メダルを取ったロンドンとリオ五輪をあげ、「表彰台から見えた景色や、メダルをお見せしてた時に、喜んでいるみなさんの笑顔です」と答えた。

全日本選手権は特に思い入れが強く、「ずっと日本国内で勝つことができなくて、毎年他の方が優勝した時に、家族がとても残念がっていました。やっと優勝することができて、みなさんに堂々と日本代表、五輪代表と自信を持って言えるようになったので、一番嬉しかったです」と打ち明けた。

また、子供が卓球をするのを望んだ際の対応については、「本人が選んだ道なら全力で応援します」と断った上で、「本人にバレないうちは、卓球選手だったことを内緒にしたいと思っています。小学生ぐらいに温泉卓球に行って、いきなりスマッシュして、何でお母さんできるのということをやりたい」と願望を語った。

主な一問一答は、次の通り。

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Q:今の気持ちはいかがですか。

A:選手生活を一区切りつけると発表して、お疲れ様と言われて、すごく気持ちが楽になりました。皆様にお伝えすることができて、晴れやかな気持ちです。

Q:リオ五輪後の2年間は、どのような気持ちの変化がありましたか。

A:毎日のように気持ちが変わりました。やっと決まったと思っても、1週間経ってあれ違うと思って悩み続けたが、自分中心ではなく、一歩引いて卓球界のことを考えたら、今回のような答えがストン出てきて、その後答えが出てからは変わることがありませんでした。やっと自分が考え抜いた決断ができました。

Q:家族に相談はされましたか。

A:母には小さいころからやるもやらないもあなた次第と指導されたので、自分で決断した後に報告しました。主人には、毎日のように自宅で練習しようかなやめようか、どうしようかなと、独り言のように聞いてもらっていたので、最終的にこの答えを出した伝えた時も、そうなんだと受け入れてくれました。

Q:26年間の活躍で印象に残っている瞬間は。

A:初めて全日本選手権で優勝した時に表彰台から見えた景色、ロンドン、リオでメダルをとってみなさんにお見せした時、喜んでいるみなさんの笑顔です。

A:卓球を通じて学んだことは。

Q:3歳9月から卓球をして、今繋がっている全ての人が卓球で知り会いました。たくさんの人に支えて、育ててもらいました。全てです。

Q:小さい頃から注目をされ続けて、大変だった部分は。

A:逆に私の周りにいる方たち、家族や親戚が、私のせいで行動範囲が狭くなってしまったり、周りに迷惑をかけた部分が多いと思うので、その時は辛かったですが、それ以上に試合に勝った時はすごく喜んでくれました。

Q:泣き虫愛ちゃんと呼ばれていましたね、あと時の自分に声かけるならどんな言葉をかけますか。

A:あの時は泣き虫愛ちゃんと呼ばれて、泣き虫じゃないもんと思ったことが何度もありましたが、最後のリオ五輪も泣いていたし、やはり泣き虫だった。今も泣き虫愛ちゃんだよって言いたいです。

Q:後輩へのメッセージは。

A:選手として、一区切りつけようとしたきっかけが、私が選手として卓球界を盛り上げなくてもいい思ったことです。何も心配しなくていい、持ち前のパワーで引っ張っていって欲しいです。

Q:今後の卓球への関わりは。

A:ブログでも書きましたが、生涯卓球に関わる卓球人。先輩に受け継いだことを後輩に伝えたいです。卓球の新しいリーグ「Tリーグ」が開催されるので、必要としてくださるなら、貢献できること何でもしたいです。

Q:妹、娘として愛されてきました。国民の皆様にメッセージをお願いします。

A:小さい頃から、日本中の皆様に応援していただき、愛ちゃんと呼んでもらい、たくさんのパワーをいただきました。コートに立つことはないかもしれないが、いただいたパワーを別の形で卓球やスポーツ界に貢献していきたいので、よろしくお願いします。

Q:どうやって貢献したいと考えていますか。

A:指導したことがないので、しっかり勉強していきながら色々な道を考えたいです。

Q:指導者としては、いつごろを考えていますか。

A:周りから必要される指導者にならないといけないので、そうなった時に考えたいです。

Q:引退はいつ決めましたか。

A:5月にはじわじわと考えが出てきて、しっかりと言葉にして誰かに伝えるのに勇気が必要で、時間がかかってしまいました。

Q:子供が卓球やりたいと言ったら、どうされますか。

A:本人が選んだ道なら全力で応援します。でもバレないうちは内緒にしたい。学校の温泉卓球に行って、いきなりスマッシュして、何でお母さんできるのという感じにしたい。(バレるまでは)卓球できるのはお父さんだけとしたいです。

Q:印象に残った瞬間に全日本選手権をあげたのはなぜですか。

A:ずっと日本国内で勝つことができなくて、全日本優勝がとても難しいことでした。毎年他の方が優勝した時に、家族がとても残念がっていたので、やっと優勝することができて、みなさんに堂々と日本代表、五輪代表と自信を持って言えるようになったので、一番嬉しかったです。

Q:表彰台の景色はどうでしたか。

A:家族やスタッフが喜んでくれる姿を見て、本当に頑張ってよかったと思いました。

Q:東日本大震災の後も被災地を訪問されていました。福原さんの活躍が宮城や仙台の人に前に進む力になりました。メッセージをお願いします。

A:出身地でもあるし、お世話になりました。地元に帰った時に、本当は私がパワーを渡さないといけない立場なのに、私の方がパワーをもらうぐらい応援してくれたので、感謝の気持ちでいっぱいです。

未だに何ができたのかは自信を持って言えないのですが、自分のプレーヤ気持ちが少しでも被災地の皆さんに届くことができたらと思いながらプレーしました。もちろん、勝ってメダルを見せるということもそうですし、100パーセントの思いで愛ちゃんがプレーしていると思ってもらえるようなプレーを心がけました。

Q:競技を離れてしたいことはなんですか。

A:目標ではないですが、小さい頃から母に卓球を教えてもらって、母と一度もダブルスを組んだことがないので、組んでみたいです。それから、主人の父も卓球をしているので、ミックスダブル組んでみたいです。

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