もう半世紀、本屋さんで働いてきました。 そんな僕が紹介する1896年の名作。

《本屋さんの「推し本」》大垣書店・井上哲也の場合。

14歳、中学2年の時からアルバイトで書店で働きはじめた。

半世紀近く本屋さんに関わっている事になる。

思い起こせば、最初に勤めた今は無き老舗書店の社訓は「私達は、知識の伝達者です」であったなぁ。

かつて本屋さんは、「街のホットステーション=人の集まる社交の場」であったし、本は娯楽の王道だった。

現在は、様々な娯楽の多様化にもより、某大手出版社社長の言葉を借りると、

「書店に一年間で一度も足を運ばない人が過半数、読書は娯楽では無く、道楽」

だそうだ、やれやれ。

そんな時代であればこそ、何時でも何処でも気軽に読める本を手に取って貰い、読書の楽しみへの足掛りにして頂きたい。書店員として、そんな風に思っている。

昔から、「何かお薦めの本はありますか?」

と、尋ねられたら、先ず紹介する本がある。

ジュール・ルナールの『博物誌』(新潮文庫:岸田国士訳)である。

「書を捨てよ、町へ出よう」と言ったのは寺山修司だったが、たとえ町に出ようとも、私は何時でもこの本を持ち歩きたい。

開いたどのページからも、至福の時間が約束されているからだ。

博物誌といっても自然科学の本ではない。並ぶのはこんな言葉だ。

「蛇―長すぎる」

「蝶―二つ折りの恋文が、花の番地を捜している」

「あぶら虫―鍵穴(かぎあな)のように黒くぺしゃんこだ」

「驢馬―大人(おとな)になった兎(うさぎ)」

今から100年以上前の1896年に執筆された本書は、小説家や画家など、多くの芸術家たちにも愛され、彼等に刺激を与え、創作の幅を膨らませて来た。

時代を経ても一切古びる事のない、ユーモアとウィット、エスプリに富んだ含蓄あふれる本なのである。

そして挿画はピエール・ボナール!

竹久夢二にも影響を与えた印象派の走り、ナビ派の巨匠である。何と贅沢なコラボレーション!

どのページから読んで頂いても、いずれの掌編もあなたの気分をほぐし、癒してくれること間違いなし!

ぜひ、通勤・通学のお供に携行して頂きたい一冊である。

(実は『博物誌』には岩波文庫版もあり、こちらは辻昶の訳で、挿画はロートレック!!どちらを選ぶか迷うところです)

斜陽などと言われ、若い方々の本離れが進むこの時代。だからこそ、もう一度、本の力を信じたい。そして読書を楽しむ幸福な時間を、一人でも多くの人達と分かち合いたい。

そんなことを思いながら、今日も私は、店頭に立つ。

連載コラム:本屋さんの「推し本」

本屋さんが好き。

便利なネット書店もいいけれど、本がズラリと並ぶ、あの空間が大好き。

そんな人のために、本好きによる、本好きのための、連載をはじめました。

誰よりも本を熟知している本屋さんが、こっそり胸の内に温めている「コレ!」という一冊を紹介してもらう連載です。

あなたも「#推し本」「#推し本を言いたい」でオススメの本を教えてください。

推し本を紹介するコラムもお待ちしています!宛先:book@huffingtonpost.jp

今週紹介した本

『博物誌』(ジュール・ルナール)

今週の「本屋さん」

井上哲也/ 大垣書店豊中緑丘店(大阪府豊中市)

どんな本屋さん?

井上さんが勤める「大垣書店豊中緑丘店」は、豊中市の丘の上に位置するイオンモールの中にあります。ある出版社の営業さんによると、周辺地域のお客さんに合わせて選んだ品揃えの中にも、「一人一人の書店員さんのこだわりの選書を感じる書店さん」とのこと。中でも、井上さんがセレクトしているミステリー文庫の棚は、定番モノから他店ではあまり置かれていないものまでがびっしり並び、おすすめなのだそう。「大垣書店さんのシンプルでシックなブックカバーが個人的に好きなのもあり、ついつい何かを買いたくなってしまうお店です」

撮影:橋本莉奈(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
撮影:橋本莉奈(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

(企画協力:ディスカヴァー・トゥエンティワン 編集:ハフポスト日本版)

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