映画『ギャングース』に上映延長を望む声相次ぐ 「裏稼業に走るしかない」若者たちを描いた傑作

「この映画の中では、アウトローであることが単に『かっこいい』こととは決して描かれない」
©2018「ギャングース」FILM PARTNERS©肥谷圭介・鈴木大介/講談社
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裏社会で生きる少年たちを描いた入江悠監督の映画『ギャングース』が、反響を呼んでいる。12月13日時点で上映を終えた劇場は多いが、上映拡大や延長を望む声はTwitterに少なくない。

同作は、裏社会で生きる少年たちが犯罪集団だけを狙う窃盗行為「タタキ」をしながら生きていく様をスリリングに描いたエンターテイメント作品だ。

同時に、雑誌『モーニング』で連載された同名漫画を原作にした実写映画であり、高杉真宙、加藤諒、渡辺大知など人気と実力を兼ね揃えた若手俳優たちが繰り広げる青春の物語でもある。これだけ聞けば、過去にたくさん作られてきた映画のひとつと思うだろう。

しかし、この映画はそれだけではない。サイケ(高杉)、カズキ(加藤)、タケオ(渡辺)という3人の少年たちが、なぜ「タタキ」をしていかないと生きていけないのか。その背景や理由を描いていて、それが現実とつながっているために、社会性のある作品になっているのだ。

©2018「ギャングース」FILM PARTNERS©肥谷圭介・鈴木大介/講談社

『ギャングース』の主人公たちは、それぞれに家庭の事情や虐待、いじめなどから、やむをえず罪を犯して罪を犯して少年院に入っていた人物たちだ。

少年院を出たあとにも身寄りはなく、廃バスを寝床に共同生活をしながら、生きるために裏稼業に従事する。なぜなら、彼らには身分を証明するものがなく、正業には就けないからだ。

これまでも、裏社会で生きる少年たちを描く作品はあっても、その主人公たちが「アウトロー」になってしまった理由は、生きている中で感じるやるせなさを社会にぶつける、という意味などが強かったと思う。

©2018「ギャングース」FILM PARTNERS©肥谷圭介・鈴木大介/講談社
©2018「ギャングース」FILM PARTNERS©肥谷圭介・鈴木大介/講談社

経済的な要因や家庭環境などももちろん関係はしているが、例えば1980年代、尾崎豊が歌詞の中でバイクを盗んだり、校舎の窓を割る描写があるのは、貧困というよりは、自己のアイデンティティからくる、ぶつけようのない苛立ちのほうが理由として大きかったのではないか。

しかし、2018年の日本は、1980年代後半とは比べ物にならないほどの格差社会に突入している

『ギャングース』の登場人物、金子ノブアキ演じる詐欺組織の番頭・加藤は劇中、組織の人間にこんな言葉で早口でまくし立てる。

「日本は今絶賛長期不況中、子供の相対的貧困率13.9%、これはおよそ7人に1人の割合だ、めちゃくちゃ多いぞ。日本列島では224万人の子供が貧困状態、さらにひとり親家庭の貧困率は50.8%、OEなんとかDの調査によると、マジで世界でもトップレベルだ。貧乏でも頑張って勉強して勉強して勉強して大学行こうと思っても、奨学金が返せねえと裁判で訴えられてしまう」

この内容は、フィクションの中に限ったものではない、実際の日本のデータなのである。

劇中、サイケ達は、「タタキ」で十分なアガリを得たら、腹いっぱい牛丼を食べることを夢見ている。

映画を見終わると、観客である私たちも牛丼が食べたくなってしまうのだが、考えてみると、牛丼は日本の外食産業の中でも、おいしくて腹が満たせて、そして安いものの象徴とされてきたものだ。値段の変動はあるにせよ、今でも並盛は300円程度である。

その牛丼を最大の「ご褒美」としていて、普段はそうそう食べられない世界が、この映画では切実に描かれているのである。

Sunphol Sorakul via Getty Images

そのうえ、この映画は、少年や子供の貧困を描くにとどまらず、詐欺組織の上層部ですら、貧困の負の連鎖の中にいることも示唆している。では、怒りをむけるべき相手は何なのかという気持ちにもなってくる。

『ギャングース』は、「フィクションだから」とわかりやすさにふらず、こうした現実的な貧困を詳細に描いていた。これには、原作の漫画が鈴木大介によるノンフィクション書籍『家のない少年たち』を原案にしているということもある。

ちょうどこの連載「フィクションは語りかける」でも、タイの映画『バッド・ジーニアス』を紹介した。この作品は『オーシャンズ』シリーズを思わせるハラハラドキドキのカンニングシーンが見もののサスペンスだったが、同時に格差社会や学歴偏重社会についても描いていた。現実とも接続しているという意味では、『ギャングース』と『バッド・ジーニアス』は同じ匂いがある。

©2018「ギャングース」FILM PARTNERS©肥谷圭介・鈴木大介/講談社
コピーライト:©2018「ギャングース」FILM PARTNERS©肥谷圭介・鈴木大介/講談社

私がこの作品を信頼できたのは、サイケ達は単に「お金を得て贅沢をすること」を目指していたわけではない点にある。

さらに、彼らは目標の金額に届いたときには、ちゃんと住所を持ち、身分を証明して正業で働き、ここから抜け出すことを夢見ていた。

「アウトローの世界で自分を認めてもらいたい」という動機は一切なく、「そうしないと生きられない」状況が描かれているのだ。下の世代で貧困に悩む子供には、教育をちゃんと受けて欲しいと切実に願っている様子も描かれている。

この映画の中では、アウトローであることが単に「かっこいい」こととは決して描かれないのである。

サイケ、カズキ、タケオは、ここまでの苦境に生きながらも、それぞれの知恵を出し合い協力して、そこからなんとか抜け出そうとしている。そして、その中でちゃんと信頼関係を得ている描写があるからこそ、この映画がどんなに過酷な状況を描いていても、青春映画としても楽しめるのだ。

【UPDATE 2018/12/16 17:30】本文中の一部表現を修正いたしました。

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