あの人のことば
2018年12月14日 09時31分 JST | 更新 2018年12月15日 16時58分 JST

“不平等な現実”を乗り越えるには? 世界的な哲学者ジュディス・バトラー氏が語った5つのキーワード

個人主義を乗り越え、暴力や差別をどう克服すればいいのか

Kaori Sasagawa
明治大学で講演するジュディス・バトラー氏

ジェンダー理論で知られる著名なアメリカ人哲学者のジュディス・バトラー氏が12月11日、明治大学(東京千代田区)で講演した。

『ジェンダー・トラブル』の著者であり、カリフォルニア大学バークレー校教授のバトラー氏。現代社会を考える上で重要な思想家の来日講演とあって、会場のホールは満席。バトラー氏の思想への関心の高さがうかがえた。

差別や暴力など世界が抱える問題を克服し、すべての人がよき生を生きられるような方策を精緻な文章で綴り、果敢に言論活動を行ってきたバトラー氏。日本の私たちが参考にできること何か。不平等な現実とどう向かって行けばいいのか。

「一定の命が、他のものより執拗に守られている」と語りかけた90分間の講演の一部を紹介。5つのキーワードを読み解いていく。

1.命の大切さは平等ではない。不平等な現実がある。

この日の演題は『非暴力・哀惜と個人主義批判』。

バトラー氏は、まず"不平等な現実"を指摘した。非暴力、命の大切さを考えるとき、人は誰もが平等でなければならないが、現実はそうではない。

「ある一定の命が、他のものより執拗に守られているという、"不平等な現実"がある」

命が失われることを損失であると感じること。その"哀惜可能性"が人によって異なるとして、哀惜可能性における不平等な分布に気づくべきだと指摘した。

2.個人主義は依存しない男性像。しかし人は1人では生きていけない。

そして、17世紀の経済学者のマルクスやイギリス人哲学者のホッブズなどの唯物論的な思想に見られる、自己充足的な個人像に寄って立つ個人主義的な世界観を批判した。

「そのようなモデルに見られる個人は、誰にも依存せず1人で立っている男性として表象される」

「男性は依存性の欠如と規定され、世界は依存したことのない個人が前提となっている。女性は男性をサポートする存在であり、あらかじめ個人から排除されている」

ここにジェンダーの非対称性が存在していると指摘した。

実際には、人は誰も1人だけでは生きていくことはできない。

「通りに沿って歩くために歩道というサポートする道具が必要なように、人は誰も自分だけで移動したり、呼吸したり、食事したりすることはできない。人はすべて相互依存して生きている」

現実の私たちは、それほど個人化された存在ではない。"相互依存"を平等の条件として受け入れることで、非暴力が可能となるのではないかとバトラー氏は指摘した。

3.非暴力とは戦争論理の否定である。

さらに、グローバルで普遍的に守られるべき倫理や義務について、以下のように説明する。

「非暴力とは戦争論理の否定である。なぜなら戦争は守るべき命とそうでない命を分けるものであるから」

バトラー氏は、日本がヒロシマ、ナガサキの経験を教訓に非暴力的な政治スタンスを長年続けてきたことを評価。万人の命を守る平和主義的な政治を維持することは重要だと語った。

4.命のために、グローバルで守られるべき義務がある。

また、難民や移民、戦争によって翻弄される人、セクシュアルマイノリティなど、命が失われることを損失と思われていない状況の人たちを守ることは、グローバルな倫理的な義務であると続けた。

「このようなことを言うと"どうしてグローバルな義務、グローバルな倫理など信じられるのか"、"現実的でない"、"ナイーブすぎる"という人がいる」

「しかし、そのような人に逆に問いたい。"誰もグローバルな義務を信じないような世界に生きたいと思うか?"と。ほとんどの人はノーと答えるだろう」

5.非暴力は希望。将来の平等性は想像できる。

そして、未来への希望を感じさせる言葉で講演を締めくくった。

「将来の平等性は想像できる。想像力は重要である。そのためには、現状の社会的・政治的な制約を超えて考える必要がある」

「非暴力を現実的ではないと考えることは、希望への能力の喪失である。それは現在の思考の地平の先に存在する」

Judith Butler(ジュディス・バトラー)

1956年、アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランド生まれ。10代の頃、両親の書棚でスピノザとキルケゴールに出会い哲学に傾倒。ヘーゲルを研究し1984年イェール大学より博士号(哲学)を授与される。現在、カリフォルニア大学バークレー校修辞学・比較文学科教授。著書に『ジェンダー・トラブル』などがある。

1980年代後半よりフェミニズムをポスト構造主義的に捉え直す試みを行っており、従来のフェミニズムにありがちな硬直的な論理を、構築的に解釈しなおす「パフォーマティビティ論」で注目される。これは、繰り返し行われることによって物事の本質が最大公約数的に規定されると同時に、繰り返しが生むズレや綻びによって(本質は)変化しうる流動的なものであるというもの。

レズビアンであることを公表しているバトラー氏は、このズレや綻びといったパフォーマティブな撹乱行為によって異性愛中心主義を克服できると考えている。

(文:宇田川しい、編集:笹川かおり)