亭主関白の父にカミングアウト。返ってきた言葉は…。レズビアンのふたりが結婚するまで

勇気が必要だった。でも今、幸せな時間を過ごせるのは家族が支えてくれたから
大方なつみさん、土屋朝美さん提供

東京・渋谷のミニFM局「渋谷クロスFM」のスタジオ。月曜日の午後7時、大方なつみさんは、マイクに向かって話しかけた。

「Colourful Style Cross。メインパーソナリティー、なっちです」

向かいの席に座っているのは、もう一人のMC、ASAMIさんこと土屋朝美さんだ。番組の途中、大方さんがリスナーからのメッセージを読み上げる。

「地方住みの(LGBT)当事者です。自然な出会いがないんですが、なっちさんとASAMIさんはどこで知り合ったんですか?」

大方さんと土屋さんは、女性同士のカップル。共通の友人宅での集まりで出会った時、大方さんは19歳、土屋さんは27歳だった。

出会ってから1年半後に付き合い始め、2015年に早稲田大学の学園祭で公開結婚式を挙げた。

今は「セクシュアリティのことで悩んでいる子供のために力になりたい」と、ラジオやSNSで発信を続ける。

ふたりとも、自分をレズビアンと認識したのは10代の時。他のLGBTの若者たちと同じように、親へのカミングアウトは勇気が必要だった。だけど今、結婚して幸せな時間を過ごせるのは、家族が支えてくれたからだとふたりは話す。

ふたりのカミングアウトの裏には、どんな物語があったのかーー。母子家庭で育った大方さんと、亭主関白の父をもつ土屋さんの結婚までの歩みを紐解いてみよう。

■ 家族へのカミングアウト・大方なつみさんの場合

Jun Tsuboike

「女の子が好き」と、大方さんが気づいたのは、17歳の時。アルバイト先で出会った女性の先輩に惹かれた。その先輩に告白された時は、今までに味わったことのない、ドキドキする気持ちを感じた。それから何人かの女性と付き合ううちに、「自分は女性が好きなんだ」と確信するようになった。

母親にカミングアウトしたのは18歳の時だ。

両親は、大方さんが小学生の時に離婚している。母は美容師をしながら、1人で大方さんを育てた。

中学生の頃は何度か母と衝突したけれど、時間をかけて母は少しずつ娘を理解してくれるようになっていた。しかしカミングアウトした時に母から返ってきたのは拒絶の言葉だった。

「何言ってるの。どうせ10代の女の子同士の火遊びでしょ」

ショックだったけれど、大方さんは諦めなかった。

「いつか受け入れてくれると信じていました。いや、信じたかったのかもしれません。絶対認めてくれると思って、お母さんと向き合おうと思いました」

土屋さんと付き合うと報告した時にも、母は良い顔をしなかった。しかし、ふたりの同棲生活を知るうちに、硬かった態度が徐々に和らいでいく。

2015年に、ラジオのパーソナリティーをすると報告した時には「自分のやりたいようにやりなさい、お母さんは応援するよ」と言ってくれた。

一方、父にカミングアウトしたのは、土屋さんとの結婚式の直前だ。

両親の離婚後、父とは何年も会っていなかったが、土屋さんと付き合う頃には家族の仲は改善し、父がふたりの部屋に遊びにくることもあった。

しかし父は、大方さんと土屋さんの関係に全く気づいていなかったという。「結婚式をする」という報告を聞いて放心状態に。「言葉が出てこない状態でした」と大方さんは振り返る。

そんな父から、結婚式が終わった後に再び電話があった。

「『お父さんも色々調べたんだけど、あれか、LGBTって言うのか?』って聞くんです。カミングアウトはショックだったようですが、娘を理解しようと、色々調べてくれたんですね。それがとても嬉しかった」

■家族へのカミングアウト・土屋朝美さんの場合

Jun Tsuboike

土屋さんは両親と妹の4人家族で育った。

土屋さんは小さい頃から、優しくていつも自分の味方になってくれる母が大好きだった。その母が、肺がんで「余命わずか」と告げられたのは、土屋さんが26歳の時だ。

最後の時間を一緒に過ごしたいと、土屋さんは実家に戻り、父と妹と一緒に看病した。母の看病がきっかけで、一緒に過ごす時間が多くなり、家族の距離が縮まったと土屋さんは振り返る。

何より大きかったのは、妹にカミングアウトできたことだろう。

「仲のいい妹に、嘘をつきたくない」と思った土屋さんは、自宅に戻る車の中で思い切って「実は女性が好きなんだ」と打ち明けた。

「妹は『気づかなくてごめんね』って泣いてくれたんです。一緒に泣きながら帰りました」

母にも伝えたかったけれど、体の負担になってはいけないと思い、言わずにおいた。そして亡くなった後に、手紙に書いて棺の中に入れた。「天国で読んで欲しい」と思ったから。

問題は父だった。

土屋さん曰く、父は亭主関白タイプ。怒ると怖いし、座ったまま母に「お茶」と言う父が「小さい頃はすごく嫌いでした」と土屋さんは話す。

母の看病をきっかけに、父との距離は縮まったが、それでもセクシュアリティのことは、父には一生言えないと思っていた。

そんな土屋さんの背中を押してくれたのは、妹だった。

大方さんとの結婚式が決まった時、「父に言えない」と渋る土屋さんを、妹は「絶対大丈夫だから」と勇気付けてくれた。

重い足取りで、大方さんと一緒に実家に向かった土屋さん。 説明している間、恐ろしくて、ほとんど顔を上げられなかったという。

「何言ってんだ」と雷が落ちるのでは、とビクビクしていたが、かけられたのは思いもしなかった優しい言葉だった。

「『ああそうだったのか、そっちの方が落ち着くのか?』って父は言ってくれたんです。本当は、すごく驚いたと思うんです。でも全く顔には出さず、『お前も色々大変だったんだな、2人でこれから頑張っていけよ』って言ってくれて。めちゃくちゃ泣きました」

もう一つ、その時に父が口にした忘れられない言葉がある。

「『今の日本では、同性婚とかはまだできないけれど、いつか絶対できる日が来るから。その時は俺が改めて結婚式やってやるから』って言ってくれたんです」

それまでも、大方さんも旅行に誘ってくれていたが、カミングアウトした後は、妹夫婦と大方さんと土屋さんを、毎年一緒に家族旅行に連れていってくれる。

■結婚式を挙げて、変わったこと

「12月24日夜、渋谷のColourful Style Crossの放送にて」
Jun Tsuboike
「12月24日夜、渋谷のColourful Style Crossの放送にて」

早稲田祭での公開結婚式は、ラジオへの問い合わせがきっかけだった。

「結婚式を挙げる企画があるんだけど、LGBT当事者で結婚式を挙げたいカップルはいない?と聞かれたんです。でも大勢の前で顔を出して結婚式をしたいというカップルを見つけるのは結構難しくて」

あまり時間がなかったこともあり、「自分たちでよければ」と手を挙げた。2015年は、渋谷区と世田谷区で同性パートナーシップ条例が始まった年だったので、結婚式は意義のあるものになる予感がした。

式は本当に感動的だった、とふたりは振り返る。特に1.5次会には、家族や友人、仕事で一緒になった人たちのほか、幼馴染のお母さんまで来てくれた。

10代の頃、娘のセクシュアリティを拒絶していた大方さんのお母さんは、「今度なつみが結婚するの」とあちこちの親戚に電話をかけていた。おかげで、予想していなかった親族も来てくれたそうだ。

「人生を支えてくれた大切な人たちがたくさん来てくれて、嬉しいサプライズがいっぱいありました」

大切な人たちの前で結婚式を挙げたことで、ふたりで一緒に生きていこうという意思が固くなったという。「家族になるってこういうことかと感じました」となつみさんは話す。

ウェディングドレスを着替た2人(ブライダルハウスTUTU青山で撮影)
ブライダルハウスTUTU青山
ウェディングドレスを着替た2人(ブライダルハウスTUTU青山で撮影)

周りの人たちに対する姿勢も変わった。

「それまでは、カミングアウトする時『この人は大丈夫かな』と人を選んで話していたんです。でも結婚式を境に『この人は、言っても受け入れてくれないかな』とは思わなくなりました」

「誰に対しても嘘はつかないようにしよう、自分のものさしで相手を量らないようにしようと思うようになりました」

もう一つ、将来をより具体的に考えるようになった。

「前から子どもが欲しいという気持ちはあったんですけれど、より現実的に考えるようになりました」

できれば、子どもを作りたい。そのための計画を練っている。

精子は友人のゲイの男性が提供すると言ってくれているそうだ。1人ずつ産んで、4人家族が理想。「まずは年上の朝美が先に産んで、それから私かな」と大方さんは話す。

大勢の人たちに祝福されて結婚式を挙げたが、大方さんと土屋さんは女性同士なので法律上の結婚はできない。

異性のカップルと同じように、法的に結婚が認められるようになることは、家族を作る上でとても大事なのだと大方さんは話す。

「一番不安なのが病院です、いきなり倒れて意識がなくなった時、『家族じゃないから面会できません』って言われたらと考えるとすごく不安です。それに何より、他のカップルと平等な立場にいたいという気持ちがあります」

「あと、法律の後ろ楯があるかないかが、子育てに大きく影響すると思うんです。『お前のところのお母さん2人いるの?』って言われた時に、法律上で結婚できるようになっていれば、『それは変なことじゃないんだよ』と言えるから」

■周りのサポートに感謝

Jun Tsuboike

「一緒に料理してご飯を食べる日常の時間が、一番幸せ」。今の幸せな生活があるのは、周りの支えが大きいとふたりは口をそろえる。

大方さんは、これまで友人にカミングアウトして、「気持ち悪い」と言われた事は一度もなかったという。みんな「そうなんだ」と普通に受け止めてくれた。「でも結局、朝美は朝美、なつみはなつみだよね」と。

「すごく恵まれたなと思います。それが少しずつ自信になって、私は私でいいんだと思えたと思うんですよね」

土屋さんも、家族に支えられているという。

「お母さんの看病をしている時に、妹が受け入れてくれたことが、私の中ではすごく大きかったんです」

最近、ふたりのこれまでの物語が一冊の本になった。その際に、2歳の子どもがいる土屋さんの妹が、Instagramにこんな投稿をした。

「母になって、性の多様性について子どもにしっかり伝えて生きたいなと思いました」

「人を好きになる事に、男も女も関係ない。娘が大人になる頃には、それが普通になっていたら嬉しい」

「私にとって、レズビアンの姉やなっちがいる事はとても幸せな事なのです」

「世の中には、受け入れてくれない人もいると思うんです。だけど味方がいてくれるというのが一番大事。それがあれば幸せです」と、土屋さんは微笑んだ。

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大方なつみさんと土屋朝美さんのストーリーは、LGBT当事者とその家族、15名の赤裸々な半生を綴ったインタビュー集『LGBTと家族のコトバ』でも紹介されています。

LGBTと
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著者:LGBTER(エルジービーター)

日本最大のLGBTインタビューWEBメディア。セクシュアルマイノリティ当事者、家族、アライを含めたライフストーリーが掲載されている。これまでの取材数は300名を超え、現在も続く。

出版社:双葉社