「おっぱい右翼」だった。10年前、新米パパの自分はなぜそうなったのか

乳腺炎になった妻と私の“母乳”の話
哺乳瓶をくわえる私の息子(ガラケー撮影)
哺乳瓶をくわえる私の息子(ガラケー撮影)
Ayuko and Ryan Takeshita

母乳こそ、愛である

私は「おっぱい右翼」だった。子どもが生まれたばかりの約10年前のことだ。

おっぱい右翼とは、産婦人科医の宋美玄さんから教えてもらった言葉である。母乳はすばらしい、母乳こそ愛である、と主張する人たちだ。

逆に「おっぱい左翼」とは、母乳も粉ミルクも同じだ、という合理主義者。母乳の良さを強く信じ込んでいる人たちをどこか軽蔑している。どちらも極端だという意味では、政治の世界のウヨクとサヨクに似ているかもしれない。

長男が生まれてしばらくたったとき、妻が乳腺炎になった。乳房が石のようにコリコリになり、熱が出た。乳腺がつまり、なかなか母乳がでない。このまま悪化すれば切開手術が必要。私たち夫婦はパニックになった。

原因はなんだ?

原因はカレーだ。カレーを食べてはダメだ。脂っこいものや乳製品を口にすると治らない。私の耳には、たくさんの人からそのような様々な「情報」が入ってくる。妻に伝えて良いかどうかも分からない。

こんな情報もあった。

ある都市のマンションの一室に、「ゴッドハンド(神の手)」を持つ女性がいて、そこでマッサージをしてもらえれば乳腺炎が治るという。

今となっては不思議だが、私たち夫婦は信じて、訪ねた。畳の部屋。黄色い照明。ショートカットの中年女性。その女性の手にかかると、妻は安堵した表情になった。確かに、ラクになるというのだ。

私たち夫婦を見つめる息子
私たち夫婦を見つめる息子
Ayuko and Ryan Takeshita

粉ミルクに切り替えた

その後、乳腺炎は良くなったり悪くなったり。最後はどんどん悪化し、妻は切開手術をして、母乳をあきらめて粉ミルクに切り替えることにした。

初めて粉ミルクを長男にあげようとした時のことは、今でも忘れられない。

長男は口を真一文字に閉じて哺乳瓶を振り払い、妻の乳房に向けて手を伸ばしたのだ。まるで、それがないと「自分は生きていけない」と両親に伝えるように。

妻は泣いていた。母乳をあげられない自分は母親失格だ、と。

リベラルな妻が右翼に

妻はどちらかといえば合理主義者だ。今風の言葉で言えば、フェイクニュースには絶対だまされない。それに、リベラルだと思う。

でも、母乳を失った自分を許せなかったらしい。妻も私も「右翼」になっていた。私たちは母子が一体となるように見える「母乳」を、それが人類の正しい伝統であるかのように思っていた。粉ミルクなんて邪道だ、と。

一人でお座りができるようになった息子
一人でお座りができるようになった息子
Ayuko and Ryan Takeshita

「ベスト・オブ・ベストの育児」を求めてしまう

「母乳には母乳の良さもあります。もちろん粉ミルクにもメリットがあります。育児はそれぞれの事情が違うのに、どうしても私たちは『ベスト・オブ・ベスト』を求めてしまうのです」

「おっぱい右翼」について教えてもらった、宋先生に取材をするとそんな言葉が返ってきた。

「特に出産直後はみんながナーバスになっている。だから自分とは違うスタイルで子どもを育てている人が気になったり、相手が『間違っている』と思い込んだりしてしまうのです」

確かにそうだ。私たち夫婦にとって長男は初めての子ども。失敗は許されないと思っていた。だからこそ「右翼」になり、「神」にもすがった。

育児は政治問題

2016年の「保育園落ちた日本死ね!!!」。1本のブログから、育児や保育は政治問題になった。

子どもを保育園に入れられず、そのために仕事に復帰できない女性や男性はまだまだ多い。そんな人たちに対して、「女性は家庭に入って、子どもの面倒を見ないといけない」と主張する人もいる。

子どもが熱を出したとき、やむを得ず会議を抜けて「お迎え」に向かう男性や女性たちがいる。周囲の目を気にして、申し訳なさそうにオフィスを出るのも現実だ。

政府は2019年10月、消費税率を10%へ引き上げる。増収分をつかって、「社会保障を充実させる」と主張しているが、本当に子ども達や育児中の親のための政策を考えているのか。

おっぱい一つとっても、「右翼」と「左翼」に分かれている日本社会。本当にみんなで助け合いながら育児ができるのか。

karimitsu via Getty Images

カレーが大好きな10歳

私の息子は粉ミルクですくすくと育ち、現在、少し体重が多めの10歳の男の子になった。ちなみにカレーが大好物だ。

子育ての「先輩」である私たち夫婦に、たまに友人や親戚が聞いてくる。

「母乳派でしたか?」「粉ミルク派でしたか?」

私はいま、どちらの気持ちもわかる。「母乳こそすべてだ!母乳がないと愛情を子どもに注げない」と過剰に思ってしまうのもわかる。

だって、育児は大変だもの。みんな必死だもの。データやファクトが大切なのは分かるけど、データやファクトだけだと、泣きじゃくる赤ん坊の前では役に立たないのだ。

ファクトと意見は違う

取材の最後、宋先生はこんなことを私に伝えてくれた。

「大事なのはファクトと意見を区別すること。『母乳は〇〇だから良い』『粉ミルクはこんなメリットがある』というファクトがあったとしても、「だから、他の人もやるべきだ」には繋がらない。自分にとって『真実』だったとしても、相手に強制するべきものではない。淡々と冷静な議論が出来る社会になって欲しいと思います」

宋先生と森戸やすみ先生の共著『らくちん授乳BOOK』(内外出版)には、そんな冷静で「中道」の育児の知識があふれている。

右も左も

育児は、比較的多くの人にとって身近なものだ。同じ政治の話題でも、外交やマクロ経済とは違う。何より、誰もが一度は子どもだった。だから、経験がある。だから、何か言いたくなる。

自分が経験していること、信じていること。それとは「違う価値観」がある。

その育児の不思議さを私たちが乗り越えたら、世界各地の政治の現場で起きている「右」や「左」や、「自国主義」や「他国協調」の対立を乗り越えるヒントがあるかもしれない。育児は試金石だ。子どもを持つ人も、持たぬ人も。私たち全員が試されている。

「子どものじかん」を話そう

ハフポストは、特集(カテゴリ)「子どものじかん」を新しく始めます。これからの子育てや教育について会話する場を作っていきます。

カリスマ保育士のてぃ先生 ▶ エッセイストの紫原明子さん ▶ 結婚せずに子育てする櫨畑敦子さん ▶ 都会で"大家族ごっこ"をする徳瑠里香さん ▶ 幼児教育に取り組む19歳の冨樫真凛さん ▶ ゼロ高を立ち上げた内藤賢司さん ▶ 「拡張家族」で子育てする神田沙織さん ▶ 渋谷で子育て支援に取り組む神薗まちこさん。

多様なバックグランドの人たちが、「子どものじかん」を一緒に考えてくれることになりました。

子どもたちの間に流れている「時間」。その中に飛び込んでみると、せわしない大人の社会とは違った未来が見えます。

電車で泣く赤ちゃんの姿が当たり前になるように。ハッシュタグ #子どものじかん で、みなさんの声を聞かせてください。

注目記事