千葉の小4死亡、逮捕の母に「逃げる」選択肢はあったのか。子連れでDV夫から逃れた女性が明かす被害の実態

「逃げる」「守る」という行動をとるために必要な判断力とエネルギーを、確実にゆっくりと目に見えない形で奪っていくのがDVなのだ。
画像はDVのイメージです
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Getty Commercial

千葉県野田市のマンションで小学4年の栗原心愛さん(10)が父親の勇一郎容疑者から虐待を受けて死亡した事件。夫からドメスティック・バイオレンス(DV)を受けていたとされる母親のなぎさ容疑者の逮捕は、同じDV被害経験者に衝撃を与えている。

「十分な食事を与えていなかった」「一緒に叱責した」「娘が暴力を振るわれていれば、自分が被害に遭うことはないと思った。仕方がなかった」

なぎさ容疑者の供述とされる報道が連日相次ぐ。一方、SNSでも「子どもが頼れて甘えられるのは母親だけだったのに...」「なぜ子どもを連れて逃げなかったのか」など、母親を責める声が上がる。

だが、身体や心への暴力によって、ゆっくりと自尊心や自信が蝕まれれば、「逃げる」という当たり前の判断ができなくなる。DV被害を経験したある女性のケースを見てほしい。

都心から車で3時間ほどの場所に子どもたちと暮らすマキさん(仮名)は、2度の結婚生活で夫からDVを受けた。今も元夫から身を隠して生活する中、「被害の実態を知ってほしい」とメールでの取材を引き受けてくれた。

「別れる選択肢はないと思っていた。経済的にも、子どもたちのためにも・・・」

最初は、小さな暴力だった。引っかかれたり、腕をひねられたり。10年かけて、徐々にエスカレートしていった。夫が激昂するスイッチが入るのは、マキさんが「別れ」をほのめかす言葉を口にした時だった。アザが残るほどの力で腕を掴まれたり、投げ飛ばされ、首を締められたりもした。でも、暴力の後は何度も謝ってくれた。

「自分も親のせいでこうなってしまった。2度としない。必ず治すから...」。マキさんは、その言葉にすがった。

大卒で専門職の夫は、優しくて家庭的なタイプに見えた。職場でも「愛妻家」として知られていた。でも実際には、高卒のマキさんをバカにして、家計の管理も任せてもらえなかった。

「学歴もスキルもない。車の免許も、パソコン、テレビすらなかった。子どもが生まれたばかりで、経済的な心配も大きかった。夫の改心を期待するしかない状況でした」(マキさん)。子どもには父親が必要だ、という気持ちも強かった。

捕まれた腕がアザになるとか、爪で引っかれたりは小さな暴力だとしか思っていなかったし、友達にも隠していました。

恥ずかしかったです。

別れる選択肢はないと思っていたので。

経済的にも、子供達の為にも(マキさんとのメールより)

経済的にも心理的にも追い詰められ、「逃げる」という選択肢は浮かばなかったという。DVに気付いた友人に助けられて家を出た時は、「大袈裟じゃないのか」とさえ思っていた。

2度目の結婚は、モラル・ハラスメントから始まった。

「味噌汁、具が多いね」「野菜の皮は捨てるタイプ?」

最初は意味が分からなかった。「贅沢だね」という遠回しな嫌味なのだと気付いたのは、しばらく経ってから。やがて、豹変した。

再婚したばかりなのに...という恥ずかしさ、小さな子を連れて逃げる難しさ

マキさんが「最優先」と考えていたのは、子どもたちのことだった。できるだけ父親たちから遠ざけた。

子どもたちは何が起きているのか理解していなかったようだ。「どうしてお父さんはこんなことをしたの?」と質問する子どもたちに、マキさんは「もうしないよ。謝ってたよ」と夫をかばった。一方で、激昂する夫の目に触れないよう、包丁を隠したりもした。

「矛盾していた」と、今なら思う。でも話し合おうと思えば、はぐらかされる。反論すれば激昂する。普段は優しく見える夫が、いつ激昂するかと思えば身動きも取れない。

逃げようと考えたこともあったが、現実に子どもたちを全員連れて逃げるのは難しい。通報しようとしたのがばれて、携帯を取り上げられたこともあった。無力感しかなかった。

やはり恥ずかしいのはありました。

再婚した途端で。

逃げられる気がしなかったです。(マキさんとのメールより)

マキさんが初めて自己主張できたのは、ある人の紹介で繋がった専門機関のカウンセリングの場だった。どうしたいのか聞かれ、言葉に出していいのか迷った末、「できるなら逃げたい」と小さく答えた。

「もし昔に戻れるなら、いつ逃げ出せばよかったと思いますか?」

メールを介しての取材中、こんな質問をすると、マキさんからはこう返信がきた。

「生まれてきた子どもの命を否定することに繋がる気がして、どの時点でどうしたら良かったのか、ということは今も考えられません」

必要なタイミングで、必要なサポートに出会えたから、マキさんの現在がある。

「逃げるか逃げないか」ではない「逃げられるか、逃げられないか」。その境界線は、適切なサポートにたどりつけるかどうかだったりする。

なぎさ容疑者は約10年前に勇一郎容疑者と結婚。心愛さんが生まれた数年後に一度に離婚したが、2017年ごろに再婚し、間もなく次女(1)が生まれた。勇一郎容疑者からは、「お前は無能だ。何もできないバカだ」といった暴言、殴るなどの暴力、電話やお金の使い方を管理されたり親族や友人との連絡を禁じられたりするDVに遭っていたと報道されている。

なぎさ容疑者に「逃げるべきだった」と後から言うのは簡単だが、マキさんは「冷静な判断力が残っていたとは思えない」と言う。

「逃げてもまた連れ戻され、1才の下の子を抱えて身寄りのいない千葉に転居。『逃げ道がない』絶望や恐怖を想像すると・・・。逃げられないほど追い詰められて、加害者に加担してしまう被害者の負の連鎖。この構図に目を向けるべきではないでしょうか。スキルや経済的余裕のある実家などの逃げ場がなければ、逃げるのはとても難しいです」

「私が逃げられたのは、本当に、ただのラッキーだったと思います」

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