不妊治療の末に授かった赤ちゃん。出ないおっぱい。ボクたちが経験した「産後うつ」

村橋ゴローの育児連載「ワンオペパパの大冒険」02

39歳で始めた、不妊治療。2年もの辛い治療を乗り越え、妻がついに身ごもった。妻はそのとき、すでに41歳。生まれてくる子は、奇跡の子だ。

そして妻は、無事健康な男の子を生んでくれた。これが映画ならエンドロールが流れるころだ。しかし現実には、新たに重たい問題が出てきただけだった。それが子育てだった。

赤ちゃんとボク
赤ちゃんとボク
村橋ゴロー

義母が"命がけ"で赤ちゃんの世話をする理由

子どもが生まれてすぐ、長崎県島原から妻の両親が我が家にやって来た。育児の手伝いのためで、滞在期間は1カ月。2LDKの我が家に、5人暮らしはさすがにきつい。

そのため我が家から徒歩5分ほどのところにあるウィークリーマンションを、義両親のために1カ月借りた。それでも寝る時間以外、つまり朝8時から夜8時までは我が家にいるわけで、5人での共同生活がはじまったのだった。

そして気付いたのだが、義母の様子がおかしい。まるで何かに取り憑かれたように、孫の世話をしていた。

まさに「執着」「命がけ」といった雰囲気が見て取れ、「あら赤ちゃん、かわいいでちゅね~、ばあばでちゅよ~」の真逆にあった。それはなぜか? 実は、妻にはお兄ちゃんがいた。「いた」というのは、不幸なことに生後3日ほどで亡くなってしまったのだ。

義母からしたら孫である男の子は、亡くなった我が息子の生まれ変わりに見えたに違いない。「今度こそ、死なせるものか」、そう深く深く念じていたのだろう。そのため義母は鬼気迫る思いで、孫の世話をしていたのだ。

おっぱいが出ない。こんなとき父親はどうすれば

それぞれの深い愛を注いでの育児だったのだが......まったく上手くいかなかった。まず妻のおっぱいの出が悪い。これには妻も相当悩んだようで、義母のレクチャーを受けながら来る日も来る日も乳をもみ、しぼっていた。

これには男であるボクには、どうしようもできない。そしてこんなとき、男はあまりにも無力だ。42歳にして、授かった我が子。神様から突然、「きょうからアンタ、この子のパパだから。よろしく」と言われたようなもの。いきなり「父親」になったのだから、何をどうしていいかなんて、さっぱりわからない。人類誕生以来、すべての男たちがあたふたして、なんとか父親のマネごとをしながら徐々に様になっていったように、ボクもそれにならうしかない。

一方の女性だって、はじめての子育てに、そりゃ不安だらけだろう。よく男性の子育てで「おっぱいには敵いませんよ」なんてセリフがあるが、逆にいえば、母乳を託された女性はそれだけプレッシャーを感じるだろう。

自分の好きなオンナが、いま目の前で苦しんでいる。当然、ボクにできることはない。「がんばって」や「大丈夫?」といった言葉をかけたって、そんなものは何の意味もない。ただ「この現状から逃げちゃダメだ」と自分に強く言い聞かせた。「好きなオンナが苦しんでる。だから俺が逃げちゃダメだ。ふたりで乗り切るんだ」と。

「おっぱいを飲んでくれないのは私が悪い」

やがて妻はネットで検索したのか、区が子育て支援の一環で実施している母乳教室に通うようになった。それでもおっぱいは出なかった。

加えて、赤ちゃんがおっぱいを飲むのが下手というか、やっとの思いで母乳が出ても上手く飲んでくれないのだ。そのため赤ちゃんは慢性的な便秘になってしまった。

「私のおっぱいの質が悪いから、赤ちゃんは飲んでくれないんだ。だから便秘になっちゃうんだ」と、妻は次第に自分を強く責めるようになり、日に日に表情が暗くなっていった。

妻は高学歴な上に、仕事も一生懸命こなす努力家だ。しかし、努力してもうまくいかない育児に人生初の挫折を覚えたのだろう。どんどんと暗くなり、まったく生気がなくなっていった。

受験や仕事はひとりで戦ってきたのだろう。でも、育児はひとりで戦う必要はない。彼女はとてもマジメな性格ゆえ、「すべてをひとりで」抱え込むくせがある。しかし、いま彼女が悩んでいるのは、母乳だ。ボクは「一緒に戦おう」という決意だけはあるものの、手の出しようがないから、余計に歯がゆかった。

アレルギーによる食事制限

さらに、赤ちゃんが赤いのだ。「赤ちゃんなんだから赤くて当然だろう」と思われるかもしれないが、目の周りにほっぺ、口の下、背中にお腹と、ただれたように赤い発疹がとにかく目立つ。

アレルギーで発疹が目立つ赤ちゃん
アレルギーで発疹が目立つ赤ちゃん
村橋ゴロー

産院に相談したところ、アレルギーだと診断された。まだ生後間もないため可能性も含め、「小麦粉・卵・大豆・乳製品・いもアレルギーの恐れあり」と。妻はミルクと母乳・半々で育てていたため、妻にも食事制限がかかった。

実際にやってみてわかったのは、「小麦粉・卵・大豆・乳製品・いもを食うな」と言われたら、マジで食べるもん何っっにもないということ。ラーメン・うどん・ピザ・スイーツ何にも食べられません。味噌汁だって飲めない。肉や魚を焼き、塩コショウで味付けする。妻はそれをまるで機械のように口に運ぶのみ。

この時期から、妻は表情すら失っていた。

あんなにやさしくて明るかった妻は、育児に足踏みし、子どもはアレルギーになり、それでも育てようと奥歯を噛む毎日。まさにすべてを赤ちゃんに捧げていた。

妻の意思を尊重したかった

ちなみに「母乳・ミルク半々」と決めたのは、妻自身だ。理由はわからない。育児に対する妻なりの考え方があるのだろう。「キツイ食事制限があるのならミルクだけで育てればいいのに」という意見もある。しかし、当時のボクは、「ミルクだけにしたほうが、りえちゃんもラクなんじゃない?」など意見しようとは1ミリも思わなかった。それだけ母乳は、女性にとって聖域であるし、男のボクが口出しするなんて考えられなかった。何よりも、妻の意思を尊重すべきだと考えたからだ。

そんな妻に、さらなる追い打ちが。赤ちゃんが妻にだけ、まったくなつかないのだ。本当の地獄は、ここからだった。――それについては、また次回。

親も、子どもも、ひとりの人間。

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