現在、約300万人のシリア難民が暮らすトルコ。多くはシリアに近い国境地域で避難生活を送っていますが、トルコ内務省によると、イスタンブールにはイラクやアフガニスタンなどほかの国からの難民も含め約46万人が住んでいます。未登録の難民がいることを考慮すれば、実際は50万人以上と推定されます。
しかし、仕事や生活の向上を求めて大都市にやってきたものの、職を得るための競争が激しく生活コストもかかることなどから、多くの難民が苦しい立場に陥っています。
AAR Japan[難民を助ける会]は昨年10月からこうした都市難民への支援を始めました。
活動しているのはイスタンブール郊外のエセンユルト地区。昨年からシリア難民が急激に流入し、今ではその数は9万人以上にのぼるとみられます。
戸別訪問で必要不可欠な情報を伝える
トルコ政府はシリア難民の流入に対応するため、2015年に『難民一時保護制度』を導入しました。
この制度に登録すれば、シリア難民もトルコで医療や教育などの公共サービスを無料で受けることができます。
しかし難民登録センターにはアラビア語の通訳がほとんどおらず、難民は登録のプロセスや必要書類などについての情報が理解できていません。さらにイスタンブールでは警察署で登録が行われますが、申請者数が多いために8ヵ月以上もの待ち時間が必要とされます。
このため、イスタンブールに暮らす多くのシリア難民が一時保護制度に登録することができず、公共サービスを利用できない状況です。また、登録した難民でも、トルコ語が話せないために十分なサービスを受けられません。
こうした状況を改善するため、AARは一軒ずつ家を訪問し、イスタンブールで難民が受けられる公共サービスや難民登録方法などについての情報を伝えて回っています。またトルコの法律などについての専門家による説明会も行っています。
1年前にアレッポから逃れてきたハメド・マジドさん(61歳)は、近所の家を訪ねているAARのチームを見かけ、電話で問い合わせたといいます。「とても礼儀正しいシリア人の青年や女性が丁寧に説明してくれたよ。私は一時保護制度に登録しているから、無料で医療サービスを受けられると教えてくれた。どうやったら受けられるのかについても教えてくれたんだ」。
弁護士による法律の説明会にも参加したというハメドさん。「AARはいい仕事をしている。とても助かるよ」と話してくれました。今年4月までにAARは803世帯を戸別訪問し、情報提供しました。
難民の住む家を一軒一軒、ボランティアたちが訪問しています(2017年2月7日)
戸別訪問を担っているのはエセンユルト地区に暮らすシリア難民から選ばれたボランティア。学生や医療関係者、起業家、ウェイターなど背景はさまざまですが、皆、地元のシリア難民が置かれている状況をよく理解しています。
「自分の住むコミュニティを支えたいと思った」というハナ・タレブさん(48歳)はシリアではドイツの航空会社でマネージャーを務めていました。またニブラス・ナジャールさん(31歳)は日本学の修士号を持っていて流ちょうな日本語を話します。
ニブラスさんはこう言います。「トルコで暮らすうち、仕事をクビにならないように体を売っているシリア難民の女性たちがいることに気づきました。もうこういうことは終わりにしたいんです」。
ボランティアたちは、戸別訪問しながら最も困窮している人たちを見つけ出す役目も担います。単身女性の世帯や、高齢者、障がい者、慢性的な病を抱える人、また学校に行けなかったり、虐待、児童労働、若年結婚といった危険に晒されたりしている子どもたちです。
AARはこうした人たちに対しては個別に支援活動を行っています。
ハナ・タレブさんはシリアでも食料配付などのボランティアをしていました(2017年5月15日)
「支援は私の人生をすっかり変えた」
アレッポから3年前に逃れてきたハナ・モハマドさん(41歳)は生まれつき歩くことができません。
今は母と兄、義理の妹、甥、姪と暮らしています。工場で働く兄がたった一人で6人家族の生活を支えており、ハナさんの一切の身の回りの世話は家族がしていました。苦しい生活とハナさんの介護に悩んでいた家族は、近隣住民からAARの噂を聞き、連絡しました。
AARはまず理学療法士を派遣。ハナさんにどんなニーズがあるかを判断し、15日後には車いすを提供しました。
ハナさんは言います。「車いすは私の生活に大きな変化をもたらしました。今は一人で外出できるんです」。
また理学療法士は、腕の筋肉を強化するためのエクササイズをハナさんに教えました。「おかげで自分でできることが増えました。AARのサービスを受けて本当によかったです」。自分で描いた絵を見せながらハナさんは微笑みました。
シリアでは絵画や英語を習っていたというハナ・モハマドさん。絵のテーマは「生命、戦争と正義」です(2017年5月10日)
公務員だったアベド・アブデュラさん(38歳)は故郷のアレッポで砲撃により妻を失い、病気で高齢の母と息子とともにレバノンに逃れましたが、レバノンでの生活は苦しく、トルコに移りました。
しかし、シリア以外の第三国からトルコに入国した難民には一時保護制度に申請する権利がなく、アベドさん一家は行政サービスを利用できませんでした。
アベドさんはゴミ箱からゴミを拾い集めて売り、そのわずかな収入で母と息子を養っていましたが、そのうち母は後から合流した娘と遠い親戚のもとに身を寄せ、アベドさんと息子はほかのシリア人男性たちと安宿で暮らすことになり、家族はバラバラになりました。
AARはそんなアベドさん一家がまた一緒に暮らせるよう、アパートの1ヵ月分の家賃と保証金を提供しました。また、昨年末に一時保護制度が改正され、第三国からの入国者にも適用されることになったことから、一家が制度に登録する手助けをしました。
さらにAARが持つトルコ当局やほかの団体との繋がりを通じて、アベドさんが仕事を見つけられるよう支援しています。
「AARの支援は私の人生をすっかり変えました。私たちの言うことに耳を傾け、気にかけてくれる人がいると知るだけで、安心できるんです」。アベドさんはこう話しました。
AARはこれまでに、272人を個別に支援しました。活動を開始してからAARには、エセンユルト地区の難民人口の約40%にあたる、困窮する世帯についての情報が寄せられました。
長期にわたる持続的な活動が必要とされているここイスタンブールで、AARは難民の生活の改善に取り組んでいきます。
ゴミ箱から食べ残しをあさることも。「イスタンブールの物価は高くて生活が苦しいです」(2017年5月10日)
※シリアの政治状況に鑑み、登場する方々やその家族に不利益の生じないよう、仮名を使用しています。
【報告者】
トルコ事務所 柳澤カールウーロフ朋也
2015年3月から現職。スウェーデンの大学院を卒業後、政策関係のコンサルタントを経て2014年10月にAARへ。長野県出身