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2018年05月22日 10時50分 JST | 更新 2018年05月22日 13時16分 JST

栗城史多さんと旧知の登山家「彼は登山家ではなく、山を対象とした表現者だった」

ウーマン村本、古市憲寿氏も追悼

 21日午後、8度目のエベレスト挑戦中だった登山家・栗城史多(くりき・のぶかず)さん(35)が亡くなったことがわかった。

 1982年、北海道生まれ。身長162cm、世界に挑戦し続けた小さな登山家の物語が始まったのは2004年のこと。登山歴はわずか2年、初の海外渡航で無謀とも思える北米大陸最高峰のマッキンリーに挑み登頂に成功。翌年1月には南米大陸最高峰のアコンカグア、その4か月後にはヨーロッパ大陸最高峰のエルブルースを制覇した。その後もアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ、オセアニア大陸、南極大陸の最高峰も制覇、登山を始めてわずか5年で世界六大陸最高峰の登頂を成功せる偉業を達成した。

 そんな栗城さんが登山スタイルは、たった1人で登るという異色なもの。通常2〜30人のサポートを必要とするところを"単独登頂"にこだわり続けてきた。単独であるがゆえに危険も多く、常に死と隣合わせの挑戦が続いた。そして栗城さんが目指してきたのが、世界最高峰のエベレストだった。

 2009年秋、過酷といわれる時期を選んでエベレストに初挑戦。しかし体調不良となり7750m地点であえなく断念、エベレストの"洗礼"を受けた。登山家として、初めての挫折だった。

 2012年、4度目のエベレスト挑戦ではさらなる試練が訪れる。経験したことのない強風により、8070m地点で断念。なんとか下山できたものの、重度の凍傷によって9本の指を失うという深刻なダメージを受けた。

 それでもエベレスト登頂を諦めず、2014年には再びチャレンジを決意。その調整も兼ねたブロードピーク(8000m級)の登頂に成功、「指を失ってから辛いこといっぱいあったけど諦めなくて良かったです」と、涙ながらに語った。翌2015年、満を持して"神々の頂"に再び挑戦したが、やはり8150mにたどり着いたところで生命の危険を指摘され断念することとなった。

■事務所担当者「口癖のように"生きて帰ります""執着しないというのを心掛けている"と」

 「何かに挑戦するということは、成功・失敗、勝ち・負けを超えた世界が必ずあるということです。しかし、挑戦そのものを否定してしまえば、成功も失敗も何も得ることはできません。その否定という壁を冒険の世界を通して少しでも無くし、応援し合う世界に少しでも近づきたい」。

 栗城さんのホームページには、そんな言葉が綴られている。たった一人で酸素ボンベを持たずに登頂、その模様をネットでライブ中継、そして過酷なルートの選択。難所をクリアする様子を撮影し、また戻って機材を回収。危険を伴う、いわば"ショーアップ"とも言える手法に、登山家たちからは批判的な声があったのも事実だ。

 なぜエベレストに挑み続けるのかー。昨年、AbemaTV『AbemaPrime』に出演した栗城さんは、「山の魅力を一言で言うと、うまくいかないということ。人間は成功することが素晴らしいと考えるが、自然は本来うまくいかないことばかり。そこに向き合って学ぶということ。登れた山より、登れなかった山の方が思い出深い。子どもに対して、大人はすぐに"無理だ"と言う。失敗は怖い、挫折はかっこ悪い。その"否定の壁"をぶち壊したい」と語っていた。

 「頂」に向かって悪戦苦闘する自らの様子をリアルタイムで共有することで、"否定"という壁をなくし、一歩踏み出す人を増やしたい。そんな考えから、その後もエベレストに2度挑戦し、いずれも失敗した。

 そして今回挑んだのは、通常とは異なる難しいルート。栗城さんは高所順応の調整などを入念に行い、準備を重ねてきた。しかし今日になり、「体調が悪くなり、7400メートルの地点から下山する」との無線連絡を最後に、消息が途絶える。それからしばらくして、キャンプにいたシェルパが息絶えた栗城さんを見つけたという。

 18日、6250m地点のベースキャンプからは「通常エベレストはですね、酸素が地上の3分の1になりますので、酸素ボンベが必要なんですけれども、それを使わないで、上っていくというチャレンジをずっと続けてきていまして、今回難しいルートから、登っていき、そして、最後ですね、登る瞬間、その3時間くらい前から中継をして、世界で一番高い山からの景色を皆さんと共有できたらと思っています」と連絡。

 栗城さんの事務所担当者は、「本人は口癖のように"生きて帰ります""執着しないというのを心掛けている"と言っていた」と振り返る。

 消息が途絶える直前の無線に残された肉声で栗城さんは「みなさん、ナマステ。今、7400mのところに来ています。今は、このエベレストを苦しみも困難も感じ、感謝しながら、登ってます。かなり慎重に、やり遂げたいと思っています。みなさん、応援本当にありがとうございます。叱咤激励を含めて、自分と同じように何かにチャレンジする人たちに向けて、この共有が役に立てばと思っています。みなさんと一緒に、登っていけたらと思ってます。応援ありがとうございます」と語っていた。

■生前親交のあった登山家「彼は行動しきった」

 栗城さんの帰国後に食事に行く約束をしていたというウーマンラッシュアワーの村本大輔は「なんでそこまでして挑むのか、もっと聞いてみたかった。人が亡くなってこんなに悲しくなかったのは初めて。挑戦し、闘って亡くなった。素晴らしいものを見せてもらったような気持ち。拍手したい。ありがとうございます」とコメント。

 同様に、生前の栗城さんを知る社会学者の古市憲寿氏は「友達が「友達が多く、愛されていた人。起業家などで悼んでいる人も多い。批判もあるが、自分のスタイルを貫いて、やりたい人生を生き抜いた人だと思う」、ノンフィクション作家の石井光太氏は「栗城さんの斬新なスタイルに憧れる人もいただろうし、もしかしたら今後、主流になったのかもしれない。しかし、失敗しても生きてこそ見せられると思うので、何十年かかったとしても一つの形にしてほしかった。例えば登山ができなくなったとしても、こういう生き方ができるんだよ、と見せるのも一つのプロだと思う。生きて挑戦し続けてほしかった」とコメントした。

 栗城氏と親交があり、エベレスト登頂経験者でもある登山家の大蔵喜福氏は「彼はただの登山家ではなく、表現者の一人だったと思う。今までの山登りの人とは随分違う、そういうところが面白いなと思って応援してきた。今回のような事故がおきてしまって残念という他ない」と話す。

 「彼は山登りではないという批判を受けていたが、それは当たっていないと思う。かれは登山家ではなく、山を対象とした表現者だったからだ。山に"生き様"の絵を描いているような人だった。その表現を続けていく上では死ぬことも選択肢になる。表現者の中では一番恐ろしいことをしていたと言える。彼の挑戦、生き方は、こういう事にもなりうるということ。その意味で、彼は行動しきった。彼との会話で頭に残っているのは"挑戦をしなかったら何も始まらない"ということ。彼に若いファンが多いのは、そういう行動力や、そこから生まれてくるものが人の人生にパワーを与えていたからだと思う」。 

(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

※編集部注:

AbemaTVでは2016年から栗城さんのエベレスト挑戦を応援してきました。ルートやスケジュールなど登山内容に関しては、栗城さんサイドで決定。AbemaTVとしては、現地から送られてくる映像を栗城さんのFacebook Liveと同時生中継するという形で特番の準備を進めてきましたが、叶わない結果となりました。栗城さんのご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。

▶放送済み『AbemaPrime』の映像は期間限定で無料視聴が可能。

(2018年5月21日AbemaTIMESより転載)