BLOG
2018年04月25日 14時51分 JST | 更新 2018年04月25日 14時51分 JST

ウーマン村本が聞いた被災者の本音。東日本大震災から7年跡の気仙沼

乙武氏「"鏡"を見せられているみたい」

AbemaTIMES

 東日本大震災から7年。被災地の"いま"を探るべく、お笑い芸人・ウーマンラッシュアワーの村本大輔が気仙沼を訪れた。

 「1年目の話と2年目の話と3年目の話と、全然違う話のはず。今7年でしょ?」。気持ちを率直にぶつけ合いたいと、村本は居酒屋「福幸酒場 おだづまっこ」で酒を片手に気仙沼市民を直撃した。

■今だから話せる「困惑した支援物資」

 今でこそ笑いを交え、明るく話す被災者たちだが、7年前は深い悲しみに暮れ、立ち上がることすらできなかった。気仙沼最大の水産会社である阿部長商店の営業リーダー新沼雄さん(32)は祖母を、観光を通じ気仙沼の魅力を発信する一般社団法人気仙沼観光コンベンション協会次長の熊谷俊輔さん(41)は友人を亡くした。創業100年を超える老舗すがとよ酒店の長男菅原豊樹さん(44)は父を、そして亀山精肉店次期社長の柴田静佳さん(35)さんは夫と娘を亡くしている。

AbemaTIMES

 村本が柴田さんに「息子さんにその時の話はするの?」と尋ねると、「全部教えた。(現在小1の息子も)わかってきた。どうやって死んだの?とか聞いて来るようになった。あの子にとって、もういないことが当たり前なので」と柴田さん。「みんな"重い"って言うでしょ?」と言う質問には「もうちょい軽く生きたいが、みんなが気にするかなと思って。"震災後処女"って冗談を言うと固まる(笑)」と、明るく切り返した。

 今だから言えるテーマの一つが、「支援物資」にまつわるもの。水やトイレットペーパーなど、災害時には無くてはならないものが届けられる一方、中には被災者たちが不要と感じてしまった"善意のかたまり"もあったという。

AbemaTIMES

震災後に気仙沼に入り、長期間ボランティア活動に従事、その後定住した加藤拓馬さん(29)は、「もう着られないような、捨てる直前の古着もあった。でも皆ありがとうとしか言えなかった」と振り返る。

 菅原さん(44)は「必要な物資は時系列で変わってくる。最初は何でも良くて、"これでいい"だったのが、徐々に"これがいい"に変わってくる。服だったらやはりサイズがピッタリのものが欲しくなるし、色も"白でいいや"から"ちゃんと色があるものがいい"となってくる」と本音を明かした。

AbemaTIMES

2人の話を聞いた村本は「世間の人は"ぜいたく"と言うかもしれないけれど、それはぜいたくではなく、"元に戻る"ということだと思う」と慮った。

 柴田さんによると、メッセージが書かれた家族写真や色紙、お守りや宗教的な物資も届けられたという。「娘を探しているということで新聞記事に出させてもらったときがあった。それを見た人から『本当のあなたとは』だとか、スピリチュアルな本がいっぱい送られてきた」。

 また、加藤さんは「鉛筆とか、文具も物資として送られて来る。有り難いことだが、その弊害として学校の先生が嘆いていたのは、"全部タダでもらえるから"と、子どもたちがものを大切にしなくなったとも聞いた」と明かす。

■復興の道筋にズレも

 震災から8年目を迎えた今、気仙沼の人たちは街の未来をどう考えているのだろうか。

 新沼さんは「前よりも道路はすぐできるし、インフラも前より発展したと思う。地元の人だけではなくて、よその人もどんどん働ける町になってほしい」、熊谷さんも「正直、震災があったからこそ変われるチャンスをいただいたとも思っていて、そこを大切にしていきたい。地域創生とか、地方創生とか言われているが、田舎の子どもたちがでかい夢を持てれば良いな」と話す。

AbemaTIMES

 柴田さんは「震災でやっぱりゼロになったので、ここからどうやって町を作っていくか。震災が起きただけの町からどう変えるか、大人の私たちがやるべきこと。子どもにはサッカー選手でもYouTuberでもなんでも好きなことをやってほしいなと思う」と話した。

 着実に復興に向けて進んでいる気仙沼だが、行政と住民との意識の差から生じる問題も抱える。海岸の美しさが特徴でもある気仙沼港では、防潮堤の建設が進んでいる。しかし、それは住民の総意ではなかったため、妥協案の一つとして設けられたのが"窓"だ。

AbemaTIMES

「欲しくない、いらないという意見が多かった。市も色々、勉強会とか説明会とか、何回もしてくれたが、結局建つことに決まった」(柴田さん)「気仙沼は海から色々な物をいただいて発展してきた街で、漁師さんを基本にして栄えた街なので、海は切り離せないもの。そういった精神的なものを視覚的に区切ってしまうということが、地域の教育上、果たしてプラスかどうか」(熊谷さん)。

■乙武氏「『鏡』を見せられているみたいだと思った」

 加藤さんは「僕は被災者ではなく、入ってきた立場。だから言えることもあると思っている。東北がんばれ、気仙沼がんばれと言われるけど、頼むから言ってくれるな、俺らは十分頑張ってるんだから、これ以上どうやって頑張れって言うんだよ、という気持ちもあった」と振り返る。

AbemaTIMES

 この意見に新沼さんも「正直思っていた。頑張れと言ったって、ないものはない。なくなったものはなくなったし」と賛同した。

 こうした被災者たちの話に村本は「この町は悲しんだ分、その何倍も幸せになってほしい。その権利がある町だから、どんどんわがままになって忘れさせたらいい。被災者ビジネスというレッテルのまま、大儲けして大幸せになってほしい」と言い切った。

AbemaTIMES

 村本の取材を受け、作家の乙武洋匡氏は「現地の方は、僕らが驚いてしまうような冗談をおっしゃっている。向こうは明るく笑っているのに、僕らはびっくりしてしまう。僕も自分のことについて冗談を言うことがあるので、まるで『鏡』を見せられているみたいだと思った。また、震災直後から前向きに活動を始められている方々と出会うと、"元気をもらえた""勇気をもらえた"と思った。でもその瞬間、"これ、俺がいつも嫌だと言ってるやつ"だとも思った。僕自身は周りの人たちを感動させようと思って生きてきたわけじゃないし、『五体不満足』を書いたわけでもない。ただ、自分の人生を前向きにしたいだけったのに、勝手に周りが感動する。それが鬱陶しいなと思っていた。でも、それと同じことをやってしまっていた」と振り返った。

 一面的ではない被災地の姿や、今だから話せる被災者の声に耳を傾け続ける必要がある。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

(2018年4月24日AbemaTIMES「震災から7年の気仙沼でウーマン村本が聞いた『本音』 乙武氏『"鏡"を見せられているみたい』」より転載)

▶放送済み『AbemaPrime』の映像は期間限定で無料視聴が可能。