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2017年12月27日 11時40分 JST | 更新 2017年12月27日 11時41分 JST

「自由に東京に来ることもできなかった」在留許可を求め3年闘ったタイ人高校生

スタジオに招き、これまでの歩みと、これからの目標について話を聞いた。

山梨県甲府市に暮らす高校3年生、ウォン・ウティナンさん(17)。3年前、「不法滞在」を理由に母親と共に国外への強制退去処分を命じられたが、生まれ育った日本で暮らしていくため、処分取り消しを求め闘い続けてきた。

今月14日、そんなウティナンさんに大きな動きがあった。1年間の在留特別許可を得たのだ。25日放送のAbemaTV『AbemaPrime』では、ウティナンさんをスタジオに招き、これまでの歩みと、これからの目標について話を聞いた。

■母と別れ、日本に一人で残る

タイ人のブローカーに「仕事を紹介する」と騙されて来日することになったウティナンさんの母。不法滞在のまま働く中で知り合ったタイ人男性との間にウティナンさんもうけた。しかし二人は破局し、ウティナンさんは母と生活することになった。日本国籍を持たなかいウティナンさんは小学校にも通うことができず、日本語はテレビやマンガ、街の看板を見ながら覚えていったという。

13歳の時、地元の人権団体などの支援を受けて中学校に編入した。初めての学校では、クラスメイトもできた。しかし翌2013年、思いもよらぬ事態になった。母親の長期に渡る不法滞在を理由に、入国管理局から親子に退去強制処分が言い渡されたのだ。

2015年、「日本で暮らし続けたい」という願いを叶えるため、母子は東京地裁に提訴した。当時15歳のウティナンさんは、初めて臨む裁判直前に「どうして僕が日本に居られないのでしょうか?僕が生れたことは悪いことだったのでしょうか?(原文ママ)」と作文に綴った。しかし東京地裁はウティナンさん側の主張を退ける判決を言い渡す。

それでも望みは残されていた。東京地裁の判決文には「不法滞在を続けた母親がタイに帰国後に親代わりの人物が現れた場合、ウティナンさんの在留特別許可について再検討される可能性」が示されていたのだ。

しかし、それは同時にウティナンさん母子の離散という、厳しい現実を突きつけることにもなった。在留特別許可の再検討の可能性に賭けた母親は去年9月、ウティナンさんを残してタイに帰国した。空港で母を見送ったウティナンさんは「悲しい。悲しいとしか言えないような。それ以外表現できる言葉が見つからない。悲しいし寂しい」と話した。これまでで最も辛かったのも、このときのことだという。

一人で日本に残ったウティナンさんは東京高裁に控訴。しかし去年12月、訴えは退けられた。最高裁に上告し、闘いを続けることを決意したが、今年1月、上告を取り下げることになった。理由は上告して判決が出るまでに約3年かかると聞いたことだった。裁判の報告会でウティナンさんは「これからは裁判という闘いではなく、新しい闘いの一歩を踏み出したいと思う。『僕を日本に居させて欲しい』という願いを出し続けていきたいと思う」と話した。裁判ではなく、改めて入国管理局に在留資格の審査を求めたのだ。「20歳までに3年間、大事な時間をただ待って、何もせずにただ待って、その結果が来るのを不安な思いをしながら待つと思うと僕はとても耐えられない」。

SNSには様々な反応があった。「ひどいことを書いている人もいるし、逆のことを書いている人もいるので全然関係なくて、僕は書きたければ書いていいんじゃないかと思っていた」。

■そして突然の在留許可

入国管理局の審査を待つ間に、高校3年生になったウティナンさん。スマホを購入し、タイの母親と週に1回ほどLINEで連絡を取り合ってきた。

そして、その日は突然やってきた。今月8日、入国管理局から電話があり、呼び出された。

一審から支援してきた社会福祉法人「ぶどうの里」の山﨑俊二氏と一緒に東京の入国管理局を訪ねると、証明写真を撮ってくるように言われた。「"在留特別許可用の写真"と書いてあった。30〜40分ぐらい待つと、在留カードを差し出されて『これをあなたに渡す』と」。山﨑氏は「あっという間だった。まさかそんなにパッと出されるものだとは思わなかった」と振り返る。やっとの思いで手に入れた"日本で暮らせる権利"。あっさり渡された小さな"在留カード"は、その証しだ。

「最初はあまり実感がわかなかった。しかし山梨に戻って、みんなに『おめでとう』と言われた時、自分が堂々と日本にいられるという実感が湧いてきた。お母さんは自分のことのように喜んでいた。電話を切る前、泣いていたのが電話越しに分かった」。

ウティナンさんが10歳の頃から支援を続けてきた山﨑氏は「お母さんに日本の学校に行かせるのはいいけれど、『入管にちゃんと出頭すること』『彼の国籍をちゃんと取ること』と伝え、出頭したら退去強制になってしまった。彼を日本に居させるのは私たち周りの大人の責任。その責任を果たしてホッとしたというのが正直なところ」と心境を語る。ウティナンを応援する署名は地域だけで1万5000筆、カンパの額も200万円を超えたという。

「クラスメイトの前で『僕は在留資格がなくて退去強制命令が出た。だけど裁判に訴えてでも残りたい』とカミングアウトをさせた」と山崎氏。先生やクラスメイトも涙し、支援を約束してくれたのだという。

今回与えられた「在留特別許可」とは、本来であれば退去強制されるべき外国人に対し、法務大臣の裁量で在留を特別に許可することで、入管法に規定されているものだ。外交官等の家事使用人、ワーキングホリデー、経済連携協定に基づく外国人看護などがその条件で、ウティナンさんの場合、在留資格は高校での学業で、期間は1年間だ。

■一日一日を大切に、やりたいことを見つけたい

ウティナンさんが番組に初めて出演したのは1年4か月前。以来、番組では近況を取り上げてきたが、裁判所か入国管理局に用事がある時以外、東京に来ることができなかったため、いずれも生中継での出演だった。それどころか、強制退去処分の仮放免状態だったため、山梨県を自由に出入りしたり、アルバイトをしたりすることもできなかった。

日本にとどまることに全力を傾けてきたウティナンさん。今後の目標についてはまだ白紙だと言い、「お母さんに会いに行って在留カードを見せたい。同級生は進学か就職かと悩む。やっと僕も夢を探して、それに向かって努力をすることができる。そのための自由な時間を手に入れた。一日一日を大切に、やりたいことを見つけたい」と語った。

元経産官僚の宇佐美典也氏は「許可の理由は明かされていないが、国会議員は国政調査権を使って、政府に対して尋ねることができる。質問主意書で、なぜこういう判断をしたのか質せば、内閣は閣議決定して、答弁として返さなければならない。それによって、今後の制度全体が変わっていくことにもなるので、日本とタイのためにも絶対にやっておかないといけないと思う」と指摘。「元役人として言いたいのは、今回許可を出したということは重要なことだと思う。役所は前例主義なので、一度許可を出せば、同じ状況が続けば次も許可が出ると思う。逆に言えば、状況が変われば判断も変わる可能性がある。来春以降、学生ではなくなるというのは非常に危険なので、意識した方がいいと思う」とアドバイスした。

8歳の時にミャンマー軍事政権の弾圧を逃れ、日本に亡命した経験を持つファッションデザイナーの渋谷ザニー氏も「経験の語り部としても活躍していってほしい。進学も考えた方がいいかもしれない。その先に就職もある」とした上で、「外国にルーツを持つ人が日本語を覚えようとしたり、日本が好きで来ようとしたりする人を守れる国になって欲しいと強く思う。アジアにおける日本の存在感を発信していくのであれば、友好的に判断してほしいと思う」と訴えた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

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(2017年12月27日「AbemaTIMES」より転載)