青年校長5年目。発展途上国での「食」と「住」の大切さ

バングラデシュの田舎での食生活

インフラが整っていないバングラデシュの地方に拠点を置いたことで、改めて「食」と「住」の大切さが身に染みました。どのような環境で生活・仕事をするかで、長期的に仕事の進捗が変わってくることを実感したので、今回は反省も含めて書きます。

一日の生活スケジュール

K.Furusawa

立ち上げ時は、オフィス兼住まいとして一軒屋を借りて、メンバーと共に生活していました。

基本的な1日の流れは......

・朝ごはんを作り、食べる(交代制)

・朝食後ミーティング、各自その日にやることを確認

・自分の部屋に戻り、各自仕事を進める。もしくは外に出て関係者と打ち合わせ

・昼ごはんは各自でとる(食べる時もあれば、食べない時も)

・夕刻、みんなで集まり情報共有やディスカッション

・夜はマーケットに行き外食

・帰宅後、各自仕事を進めて就寝。

です。だいたい毎日このような流れでしたね。

やることが多くて仕事に追われながらも、毎日楽しみながら進めていたので、特にその時は生活の質について深く考えませんでしたが、もしもう一度異国の地で新規立ち上げをする場合は、はじめに「食」と「住(住居設備)」の整備をしなければいけないと思っています。

当時の状況は、今思えば「食」と「住」ともにギリギリの生活でした。時折体調も崩し、それが後々の仕事に支障をきたすこともありました。身体は資本なので、体調がある程度維持できる環境が必要だと実感しました。

バングラデシュの田舎での食生活

K.Furusawa

今の時代、東南アジアにいて食事に困ることはそうないと思いますが、私たちが住んでいた場所は南アジア、バングラデシュのガジプール県という地方です。

家の近くには食べる場所がなく、食材を買うためのマーケットも歩いて30分以上かかります。その為、食べるのも面倒くさくなり1日2食なんてことも、よくありました(苦笑)。

自炊をすることもありましたが、食材購入のために往復1時間を費やすのはもったいなく、そういった環境が関係してメンバー全員の食事の量が減りました。仕事に没頭していた為、実際は時間をかけて食事する余裕もなかったと思います。私は来て1年で6kg痩せましたし、メンバーの中には10kg痩せた人もいました。

今は環境が変わり、いつでも簡単に食事をとることができますが、当時はメンバー全員がその食生活があたかも当たり前であるかのように思いこんでいました。

仕事に集中しすぎた故の盲点だったと思いますが、特に発展途上国の地方では、事前に住まい周辺の「食」環境をチェックすることが必須ですね。

上の写真は、近所でハチミツを売っていたおじさん。朝一で採ったハチの巣からハチミツをとり、その場で量り売り。ただ、ハチミツをつけて食べたいパンなどは遠くのマーケットに行かなければいけない環境でした......(苦笑)。

住まい選択のミス

K.Furusawa

住まいについては人それぞれ基準が違いますが、最低限仕事に影響が出ない程度の設備は必要だと、経験を通じて痛感しました。

バングラデシュに住むにあたりいろいろ問題がありましたが、一番大変だったのは高温多湿の環境に慣れることでした。

当初は各部屋にエアコンを設置しようと、オーナーからも了承を得ていました。しかし、実際借りた後で言われたのが、電圧の関係でエアコンが家全体で1台しか設置することができない、と。また、1階に住むオーナーの部屋に既に1台取り付けられているため、結局メンバーの部屋には設置不可能だったのです!

バングラデシュの夏の気温は40℃を超えることもあります。昼間なんとか暑さを耐えたとしても、夜は寝苦しくて寝不足に陥ります。寝ついて2時間後には暑さで目が覚め、体を冷やすためにシャワーを浴び、また2時間寝て、また起きてシャワー......の繰り返し。今となっては笑い話ですが、人生で初めて顔にあせもができました(笑)。

仕事面ばかりに焦点をあてて、住まいを決めてしまいましたが、それ以前に、良い仕事をする精神・身体作りのための「食」と「住」について考える必要があったな、と今では少し反省しています。

ただ、これも貴重な経験であり、今となっては良い思い出です。

Ambassadorのプロフィール

K.Furusawa

K.Furusawa

宮城県仙台市出身。大学在学中はプロキックボクサーとして活躍。卒業後は日本の私学教員をやりながらタイ、カンボジア、ネパール、ミャンマーなどアジアの教育支援に携わる。その後、とある公益財団法人の仕事としてバングラデシュでモデル校となる学校建設・運営を任される。現在は生徒数約800名の学校をバングラデシュで運営中。

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