初めての犠牲祭&初めてのCox's Basar、そしてロヒンギャ問題

9月初めにも大きなイスラムの行事がありました。その名も「犠牲祭(Eid-Al-Adha)」

こんにちは、アーメッド弥央です。前回の記事でラマダーンについて紹介しましたが、9月初めにも大きなイスラムの行事がありました。その名も「犠牲祭(Eid-Al-Adha)」。随分おどろおどろしい名前ですよね。犠牲祭の間、4日間仕事もお休みだったので、家族でバングラデシュ有数の観光地Cox's Basarにも初めて訪れてみました。そして、そこで感じたロヒンギャ問題......。今回はこの3つについて紹介したいと思います。

街中血の海に?バングラデシュの犠牲祭

アーメッド弥央

家族が購入した牛。そして息子と、なぜか1ヶ月くらい我が家に居候していた叔父

「犠牲祭」とは、牛や羊などの家畜を殺して神様に捧げるお祭りです。この時期になると、家畜を運ぶトラックが増え、家の前には日に日に購入された牛が繋がれていき、来たる犠牲祭への備えを目の当たりにします。購入した牛のサイズで家の財力を示すという意味合いもあり、高いものでは30万タカ(約42万円)以上するとのこと。屠殺した牛たちのお肉は、3分の1は自分たちで食べ、3分の1は親戚に、残りは貧しい人たちに分け与えます。このあたりが正にイスラムの教えを感じるところです。

私の家族も牛一頭を購入し、犠牲祭当日にガレージで解体しました。解体は朝8時くらいに、わりと多くの見物客に囲まれながら執り行われました。私は、牛が押さえつけられているところで、それ以上見ることができず退散......。路上でも解体しているので、街中いたるところで血の海や皮が剥がれた牛の死体、肉の塊や牛皮が干されているものなどを見ることになります。一見地獄絵図ですが、これはふだん食に困ることがなく、自分たちの食卓の裏側を意識することがあまりない日本人の感覚なのかもしれません。この「犠牲祭」は、生きているものの命を絶ち、自分たちが生かさせてもらう感謝の気持ちを養う食育に近いように思います。

男性は解体の時間にモスクでお祈りする人も多く、うちの家族の男性陣は息子も連れてお祈りに行っていました。その他には、自分の手のひらを年長者の足元に当て、その後手の平を自分の口元に当てるということを二回繰り返す、年長者向けの挨拶のような習慣もあります。そして、年長者からお金をいただくお年玉のような習慣も体験しました。

世界一長いビーチが見所!Cox's Basar

アーメッド弥央

オススメ観光名所Himchori

犠牲祭の連休を利用して、家族でCox's Basar(コックスバザール)を訪れました。120km続く世界一長いビーチで有名な観光地です。ビーチ沿いはふだん住んでいる街中と違い、空気がきれいでリフレッシュできました。

さすがイスラムの国、水着ではなくみんな服のまま海に入っています。ビーチではホースライディングや4 wheelsなどアクティビティも充実していて、バングラデシュでは珍しく観光地としてそこそこ開発されている感じでした。

他にも、Himchoriという展望台は自然が多くオススメです。ミャンマー系の人たちが営業しているBurmese Marketや、仏教寺院のAggamedha Buddhist Monasteryでは、ベンガル人とは違ってミャンマー系の顔つきで、バングラデシュでも珍しく異国を感じられるところでした。第二次世界大戦前、ミャンマーとバングラデシュが同じ国だった頃の名残も感じられます。

また、Cox's Basarは海沿いに位置しているだけに、シーフードが絶品! 行ったレストランの中では、Mermaid Cafeが一番のお気に入りです。

国際問題のロヒンギャ問題も、ここCox's Basarで

アーメッド弥央

ところで、皆さんは「ロヒンギャ族」をご存知ですか? 9月に日本に数日間帰った際、日本のメディアでも取り上げられているのを見たので、聞いたことある方も多いかもしれません。昔から言われてきましたが、9月に入ってから国際的にも露出度がかなり高くなってきた深刻な問題です。

ミャンマーの大多数が仏教徒であるのに対し、イスラム教のロヒンギャ族。彼らは、第二次世界大戦時、日本と英国によって仏教徒とイスラム教徒の対立構造が確立され、長年その地に住んでいるにも関わらず、ミャンマーから国籍も剥奪されている人たちです。個人的には、ロヒンギャの歴史を紐解くうちに、日本がロヒンギャ迫害の理由のひとつとなっていることを知りショックでした。

最近、一部のロヒンギャ過激派による仏教徒への襲撃を皮切りに、ロヒンギャの迫害の激しさが増しています。その為、ここ数ヶ月で40〜50万人ものロヒンギャ難民がバングラデシュ、特に国境近くであるCox's Basarに逃れてきている状況です。既にバングラデシュに住んでいたロヒンギャもいるため、総数では100万人を超えるそうです。私がCox's Basarに訪れたのは9月初めですが、「既にロヒンギャがかなり流入してきているらしい」という現地の噂はベンガル人の夫を介して耳に入ってきました。

現地で初めて見たUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の施設や、Burmese Marketなどで見かけたミャンマー系の人たちを見て、少なからずロヒンギャのことを肌で感じた旅にもなりました。

ロヒンギャ問題については、ここではこれ以上深く書きませんが、「アジア最貧国」と言われるほど貧しいイメージのバングラデシュが、これほど多くの難民を受け入れているという事実。現地での受け入れ体制にはさまざまな問題があるようですが、このようなHumanityを重要視している姿勢を、バングラデシュ人の人たちは誇りに思っていることが、現地にいるとなんとなく伝わってきます。

個人的に、難民問題は今まで住んできた日本やアイスランド、シンガポールでは、恥ずかしながら少しも当事者意識をもって考えたことのない課題。その渦中にいるバングラデシュに今住んでいるからこそ、もっと勉強して個人レベルで少しでも前向きなアクションをしていければと思っています。

Ambassadorのプロフィール

アーメッド弥央

アーメッド弥央

1988年生まれ、北海道出身。異文化と触れ合い新しい世界をみることが好きで、アイスランドの留学や世界約35ヶ国への旅、また東京で国際交流を目的としたNPO「Japanize」を友人と運営した経験あり。東京、シンガポールでの勤務を経て、2016年1月にバングラデシュに移住。バングラデシュ人の夫が経営するスタートアップHishabにて、ボイスユーザインターフェースのERPを新興国マーケットに展開中。

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