内定無しで卒業した僕が、ベトナム政府の正規職員になれた3つの理由

できる限りいろんなところに顔を出して、無心で人の役に立とうと走り回ってきたことは、現在のベトナム政府で働くチャンスを掴む時に活きたのです。

2年前の僕は、熱い希望と勇気さえあれば人生は変えられると思い、

就職活動もせず、無職の状態で大学を卒業しました。

そして今、僕はベトナム政府(県庁)の正規職員として働いています。

今回は、僕がどのようにして今のキャリアに至ったのか、

3つのポイントにまとめてお伝えします。

1.お金がなくても、怖がらずチャレンジした

渡越前日に友人たちに支えられて。筆者、真ん中あたり

大学時代、お金がなくて3つのアルバイトを掛けもちし、

いつも口座の残高を気にして生きていました。

アルバイトをやめたらすぐに節約生活が待っていたし、

周囲の友人のように海外旅行なんてできるはずもありませんでした。

毎月3万円の教育ローン返済に歯止めはなく、

アルバイトを始めなければ滞納者ブラックリスト入りしてしまう危うい状態。

いつの間にか、自分の夢や想いが叶わない方向へと進んでいたのです。

大学卒業時、企業に就職していれば良かったのに、僕は無職を選びました。

そんな状態だったにもかかわらず、

「お金を理由にして怖がり続ける人生なら、死んだも同然」と思い、

ベトナム行きの片道切符を買い、日本を飛び出しました。

友人に頭を下げて、数十万円の友情借金も背負いました。

僕にとって、この時のなりふりかまわない勇気が、

僕の人と成りを形成した重要な契機となったと思います。

2.自分のために生きない

ベトナムにて最初の職場の大学にて、創立以来初の学長公認のサークル活動の立ち上げ

ベトナムに来ることができたのは自らの強い意志があったからと前述しましたが、

これは見方を変えると、嘘だとも言えます。

友人たちがなけなしのお金を恵んでくれたから、僕はベトナムに渡航できたのです。

だから、僕は友人たちからもらったこの恩を、ベトナム人たちに返そうと思いました。

しかし、僕に現金はありません。

だから、自分の時間をベトナムの人たちに捧げることにしました。

何か誘われたら断らないように努力しました。

起きている時間は可能な限り

職場にかかわる人たちのために尽くそうと思い、いろいろと計らいをしました。

最初の職場は大学でしたが、

授業以外の時間はカリキュラム外の新たな講義を企画したり、サークル活動の立ち上げ、

他の教育機関や政府機関との繋がりを生み出したりといった企画にのめりこみました。

今では「無茶をした」と思うほど、体調もよく崩していました。

それでも、できる限りいろんなところに顔を出して、

無心で人の役に立とうと走り回ってきたことは、

現在のベトナム政府で働くチャンスを掴む時に活きたのです。

3.チャンスだと思ったら、あらゆる手を使って粘り、やり遂げる

大学創立初、学園祭(在ホーチミン日本国総領事館・国際交流基金共催)

大学卒業時、僕は誇れるものをすべて捨ててきたので、

チャンスに飢えていました。

そのため、ベトナムではすべてがチャンスに見えたのです。

出会った人みんなが、僕を変えてくれる女神だとでも思わんばかりに、

その人たちのために貢献しようと思いました。

そして、ベトナムに来て6ヶ月経った頃、

在ホーチミン日本国総領事館と国際交流基金から協賛いただいたイベントを主宰しやり遂げました。

直後は極度の疲労で帰国することしか頭にありませんでしたが、

その話を聞きつけてJICA職員の方が来られたときは、またチャンス到来と思い、

その方が望むことを何でもやってやろうと思いました。

その時に出た話が「ベトナム政府で無償で働かないか」という話だったのです。

しかし毎月3万円の教育ローンを今も返済中の僕にとっては

無償などとんでもない話で、最初は無理だと思ったのですが、

興味があったのですぐには断りませんでした。

その結果、奇跡が起こったのです!

家庭教師をしていたご家族とともに

当時、家庭教師をしていた息子さんの親御さんが

たまたまベトナム政府の高官の方だったので、

その親御さんに掛け合い、

県庁知事や県議会議長などに僕を売り込んでもらいました。

結果、JICAだけでなく、県議会にあたる共産党からの推薦で、

ボランティアではなく正規のベトナム政府職員として働くことになったのです。

公務員試験は免除され、僕の採用承認のレターは

労働局や外務局を経由せず、県知事まで直行。

今となっては、厚かましいお願いをしていたなぁとつくづく振り返りますが、

「かかった魚は逃さない」「泥をかぶってでも取りに行く」ど根性は、

最後に自分を救ってくれました。

バリアブンタウ県知事とJICAとの産業政策に関わる協議(筆者:左手前)

今僕が任されている仕事は、

バリアブンタウという地域の投資環境を改善しながら、

日本からの誘致産業を特定し、日本企業を誘致すること。

先を見通す視点が常に求められる大変な仕事ですが

自分自身にとっては子どもの頃に夢見ていたような仕事です。

それでも僕の考え方は、ベトナムに来る前後で変わっていません。

僕が最も大事だと思うのは、お金がないことを理由にせず、

無防備にやってのける勢いと強い気持ちをもつこと。

逆にそれがなければ、

お金のない人が道を切り拓くことはなかなか難しいということを、

僕自身が這い上がっていくなかで、実感しました。

怖がって足元を見るのではなく、

一瞬の恥をこらえて後ろを振り返らず、突っ走る。

2年前のそんな純粋な想いが、今の僕の活動を支えています。

誰にだって、お金がなくて立ち止まってしまうことや

怖くてできないことがあると思っています。

でも、もしそうした理由で諦めてきたことがたくさんあるのなら

もうそろそろ、立ち止まって、考えるべきだと思います。

「ここでまた、諦めてもいいのか」

何度も諦めていると、まるで諦めるのが当たり前になってしまいます。

無意識にそうなってしまう前に、自分のなかで終止符を打ってみる。

これが海外で働く、いや、子どもに夢を与えられる大人だと思います。

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ライター

薮下 成仁/Naruhito Yabushita

2012年9月、早稲田大学政治経済学部卒業。"新卒切符"を捨て、無職。諦め続けた大学時代に終止符を打ち、諦めない人生を送ることを決意。2013年12月に渡越し、地方私立大学ボランティア教員として就職。2014年7月、JICAとベトナム共産党の推薦を頂き、地方県庁計画投資局のベトナム地方公務員に。座右の銘「人は生まれながらにして自由であり、自らの人生を選び続ける責任がある」

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