ネパール人医師が経験した福島県南相馬市

自然災害の被害の甚大さという点では共通した両国。けれども、高度先進国として日本の震災復興は随分進んでいる一方、ネパールの悲劇はまだ続いているのです。

私は、ネパールで初期臨床研修医をしているアナップ・ウップレティです。

首都カトマンズにある、ネパールで最も歴史があり、かつ最大の大学、トリブバン大学の教育病院に勤務しています。まだ医学部生だった2013年に、ネパールの僻地で樋口朝霞さん(現虎の門病院看護師)と幸運にも知り合いになったのが、日本とつながりを持つきっかけでした。

樋口さんは、ネパールで長く医療協力活動をされている楢戸健次郎先生の引率で、他の医学生とともにネパールを訪問していたのですが、それ以来今日まで長く交流を続けています。今回、樋口さんに加え、東京大学医科学研究所の上昌広研究室の皆様、星嗟グループの宮澤保夫会長、井上一理事長始め皆様、南相馬市立総合病院の金澤幸夫院長始め皆様の多大なる支援を頂き、福島県南相馬市に一ヶ月間滞在するという貴重な機会を得ることが出来ました。

2015年11月下旬、南相馬市滞在3週目の終わりに差しかかったところで本稿を書いているのですが、市立病院の内外で多くのことを経験しました。東京の上教授の研究室を訪問した際に、研究室の谷本哲也先生から南相馬市滞在記を書くよう勧められ、本稿が出来ました。

「好機が人生を変える」ということが言われますが、私にとってはまさにそのような3週間だったと思えます。全く言葉が通じない、故郷からは何千キロも離れた国に行くのは大変な勇気を要することでした。しかし、そのような怖れとは裏腹に、市立病院や南相馬市、また日本全体の印象は大変温かいものでした。ある意味、故郷を離れていても懐かしいような気がしたのです。

南相馬の滞在中に最も印象に残ったのは、仮設住宅を訪問したときのことです。2011年の東日本大震災後に家を失った住民の方々が居住されていますが、仮設住宅に残っている方々のほとんどは高齢者です。実際に足を運んだ時には、2015年のネパール地震のことを考えざるを得ませんでした。2015年4月25日、マグニチュード7.8の大地震がネパールで発生し、死亡者9千人、外傷者2万3千人にも及びました。さらに、280万人近くの避難者も出ました。今回の地震はネパール史上最悪のもので、50億ドルもの経済的損失になったと見積もられています。

南相馬の仮設住宅に比べると、ネパールではまだ沢山の被災者がテントでの生活を余儀なくされており、本当の意味での仮設住宅がないことを考えると、忸怩たる思いになりました。この違いが、高度先進国と発展途上国を分けるものかもしれないと自問したのです。

もし福島と同様の仮設住宅が、ネパールの被災者も利用出来たとしたら、凍えるような冬をやり過ごし、暮らしを改善させることができるのに、まだとてもそのような状態にはありません。南相馬市を実際に見学すると、2011年の東日本大震災の被害が甚大であったことは容易に想像されます。

ネパールと日本にもたらされた自然災害の被害の甚大さという点では、両国に共通した運命があるようにも思いました。けれども、高度先進国として日本の震災復興は随分進んでいる一方、ネパールの悲劇はまだ続いているのです。

市立病院の及川友好先生、根本剛先生、澤野豊明先生とともに、在宅医療や教育活動、ワクチンプログラムの一環として、しばしば仮設住宅を訪問しました。先生方の診療中には、皺が刻み込まれているけれども魅力と喜びに満ちた住民の方々の顔を拝見することができ、私はいつも感動しました。また、三人の先生方が、単に病気の診療をするだけでなく、全人的な医療を実践されているのに随分と刺激を受けました。医師としての誇りを垣間みた気持ちになり、私自身も、良い医師になるだけでなく、良い人間として成長しようと心に決めたのでした。

また、坪倉正治先生との議論を通じ、原発事故後に沢山の若い方々が福島を離れる一方、残っているのは高齢者の方々だということが良く分かりました。南相馬では、高齢化がますます問題になっていることを学んだのです。けれども、それはそのまま南相馬に限った問題ではなく、日本全体の問題となり始めています。私はまた、社会保障と健康保険政策がよく機能しており、労働力が確保されさえすれば、日本は高齢化人口に関係する諸問題にうまく対処できるだろうと考えました。

一方で、ネパールの現状では、高齢化はさほど関心を集めていません。しかし、ネパールでは社会保障や健康保険システムが十分に整っていないため、高齢化は将来的に重要な問題になるかもしれません。そのため、現在高齢化問題に対処している日本から学ぶことは非常に良い機会になるでしょう。

南相馬にも多くの学びの機会があり、特に仮設住宅は参考にすべきです。被災避難者への対応策については、ネパール政府は福島から学ぶことができると強く思いました。もしネパールがそうすることができるなら、「より良い復興」と、祖国をより良くするための明るい展望が開けると考えます。私にとって南相馬は非常に良い学びの場となり、自分でもここに来てからさらに成長したと心の底から感じることができました。

日本、そして南相馬での滞在は実り多いものであり、沢山の友人を作り、私にとっては初めての多くの食べ物や飲み物にも挑戦しました。日本のように文化的にも豊かで、沢山の食べ物や飲み物が手に入る国は世界でも稀でしょう。ネパールに戻っても、日本滞在の思い出をずっと大切にし、今回得られた経験は、私のこれからの人生の指針となってくれるものと思います。

2015年11月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 

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