母も故郷も分からない…41年分の記憶失う 高次脳機能障がい者の男性、自身の体験の書籍化めざしてクラウドファンディング

妻と名乗る人が病院にやって来た。どうやら、結婚しているらしい。

人気音楽グループ「globe」のKEIKOさんが患い、夫で音楽プロデューサーの小室哲哉さんの引退の一因にもなった「高次脳機能障がい」。記憶がなくなり、感情のコントロールができないなどの症状が出るのが特徴だ。沖縄でもこの障がいと闘う男性が、自身の体験を書籍化するため、クラウドファンディングに挑んでいる。彼に起きた出来事とは...。(沖縄タイムス 與那覇里子)

高次脳機能障がいを患い、大庭英俊さんが毎日の予定を書き込む手帳
高次脳機能障がいを患い、大庭英俊さんが毎日の予定を書き込む手帳
沖縄タイムス

■名前が分からない

「ここは一体、どこなのか」。

大庭英俊(おおば・ひでとし)さん(53)は、ベッドの上で思案した。

床にカバンがあった。免許証を取り出すと本籍地、現住所には「長野県松本市」と書いてある。

「僕は信州人で、おおばというんだ」

名前も分からなくなっていた。

突然に記憶を失ったのは2006年、41歳の秋だった。

医師によると、仕事中に急性心筋梗塞で倒れ、13分間も心臓が止まっていたという。記憶がないことを医師は「今は気にしないで」と言った。

妻と名乗る人が病院にやって来た。どうやら、結婚しているらしい。

「仕事はキャンセルしておいたから。心配させるといけないから、お母さんには連絡してないからね」

そう言っていた。

記憶が消えている。

今日の出来事を記録に残すため、その日からブログを始めることにした。翌日起きると、前日の記憶もなくなることが分かった。起きればすべてがリセットされてしまう日常が始まった。

倒れた当時の記録を読みながら、高次脳機能障がいについて語る大庭英俊さん=うるま市与那城
倒れた当時の記録を読みながら、高次脳機能障がいについて語る大庭英俊さん=うるま市与那城
沖縄タイムス

■体が覚えていたホルンの記憶

退院後、初めて戻った自宅。使っていたと思われる仕事用のノート、日記、スケジュール帳をあさり、読みまくった。

どうやら、フリーランスで音楽講師の仕事をしていたようだ。

平日の昼は音楽教室で個人レッスン、夕方からは小中高で部活の指導、土日は学生と社会人の団体向け。

スケジュールはびっしり。高校卒業後、20年以上も休みなく働いていたことも分かった。

「仕事を失うことが怖かったようです。細かい指導法などもノートに書かれていました」

後日、医師から急性心筋梗塞の原因がストレスであることを告げられた。

部屋には、トランペットが置かれていた。マウスピースに口を当てると音が出た。ホルンもあった。自分の意思と関係なく、指と体が動きを勝手に思い出す。吹けた。

音楽講師として働き始めたころ(大庭さん提供)
音楽講師として働き始めたころ(大庭さん提供)
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ただ、演奏ができたことで、大庭さんは、自分自身のことについては分からなくても、体に染みついた「手続き記憶」が残っていることが分かった。顔を洗うこと、歯磨きをすることといった動きは体が覚えているため、ある程度の日常生活を送ることができている。

「今も楽器を演奏しますが、楽器が好きだから吹いているという気持ちは全くありません。できるから吹く。好きとか嫌いとかいう感情もありません」

障がいを患った後、ホルンを奏でる大庭さん(提供)
障がいを患った後、ホルンを奏でる大庭さん(提供)
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■母親はどこにいるのか

発症後、妻とは離婚したようだった。

母親と連絡を取りたいが、誰なのか分からない。

唯一の手がかりは携帯電話。大庭という名字で、メールアドレスが記載されいていない電話番号があった。

「アドレスがないのではなく、メールが使えない、いつも連絡を取り合っていた年上の人なのかもしれない」

かけてみると、やはり母親のようだった。

声を聞いても分からない。

でも、心配はかけたくない。

大庭さんは、記憶がないことを言い出せなかった。

母の居場所、暮らしぶり...。当たり前のことを今さら聞けない。

電話口で「きょうは寒いね」と言っても、「暑い」という。

数年間、手探りで時々、電話をかけ続けた。

発症後、これまで綴ってきたメモ帳や手帳(大庭さん提供)
発症後、これまで綴ってきたメモ帳や手帳(大庭さん提供)
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急性心筋梗塞から3年。記憶を失ったり、簡単な計算ができなかったり、場の空気が読めなかったりする症状が、倒れた時の低酸素脳症による「高次脳機能障がい」であるとようやく判明した。特定の場所に不安を感じる広場恐怖症も同時に発症しており、パニック障がいも伴っていた。

■故郷を知る

2009年、カテーテル検査で血管に詰まりが見つかり、心臓のバイパス手術をすることになった。医師からは「大手術になる」と言われ、母に電話をした。母と2人の妹が長野に来てくれた。みんな沖縄に住んでいた。倒れてから初めての家族との対面。直接、記憶がないことをようやく告げることができた。

「遠い土地で死なれたらたまらない。沖縄の家で私が看取る。一緒に住もう」と言ってくれた母。

退院後、父の命日と母の誕生日に合わせて沖縄に行った。音楽推薦で、福岡の高校に進学するまで過ごしたらしいが、全く覚えていない。古里のうるま市屋慶名から見える海は絶景だった。

海中道路からうるま市屋慶名を望む=2015年7月撮影
海中道路からうるま市屋慶名を望む=2015年7月撮影
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「こんないい土地を離れるはずがないと思うんだけど。きれいな海のそばで育ったことが今でも信じられません」

昔の写真を見ても、自分なのか確信は持てない。

地元の友達に会っても、「僕の名前は知ってくれていても、僕との思い出を覚えている人はいない。陰が薄かったんだと思うんです。だから、本当に僕はここで生まれたのか、分かりません」

今も、心は揺れ動く。

2010年12月、沖縄に戻り、治療を続けながら家族と暮らしている。

■クラウドファンディングに挑戦

大庭さんは、高次脳機能障がい者になって困ったことがある。

その一つが、見た目からは障がいがあること分かりにくいことだった。

例えば、腕を骨折をした場合、ギブスを巻くため、けがをしていることが視覚的に分かる。しかし、脳の障がいは一見して分からない。大庭さんは、障がいや病名について、会う人、会う人に説明する必要がある。

「高次脳機能障がいはまだまだ知られていないし、説明を続けるには体力もいります。結局、自分が障がい者であることをアピールすることになってしまっているのではないかとの不安もありますが、この障がいに対する状況を変えていきたいと思います」

発症から12年、書き続けてきたブログを書籍化したいと考えるようになった。

見えない障がいをどう見るか、周囲がどう対処しているのか、どんな症状がでるのか、自分の歩みも含めてつづりたい。

毎日の予定を書き込む手帳を手にクラウドファンディングへの挑戦について語る大庭英俊さん=うるま市与那城
毎日の予定を書き込む手帳を手にクラウドファンディングへの挑戦について語る大庭英俊さん=うるま市与那城
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2月28日から出版に向け、クラウドファンディングに挑戦している。

「顔も実名も出すことには勇気が必要だった。本を通して自分事として感じてもらいたい」

出版された暁には、大庭さんのことを覚えている友達と再会し、倒れる前のことを教えてほしいと考えている。

■ ■

支援は沖縄タイムス社のクラウドファンディング「Link-U(リンクユー)」から受け付けている。目標額は96万円で、5月18日まで。詳細は、https://a-port.asahi.com/okinawatimes/projects/koujinou/

注:大庭さんのブログ「今日を忘れる明日の僕へ」は2018年4月現在、出版に向けた編集のため、一時的に見られない状態になっている。

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