「日本からNBA選手を」 静岡のバスケチームが極端に熱い

日本のバスケットボールの競技者登録数は昨年で63万人を超える。しかし、プロではマイナースポーツの域を出られていない。

日本のバスケットボールの競技者登録数は昨年で63万人を超える。しかし、プロではマイナースポーツの域を出られていない。そんな現状を変えようと、本場の米国に毎年挑み続ける日本人中心のチームがある。将来の目標は、2020年の東京五輪で日本代表の出場、そして日本からNBA選手を一人でも多く輩出することだ。

チーム名は「静岡ジムラッツ」。3×3男子日本代表のアドバイザリーアシスタントコーチを務める静岡市の岡田卓也さん(38)が代表だ。現在、米国プロバスケットボールリーグ(NBA)を目指す選手や元NBA選手たちが集まる、米国独立リーグ(ABA)で6季目を戦っている。

昨年11月下旬~12月下旬の独立リーグの前半戦9試合では、2勝を挙げた。強豪相手に、自陣でボールを奪われ得点されると相手の得点に1点追加される米独立リーグ(ABA)の特別ルールや開始直後のミスなどが響き、連敗を重ねていた。

しかし、日本人選手を中心に時間をつかいながらゲームコントロールし、試合を有利に進めることで最後の2試合で連勝した。岡田さんは「どのような状況にも対応できるよう、それぞれが試合に向けてコンディションを調整すること、そして日本人選手と外国人選手のコミュニケーションが今年1月から再開される後半戦のカギとなる」と話す。

静岡ジムラッツのもう一つの顔は、日本国内での子ども向けのバスケ指導だ。ABAオフシーズンである4月~11月に教える子どもは8千人を超える。前半戦終了後もすぐに日本で子どもたちの指導を再開した。

昨夏は、「GRツアー」と題し、日本の子どもたちを米国に連れて行き、本場のバスケを学んでもらった。オクラホマシティー・サンダーのケビン・デュラント選手と一緒にプレーする機会もあった。岡田さんは「NBAの一流選手と一緒にプレーした経験は、子どもたちの夢を広げることになる」と話す。将来、日本からNBA選手が生まれることを願ってのことだ。

岡田さんは2000年、米国のバスケの自由な雰囲気に魅了され、日本体育大卒業後にNBAを目指して渡米し、スター選手マジック・ジョンソン氏が引退選手らを集めた「マジック・ジョンソン・オールスターズ」の練習や、若手が経験を積むNBAのサマーリーグに参加した。

そこで、練習熱心さを感心され、体育館(ジム)に住みついたネズミのように練習に精を出す「ジムラット」というあだ名を付けられた。

岡田さんは、日本バスケットボールリーグに3年間所属した後、再び渡米し、2005年から米独立リーグのチームに参加。リーグでは、働きながらNBAを目指す若者たちと競いつつ、恵まれない練習・試合環境からはい上がろうとする熱意に刺激を受けた。

岡田さんはNBA入りを難しいと自覚していたが「日本人のチームを作って米国での経験を共有したい。日本から世界に通用する選手を出したい」と考えた。「静岡ジムラッツ」を立ち上げ、2010年からABAに加盟した。これまでに20人以上日本のプロリーグに輩出している。

静岡ジムラッツは、本拠となるコートがないため、米国やメキシコなどを車で移動しながら約20試合をこなす。交代で車を運転しながら、時に次の試合会場まで約1100キロ、13時間走ることもある。

今年の主軸の一人、和歌山トライアンズの板東玲央選手(23)は運営会社の資金難の影響で、2015―2016シーズンは日本のリーグでプレーできず、静岡ジムラッツに参加した。

自らスポンサーを探し、トライアンズの支援もあって渡米が実現した。「周囲のサポートにどれだけ感謝できるか、米国に行ける環境がどれだけ恵まれているかを選手たちは感じつつ参加している」と話す。

しかし、渡航費から滞在費まで1シーズン1人あたり50万~70万円かかり、若手選手にとって負担は重い。お金が準備できず断念する若者や、岡田さんが立て替えた費用を返済できずに困っている若者もいる。

そこで、岡田さんは若手選手の渡航費の負担を軽減するため、クラウドファンディングサイトを通じて支援を募っている。岡田さんは「若い選手はただお金を受け取るのではなく、米国で得た貴重な経験を、子どもたちの指導などを通じて、日本バスケ界に還元してもらう予定です」と話している。

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