日本が危機を乗り切るカギは「外と内、未来と伝統の新しいバランス」

今の世界は大きな変遷の時期を迎えています。日本の精神は、あらゆる先進工業国を苦しめているものと同様の、不景気と財政危機によって試されています。ただし、このような新しい、前例のない困難に対する解決策のいくつかは、最も古くからある日本の伝統の中に見出せる可能性があります。

東京発----Konnichiwa(こんにちは)! 日本からのご挨拶です。5月7日に始まった、私たちの最新の国際版である「ザ・ハフィントン・ポスト」(ハフポスト)日本版。立ち上げ準備のために日本に滞在して約1週間になりました。

日本は驚くべきところです。その独自性と美しさに圧倒されそうなほどです。幸運なことに、ハフポストの日本での立ち上げは、またとない好時期となりました。今の世界は大きな変遷の時期を迎えています。日本の精神は、あらゆる先進工業国を苦しめているものと同様の、不景気と財政危機によって試されています。

ただし、このような新しい、前例のない困難に対する解決策のいくつかは、最も古くからある日本の伝統の中に見出せる可能性があります。そのことにお気付きの方もいるでしょう。「前に進むためには内側に行かなければならない」のです。日本の方たちは、自らの最も古い習慣に目を向けることによって、非常に現代的な危機を切り抜ける手段を見つけることができるはずです。

世界的な金融危機に見舞われている各国は、国ごとにその状況が異なります。トルストイ風に言えば、「不幸な国にはそれぞれの不幸の形がある」というところでしょうか。日本は、2012年の大部分で不景気が続いた後、年末の3カ月間に入って0.2%というわずかな景気上昇が見られました。日本の失業率は、米国に比べてはるかに低い4.1%ですが、これによって賃金下落やデフレ、低成長といった他の問題がうやむやになっているところがあります。

昨年冬のボーナスは3年ぶりに減少して約4%のマイナスとなり、記録があるうちで3番目に大きな減少でした。

世界経済フォーラムによると、日本の「男女平等指数」は101位でした。キャリアを追求できる職種の新規採用における女性の割合は、わずか12%に過ぎません。

日本が技術の最前線にいる国であるという考えは徐々に時代遅れになりつつある、という印象が広がっています。日本の大手技術企業各社は、世界規模の競争環境でその地位を維持するのに苦労しています。「Tokyo Times」の報告では、日本の技術企業は、かつてのようなトップレベルの才能ある若い人々の就職先として、もはや望まれなくなったと結論付けています。IT関連の人材派遣会社パソナテックの吉永隆一代表取締役社長は、「日本企業で働くことの魅力は失われつつある」と話しています。

日本の新首相である安倍晋三氏は、投資の増加、インフレ目標を設定した金融政策、イノベーションへの障害を減らす構造改革を通じて成長を再開させると約束しました。首相在任100日目を過ぎましたが、72%という高い支持率を維持しています。

日本が直面している特に大きな問題のひとつが人口問題です。昨年は60歳以上の労働者数が300万人を超え、過去最高となりました。65歳以上の労働者数は全国の22%を占め、世界で最も高い割合です。日本は世界のどの国よりも急速に人口が減少している国でもあり、昨年には1950年代に記録を取り始めて以来最大の、約30万人の人口減少となりました。

しかしながら、日本の「アイデンティティ危機」が最も重くのしかかっているのは、アイデンティティを前進させなければならない層、つまり若者たちです。機会や移動の自由が若者たちに与えられない状況が定着してしまったことにより、今の若者は「失われた世代」と呼ばれるようになりました。私がこの1週間で話をした若者の多くは、自分たちが子どもを持たないか、持ってもせいぜい1人と決めたのは、長い労働時間や、出世のための苦しい戦いのせいだと話していました。20歳前後を対象にした調査では、驚くことに、55%を超える男性が自分の妻には外で働いてほしくないと考え、女性の約44%も、家にいたいと考えています。

不安や不確実性、さらに絶望は、日本の自殺率に表れています。20歳前後の自殺者は2007年から250%増加しました。もちろん、この暗い状況は若者だけに限りません。日本全体での自殺率は世界で最も高い水準であり、2012年の自殺者は2万7000人を超えていますが、自殺者が3万人を下回ったのは15年ぶりです。

逆説的なようですが、これらすべての非常に現代的なストレスに対する答えは、最も古い日本の伝統に見つかるはずです。日本はバランスと調和に大きな重点を置く国であり、現在のような、極度に調和の取れていない時期に、日本の方たちが新たな調和と均衡を見出すために役立つ手段は、すべて日本人の周囲ににあるのです。神社仏閣庭園は至るところにあります。僧侶たちが瞑想しているところを見かけるだけでなく、瞑想に参加する機会も珍しいことではありません(私は京都の南禅寺で5月5日午前8時に体験しました)。

さらに、時には、ごく普通の食事であっても、並外れたパワーが感じられます。場所ごとに決まった方法のしつらえがあり、それぞれのコースが儀式のような美しさで供されるのです。芸術としての生活、つまり小さなことにも感動できる能力を磨くことは、禅の核心です。ハフポストのブロガー、スティーブ・ベイメルは次のように書いています。「テーブルの上の料理、美しい皿、花瓶の花。私たちは、たったひとつのことにでも感動するようにしています。そのことが、我々の意識の中にある潜在的な不満を埋め合わせてくれるのです。...こうしたことが繰り返されることで、蓄積される効果は深遠です」

最も素晴らしいのは、こうした伝統の一部は、現在日本が直面している新たな課題に直接立ち向かうべく、姿を変え続けていることです。2011年、大阪府河内長野市のある寺院では、職を探す若い人たち向けに、講義に加えて座禅、滝行、その他の伝統儀式を行うプログラムを始めました。このプログラムの真の目的は、職を見つけることではなく、適職を見つけることです。そのためには、自分を正しく知る必要があります。住職の井本全海氏は次のように述べています。「この修行を通して、若い人たちに、自分が本当は何をして行きたいのかを気づく機会を与えたい」

「Japan Times」紙の記事にあるように、この修行は人気を得ています。同様のプログラムを行っている曹洞宗の僧侶グループの1人は、「就職活動で鬱状態になり、自殺する学生が増えています。何かしなければならないと考えました」と述べています。

警察庁によると、2011年の30歳未満の自殺者150人は、明らかに就職の失敗が関係しています。この数字は2007年の2倍を超えています。

こうしたプログラムの目的は、若い人たちに広い視野を取り戻してもらうことです。「人生は、就職活動の結果によって完全に決まるわけではありません」と、ある僧が学生に語ります。「就職面接で下される評価は、あなたという人間のごく一面しか表していないのです」。そして、自分の国の古い伝統に触れることには効果があるようです。「私がここに来た理由は、心の落ち着きを取り戻すためには座禅が有効だと考えたからです」と、ある学生は語っています。

東京のある別のグループは、仏教や神道を、DJやメディアアートなどの新しいものと組み合わせ、今も残る2011年の震災のストレスから若者を救うために活動を行っています。「2011年3月11日に起きた東日本大地震は、東京に住む若者たちの心にも大きなダメージを与えたと思います」と、グループ代表の友光雅臣氏述べています。「われわれがこの企画を始めたのは、彼らにはリラックスして元気を取り戻す場がないと感じたからです」

さらに、各地にある神社のお守りは、生活の至る所で見られます。雑誌「GQ」の編集長で流行の最先端を行く鈴木正文氏でさえ、私たちのオフィスにインタビューに来られた際、たくさんの鈴付きのお守りで飾った鞄を持っていました。そして、ハフポスト日本語版の編集者たちからは、私のノートパソコンと他のハイテク機器を守るために、近所の神社で購入したIT用のお守りをプレゼントされました。アップルストアのGenius Barまで足を運ぶよりはるかに手軽です!

そして、茶道。厳重に作法が決められた、1000年近い歴史を持つ儀式です。「茶道でお茶を入れることは、決まった動作に全神経を注ぐことを意味します。一連の動作は、お茶を飲むためのものではなく、心をこめて1杯のお茶を用意するという美学を追究することを目的にしています」

日本の美学のエッセンスは「間」にあります。「間」とは空間であり、物事の間に存在する純粋で不可欠な空の部分です。この空の中には、将来満たされるための可能性と将来性がつまっています。老子には次の言葉があります(第11章)。

車輪は、30本の輻(や)が真ん中の轂(こしき:ハブ)に集まって出来ている。

轂に車軸を通す穴があいているからこそ、車輪としての用を為す。

土をこねて作られる器は、中に何もない空間があるからこそ役に立つ。

戸や窓をくりぬいて家は出来ているが

中に何もない空間があるからこそ、家としての用を為している。

それゆえ、何かが「有る」という事で効用が得られるのは、

その陰に「無い」という事が、その効用を発揮しているからなのだ。

そしてもちろん、俳句もあります。

The water is deep

In the ocean;

Drought in the land

大海の

うしほはあれど

ひでりかな(高浜虚子)

日本人が、フェイスブックなどのソーシャルメディアよりもツイッターを好んで使うのは当然に思えます。というのは、日本人はもともと複雑な気持ちや微妙な感情を短い言葉で伝えることに慣れているからです。

「ある瞬間の気持ちを上手く伝えようとする点で、ツイッターは俳句と似ています」と、日本でツイッターに協力しているデジタルガレージ社の枝洋樹氏述べています。「ツイッターはとても日本人的なのです」

米国と同様、日本も大きな課題に直面しています。けれども、古い伝統を取り入れて新しい問題に適応させたり、新しいイノベーションを取り入れて日本独特の工夫を加ること、つまり、前進すると同時に過去を見直し、外向きになりつつ内向きにもなるということ(日本では、こうした併置は必ずしも矛盾にはなりません)によって、日本の方たちは、21世紀にふさわしい新しく力強いバランスを見いだそうとしています。そうしない場合には、高浜虚子の俳句が描くような情景が待っているからです。

A paulownia leaf

Is falling down with

Sunshine on it

桐一葉

日当たりながら

落ちにけり

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