高野病院のことを安定して存続させることのできない日本社会ならば、避難指示が出された原発事故被災地への住民の帰還を促進することを正当化することはできない

東京電力福島第一原子力発電所に最も近い病院である福島県広野町の高野病院が、昨年末の高野英男院長の急逝によって存続の危機にあることが報じられている。

現在通常の診療が行われている中で、東京電力福島第一原子力発電所に最も近い病院である福島県広野町の高野病院が、昨年末の高野英男院長の急逝によって存続の危機にあることが報じられている。

しかし、「福島県広野町」という場所が持つ意味の特殊性については、県外の方には理解しがたい面がある。

原発から主に20~30km圏内に位置する広野町は、震災直後には「緊急時避難準備区域」に指定された。他には例えば南相馬市原町区などが、このような指定を受けた地域として挙げることができる。

福島県内の被災者については、この時にどのような指定を受けた地域に住んでいたのかによって、その後の運命のありように大きな影響を受けたと言っても過言ではない。

やはり、強制的な避難指示が行われた「警戒区域」に指定された20km圏内、そして年間積算線量が20mSvを超えると予想された「計画的避難区域」に住んでいた人々が経験せざるをえなかった避難生活は、多くの場合に過酷なものであった。

平成24年4月、「警戒区域」と「計画的避難区域」は、年間積算線量が20mSv以下と予想される「避難指示解除準備区域」、20mSvを超えるが50mSv以下と予想される「居住制限区域」、50mSvを超えると予想される「帰還困難区域」に再編された。

国は平成27年6月に、帰還困難区域を除く区域への避難指示を、平成29年3月までに解除する方針を示した。

したがって平成29年4月以降は、元々この地域に暮らしていた人々は、「帰還することができるのに、自分の意志で帰還しない人々」と見なされることになる。

今回の小文の目的は、この方針の正当性に異議を表明することである。はっきりと言って「準備不足」であるし、「性急・拙速」である。しかし、そのことに論を進める前に、もう少し事実関係を明らかにしておきたい。

避難指示が解除された時期が、田村市の都路地区東部が平成26年4月、川内村東部の当初避難指示解除準備区域だった地域が平成26年10月、同居住制限区域が平成28年6月、楢葉町が平成27年9月、葛尾村が平成28年6月、南相馬市小高区が平成28年7月である。

そして、今年平成29年3月には、浪江町、富岡町、飯館村と川俣町山木屋地区の帰還困難区域を除く地域で避難指示が解除される。

さらに、帰還困難区域についても平成33年を目途に、居住が可能となることを目指す「復興拠点」を設定・整備することが政府の方針として示されている。

私は特に後者について、これを無理な目標設定、もし技術的に可能であったとしてもそれに必要とされる予算が正当化されないような非現実的な方針であると考えている。

それにも関わらずそれが実行に移されるのであるから、現場の当事者には相当の負担がかかることが予想される。震災から5年以上の苦難を耐えて来た人々に、さらにその重荷が課される訳である。

このような方針が出された背景には、すでに4兆円ほどの費用をかけて除染が行われ、健康被害の出現が予想されない程度にまで測定される放射線線量が低下した、あるいは低下させることができると判断されている事情がある。

確かに筆者も、今回の福島の事故で放射線による直接的な健康被害は軽微であると主張しており、それを過剰に強調する立場の人たちについては批判的な態度を保っている(たとえば「鼻血と日本的ナルシシズムhttps://www.huffingtonpost.jp/arinobu-hori/nose-bleed_b_5350040.html」)。

どうしても、医療被ばくとして私たちが身近で見聞している出来事と比べると、今回の福島の事故後で語られる線量は桁がいくつか小さいと感じてしまっている。

しかしそれであっても、震災後5年以上が経過した時点で、年間積算線量を20mSvまで許容するという基準で避難指示の解除が決定されていることは、他の地域と比較して公平の原則が保たれていないと考える。

その他にも、たとえば貯水池の除染が行われていないという問題がある。

たとえ放射性物質は底に貯まっているので上澄みは安全であり、雨などが降って攪拌された場合には水を止める措置を行うと説明を受けたとしても、その水源地を利用する地域に居住することは、感情的には慎重に考えてしまうだろう。

しかし、今回はこの議論には深入りしない。

たとえ感情的に「気持ち悪い」点が多々あったとしても、やはり放射線による直接的な健康影響が出現する可能性は低く、そのことだけでは「故郷に帰りたい」という強い希望を持つ人を留める理由にならないということも、特に高齢者の場合には、一理あると考えるのが、私の立場である。

逆に言えば、さまざまな人の気持ちを刺激してしまう放射線の議論を回避しても、現在進行している「帰還」の方針の強引さを指摘することが容易な状況が、残念ながら出現してしまっているのだ。

今回の原発事故の看過できない特徴の一つは、震災関連死の多さである。

震災後に福島県内だけで震災関連死と判定された方は、2086人いる。この多くが、医療を含めた生活環境が整わない避難生活の影響を強く受けた結果であるといえるだろう。

それにも関わらず「帰還」を熱心に推し進める政府が、帰還先の居住環境を整えることについて、口先は別として真剣に取り組んでいるように見えないのである。

たとえば、高野病院の問題に見られるように、である。

極端な連想かもしれない。しかし、無謀な戦争を遂行し、兵隊たちに特攻を指示した太平洋戦争時の大日本帝国のことすら、連想をしてしまう。

80歳を過ぎた老医師が、震災後ほとんど休む間もなく、外来・病棟の診療、多数の当直を行った上で、不慮の事態に巻き込まれて急逝するようなことが、実際に起きてしまったのだ。

この3月で避難指示が解除される、ある自治体の住人から、次のような話を聞いたことがある。

「今度の帰還は、2度目の避難のようなものだ。震災から5年以上が経過して、仮設住宅のような場所でもそれなりにコミュニティが成立していた。しかし今回また、それがバラバラになり、新しい場所での生活を始めなければならない」のであり、そのことが不安だという。

そして戻る故郷には、商店や病院などがきわめて乏しくなっている。

予算さえつければ、コミュニティが復活するのではない。金だけではないのだ。その場所に愛着を持って、その場所のために熱心に活動する人が複数集まり、多くの時間をともにすることが、コミュニティの再生のためには不可欠なのである。

嫌な記憶がある。平成24年の4月に避難指示が出た地域への住民の一時帰宅が許可された。その後の5月と6月に一時帰宅中の住民がその場で自殺をしたというニュースが報じられた。

おそらく、あいまいなままになっていた故郷のイメージについて、その変わり果てた現実を急激に突きつけられてしまうような経験をしたのだろう。この春には、そのようなことが起きないことを祈るばかりである。

当たり前であるが、人間が生活する以上は消費者としてのみ存在することができない。事業者・勤労者として生活費を稼ぐ必要がある。

良い就職口があるのか、それとも事業を展開させて成功させることができるかどうかが、そこで生活するか否かを決定するために重要となる。そして居住人口が少ない場合に、事業を行うことのリスクが小さくはないことは、言うまでもない。

一度避難指示が出てすでにそれが解除された地域で事業を展開する人々の中には、そのリスクを承知の上で、それでも故郷を復興させたい一念で無理を行っている人が少なくない。

民間病院にも、同じような事情がある。したがって、高野病院があれだけ熱心な診療を「地域のために」と継続してきたのは、特筆すべきことなのだ。

予想通り、帰還を望む人、実行している人々は、高齢者が中心である。

高齢者が単身、あるいは夫婦のみで、周囲に人が少ない状況で散らばって生活しているという状況が、実際に出現している。その人々の生活能力は、この後の数年間で大幅に衰えていくだろうと予想するのが自然である。

この状況をどのようにケアしていくのか。南相馬市の小高区の状況をみると、近隣の南相馬市の原町区等に本拠地を持つ医療や福祉の関係者が、そこでも人員が少ない中を、戦線を拡大させて対応している実態がある。

それなのに、さらに浪江町、飯館村と帰還が急がれている。

筆者が近くで経験しているのは、原発の北側の状況であるが、南側にも似たような状況があるだろう。すでに楢葉町の避難指示が解除され、富岡町も目前である。

それなのに、広野町で機能していた病院が危機に陥ってもそれが救済されないかもしれない。「ありえないだろう」、そう率直に考えてしまった。

国は、原発事故の被災地について、住民を帰還させる方針を立てたのならば、きちんと生活できる環境を整備する責任がある。

もしそれができないのならば、安易に帰還を急がせるべきではない。

そして高野病院については、そこが安定して診療を継続できるような体制が確保されるために、国も県も町も出来る限りの支援を行うことが妥当な措置であると考える。

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