■書くために稼ぐ時代? デジタルメディア激戦地NY
ニューヨーク・マンハッタンのタイムズスクエア。その名のいわれであるニューヨーク・タイムズの本社の数軒隣にニューヨーク市立大ジャーナリズム学科がある。
この大学院に、記者が自ら新メディアやビジネスを作ることを学ぶ「起業家ジャーナリズム」コースがある。このコースのある大学院に2014年1月から1年間通った。
ニューヨークはデジタルメディア激変の震源だ。ハフィントンポスト、BuzzFeed、ELITEDAILY、 Mashableなど新メディアが次々と生まれている。その周辺にブログサイトのTumblrや写真をプロアマ問わず広く集めて販売の仲介をするShutterstock、インターネットで不特定多数から資金を集めるクラウドファンディングの老舗Kickstarterなどが生まれている。マンハッタンとイーストリバーをはさむブルックリンを中心にした狭い地域で、こうしたデジタルメディアのマグマが沸き起こっている。
■記者生活11年、「漠然とした危機感」を抱いたまま
「未来のジャーナリズムのかたちに興味ないか」
「もちろん、あります」
2013年の夏、上司にそう聞かれ即答した。そして2014年1月、ニューヨークの地に立って学校のドアを押したとき、私の胸は押しつぶされそうだった。
記者生活11年あまり。駆け出しの警察取材に始まり、地方政治や震災取材、国際問題をカバーしてきたが、こんな気持ちは初めてだった。それは、新聞記者としてのこれまでの考え方を完全に否定しなければいけないとうすうす感じていたからだ。
新聞づくりの当事者は丁寧に新聞を作りこんでいる。だが、それが届けたい人に届けられていない。入社まもなくして、トヨタの若手幹部も入る社員寮で、数十件あった新聞購読数が数部に減ったと聞いた。2013年に名古屋大で名古屋市長選報道とメディアをテーマに講義した時は、教室にいた数十人の学生の中で新聞購読者はゼロだった。
「いままで通りではだめだ」とはわかっていた。だが、記者がどう変わればいいのかの答えを見いだせず、漠然とした危機感を抱いたまま、目の前の特ダネ競争に加わっていた。
そんな私が、起業家ジャーナリズムコースのある学校のドアを押したときの私の不安な気持ちは、当然といえば当然だった。
■通じない新聞の美学
起業家ジャーナリズムの話をする前に、日本の伝統的な新聞づくりについて書きたい。それがいずれ瓦解する私の「根っこ」だからだ。
私が記者として地方政治を取材していたころ、取材先に行くのは朝か夜だった。時に数時間、取材先の帰りを家の玄関近くで立って待つ。つかんだ情報が意図されて流されているものではないのか、電話や人がいない場所で複数の取材先に積み重ねる。中華料理のツバメの巣を、食べられる状態にするまでピンセットで木の葉などのゴミを取り除くような作業。誤った情報を排除して核を取り出し、記事として新聞に載せる。そして毎日できあがる「作品」が新聞なのだ。
取材相手によっては、ニセ情報をつかまされることもある。政敵を陥れるために、情報がリークされることもある。
タマネギの薄皮をはがすように、政治家、秘書、利害関係者、役所の担当課や幹部などさまざまな人に情報をとりに走る。つきあわせて事実を見いだしていく。チームで全体を包囲し、事実関係を固める時も多い。
警察回りをしている同僚は朝5時ごろ、会社の契約する黒や深い紺色の車で取材先に向かう。枕を車に持ち込み仮眠をとる。日が昇る前に玄関の前に立つこともある。
朝3時ごろに送られてくる他社の翌朝の特ダネ記事に起こされることもある。そのあとは、後追い取材が待っている。
こんな毎日の中で、自分が書いている新聞自体に意識を向けることがおろそかになっていた。そんな時、日々の特ダネ競争から抜けて1週間だけ、持ち場を離れ、映画監督オリバー・ストーン氏が広島、長崎、沖縄を訪問するのに同行して取材をする機会があった。たくさん伝えたい、もっと魅力的に多面的に伝えたい。いつもと違う視点から新聞の状況を見て、「もっと多くの人や若い人に伝えていきたい」と強く思うようになった。2013年夏、「ニューヨーク市立大院の起業家ジャーナリズムコースに派遣する」と言われたのはそのときだった。
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実は、面接を受けて合格通知が来たもののどうも納得がいかなかった。
「記者と起業ってまったく別でしょう。一緒に考えてはいけないのではないの」と。
「記者は、コストを考えてはいけない」とも教えられてきた。
入社1年目、初めての大きな事件の張り番。会社が契約するタクシーで片道1時間半の現場に向けて日が昇る前に出発した。連続殺人事件の関係者の家に着いてしばらくすると、他社の記者も数人現れた。
取材相手が出てきて、行方をくらますかもしれない。各社の記者も車を待たせている。「タクシー、お金がすごくかかりそうですけど...」そうデスクに言うと、怒られた。「金のことは考えるな」。
取材相手の家の近くで、立って待つ。「取材相手が出てきませんように」と念じながら、トイレに走る。戻ってまた立つ。支局に戻る頃は日付が変わっていた。タクシーのメーターは10万円以上になっていた。
「取材のコストも考えろ」。新聞社の経営環境が厳しくなった今では、さすがにそういう指示を出す上司もいると聞く。しかし「いい記事を書き、民主主義に資するためには、コストや手段を考えてはいけない」という文化は今も残っている。
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そんな話をニューヨークの記者たちに話すと、「信じられない」という。
驚きの原因は「夜討ち朝駆け」という取材手法に加え、日本の記者のコスト意識にもあるようだ。
米国では、ニューヨーク・タイムズなど大手メディアの大規模なレイオフ、ワシントンポスト、数々の地方紙の倒産など老舗新聞社の買収などが珍しくない。実際、「起業家ジャーナリズムコース」で一緒に学んだ仲間には、大手メディアの見通せない展望を憂い、ウォールストリート・ジャーナルやAP通信を去った人もいた。そういう環境の中、「持続可能なジャーナリズムを維持するために、自分たちでメディアを立ち上げる力を持てるようにしよう」と作られたのがこのコースだ。
記事を書き続けるためには稼がねばならない。あるいはビジネスを立ち上げなければならない。それが今の米メディアの、特に若いジャーナリストが直面する現状だ。ただ、これはメディアのチャンスととらえることもできる。ネットの普及で、新しいジャーナリズムの形を自分で生みだし、育てていくことができる機会が到来したからだ。それを支援するのが起業家ジャーナリズムだ。
個人的には、紙面を開いて飛び込んでくる記事を読むのが好き、新聞の紙がめくる時のぱらりとした音が好きだ。だが、デジタルの今を直視しなければいけない。その現場を同僚の記者と共有し、新聞の使命を果たしていくべき道を探りたいと思っている。
次回は起業家ジャーナリズムのコースについて詳細を説明したいと思っています。
起業家ジャーナリズムコースの元記者ら学生が書いたメモ
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日米の記者を取り巻く環境の差は大きいですが、このコラムで日本のメディアが学べそうな点を、同僚記者や今後メディアを目指す人たちと共有できればと思っています。
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井上未雪
Miyuki Inoue
東京都出身。旧東京三菱銀行の投資銀行部門から2003年10月に入社。岐阜総局、豊橋支局、名古屋報道センターで、東海地方を中心に行政を担当。2014年11月からメディアラボ。1年間、ニューヨーク市立大院•起業家ジャーナリズムコースに派遣され2015年1月に帰国。ソウル留学を含め社に入って10回引っ越しをしました。旅好きです。
@MyuInoue