死んだ夫の精子を使って、子どもを生んではいけませんか?

7組に1組のカップルが不妊と言われるいま、「卵活」「妊活」という言葉が登場したように、医療技術のサポートを受けて「子どもがほしい」「親になりたい」という希望を叶えようとする夫婦が珍しくなくなってきました。

■関心が高まる「生殖補助医療」

7組に1組のカップルが不妊と言われるいま、「卵活」「妊活」という言葉が登場したように、医療技術のサポートを受けて「子どもがほしい」「親になりたい」という希望を叶えようとする夫婦が珍しくなくなってきました。その切実な望みを叶えてくれる技術は、総称して生殖補助医療(ART:Assisted Reproductive Technology)と呼ばれ、すさまじい勢いで進歩しています。

この技術は多くの人のニーズに応える一方で、生命の誕生に関して「選択」することを可能にし、新たな倫理問題(デザイナーベビーなど)や、法整備が追いつかないという状況も生んでいます。

■「生物学的時計」を止める技術

生殖補助医療の例をあげれば、たとえば「凍結保存技術」。昨年、「卵子老化」がセンセーショナルに報道されましたが、凍結することによって、精子や卵子、受精卵の「生物学的時間」を止めることができるのです。精巣や卵巣などの性腺そのものの凍結保存も、実験段階ではありますが可能となってきました。

卵子の老化におびえる30~40代女性にとって、この技術は福音となるでしょう。30代で十分にキャリアを築くまで、出産を先延ばしにするといったライフプランも可能にし、女性の人生デザインをより自由なものにしてくれるでしょう。

また、凍結した精子を使った「セルフ受精」は、「結婚抜き」で子どもを持つこと(選択的シングルマザー)を可能にします。理想の男性との出会いを待つよりも、みずから精子バンクに行き、血液型、身長・体重、目や髪の色、学業成績、運動神経などがカタログ化されたドナー情報をもとに冷凍精子を選ぶ、自立した女性も増えるかもしれません。

凍結保存技術は、「死後生殖」も可能にします。夫が病気や事故で亡くなってしまっても、凍結保存しておいた精子を使って、残された妻が亡き夫の子どもを生むことができるのです。

しかし死後生殖は、現在日本では認められていません。2001年、四国に住む40代の女性が亡くなった夫の冷凍精子で出産しましたが、誕生時にすでに父親の死後300日を経過していたため、法的に子どもと父親の父子関係が認められませんでした。間違いなく遺伝的つながりのある親子なのに、親子と見なされない――。こんな事態が実際に発生しているのです。

■男女生み分けは、何が問題か?

あるいは、「遺伝子解析技術」。この技術を使って受精卵の性染色体を調べれば、男女はほぼ確実に生み分けられます。法規制が存在しないアメリカや、規制の緩いタイなどでは、さかんに男女生み分けが行われています。

日本では男女生み分けは認められていませんが、近年、タイへ渡って生み分けをする日本人夫婦が増加しています。2012年には、タイに渡航して生み分けを行なった日本人夫婦が少なくとも90組いたことが新聞で報じられました。生み分けにかかる費用は、タイへの渡航費も含めて150万円くらいです。

けれども、男女生み分けは、「医療ではなく親の身勝手」との批判が強く、倫理面での議論を呼んでいます。また、受精卵の遺伝子を調べることで、健康に育ちうる胚のみを選ぶことも可能になりました(着床前診断)。

■生殖技術は、利害関係のある「他者」を生む

技術の進展は、二面性を持っています。精子提供が普及すれば、選択的シングルマザーが増えて少子化に歯止めがかかるでしょう。その一方で、子どものアイデンティティ、出自を知る権利はどうなるのでしょうか。また、代理母出産(「借り腹」)や他人の卵子/精子を使った人工授精は、不妊に悩む人を救う一方で、危害を与えうる「他者」を生みます。

生殖医療における「他者」とは、自分の代わりに子どもを生んでくれる代理母や、精子・卵子ドナー、遺伝的なつながりのない子どもを育てるパートナー、そして、生まれてくる子どもたちです。近年の生命倫理の特徴は、議論の当事者が、次第に「不妊に悩む親」から「子」へと拡大しつつあることにあります。

最先端医療技術は、私たちの倫理観、人間観、家族観にどのような影響を与えるのか。このテーマに多くの人に関心を持ってもらいたいという願いから、『生殖医療はヒトを幸せにするのか――生命倫理から考える』という本を出版いたしました(光文社新書)。生殖医療の目新しさだけに注目するのではなく、技術と価値観のあいだに生じる多くの難問について、考えなければならない時代がきているのです。

Eleonora Porcu

進化する卵子凍結の技術とその是非

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