23年の長きにわたってフェラーリの会長を務めたルカ・ディ・モンテゼーモロ氏が、10月13日付での辞任を公式に発表した。プレスリリースによると、後任は親会社であるフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)のCEO、セルジオ・マルキオンネ氏となっている。
自動車メーカーの歴史をトップの就任期間で分けるとしたら、フェラーリにとってモンテゼーモロ氏の退任は間違いなく「一つの時代の終わり」といえるだろう。同氏は、これまで様々な問題についてマルキオンネ氏と対立を繰り返してきたが、つい先週、会長の辞任もフェラーリを離れる予定もないと退任を否定するコメントを出したばかりだった。
モンテゼーモロ氏は、フィアットとフェラーリの両方に長い関わりがある。フィアットでキャリアをスタートさせた同氏は、1973年(その数年前にフィアットはフェラーリの株の半数を取得した)にフェラーリの創業者エンツォ・フェラーリのアシスタントとなり、その翌年、F1のスクーデリア・フェラーリのチームマネージャーに任命される。そこで低迷していたチームを立て直し、輝かしい戦績を残す。やがて同氏は、フィアットグループのレース活動の総責任者に。フェラーリは、1988年の創業者の死をきっかけに再び苦境に陥ったが、モンテゼーモロ氏は91年にフィアットから舞い戻り、社長兼チームマネージャーに就任。以来、同社の実権を握ってきた。
2003年にフィアットのジャンニ・アニェッリ会長が死去した後、モンテゼーモロとマルキオンネの両氏は揃ってフィアットの役員に就任。1年後にはジャンニの弟ウンベルト氏の死去に伴い、モンテゼーモロ氏はフィアットグループの会長に(6年後にアニェッリの実孫、ジョン・エルカン氏に会長の座を譲る)。マルキオンネ氏はCEOとなった。
両氏は長年にわたりフィアットグループの立て直しにそれぞれ尽力してきたが、近年は様々な問題をめぐって衝突するようになった。その一例に、F1でのフェラーリの不振が挙げられる。2008年以降はタイトルから遠ざかっているだけでなく、今季は2人のチャンピオン経験のあるドライバーを擁しながら1戦も勝てずにいる。これをマルキオンネ氏は、許されざる失敗と見なしている。もう1つは、FCA傘下におけるフェラーリのあり方に関する意見の対立だ。フィアットはフェラーリ株の90%を保有しているが、伝統的にかなりの独立性をフェラーリに与えてきた。だが、グループの成長に伴って、マルキオンネ氏は今までのようなフェラーリのあり方に不満を持っていたようだ。結局、モンテゼーモロ氏は10月13日でフェラーリ会長の座から退くことになり、同じ日にFCAはニューヨーク証券取引所への上場を予定している。
既に米ミシガン州オーバーンヒルズに本社を置くクライスラーとイタリアのトリノにあるフィアット本社の2つに時間を割いているマルキオンネ氏だが、これに間もなくイタリア・マラネロのフェラーリも加わることになる。だが、より恒久的な解決策が見つかるまでの間、日常的な業務についてはフェラーリCEOのアマデオ・フェリーサ氏や同副会長ピエロ・フェラーリ氏などの役員に多く任せることになるだろう。
By Noah Joseph
翻訳:日本映像翻訳アカデミー
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(2014年9月13日Autoblog日本版より転載)