メルマガ配信といえば「まぐまぐ」だが、2015年3月に新代表として松田誉史さんが就任した。じつは松田さん、まぐまぐを2度退職している。ウノウへの転職や起業を経て、出戻りで社長に(!)異色な経歴の持ち主だ。松田さんのキャリア選択における軸とは? そして「出戻り」の新しい可能性、メリット・デメリットに迫った。
理系出身の変わり者? 2度の出戻りで「まぐまぐ」の社長へ
インターネット黎明期より事業をスタートさせ、現在、1000万人以上の方が利用する日本最大級のメルマガ配信サービスを提供する「まぐまぐ」。じつは人材面でもユニークな登用を行なってきた。
2015年3月に松田誉史さんが新しい社長へ。この松田さん、じつは2度もまぐまぐを退職しており、出戻りで社長になった。1度目は技術者集団「ウノウ」で働いてみたいと退職後に出戻り。2度目は起業するための退職した後、2014年に戻り、2015年3月に社長就任となっている。
一見するとキャリアの選択における軸、共通項が見えづらい松田さんだが、大切にしてきたこととは一体?そして出戻りのメリット・デメリットとは?
【プロフィール】
代表取締役社長 松田誉史
徳島県出身。岡山大学理学部 物理学科卒 大学院中退。地元岡山の地盤対策企業に営業志望で入社。2004年に"インターネットに携わりたい"という思いから「まぐまぐ」へ転職。大手米系ECサイト提携など事業開発、有料メルマガサービスのシステム開発に尽力。その後、ウノウに転職し、「フォト蔵」運用などに従事。2007年11月に要請を受けて「まぐまぐ」に再入社。企画開発部に所属し、オンラインレッスンや電子書籍や音声・動画ファイルなどを販売できるサービスなどの企画・開発を担当。再び「まぐまぐ」を退職し、起業を経験。2014年、再々要請により再々入社。2015年3月に代表取締役社長に就任した。
あったのは好奇心。技術者集団「ウノウ」で働いてみたかった
― まぐまぐに入社してウノウに転職、そして再びまぐまぐに。これが1度目の出戻りですよね。ウノウといえば、現メルカリの山田進太郎さんが創業し、Webスタートアップとして日本で先駆け的な会社かと。どのような経緯でウノウに入社したのでしょうか?
私がウノウに入社した2006年前後、はてな、Amazon、Google...と、Web系の会社が注目されており、エンジニアにも焦点があたった時代でした。そんな中で、ウノウがやっていた「ウノウラボ」を見て、これは面白そうだぞ、と。
当時、自分たちの知識・ノウハウは外に出さないことが当たり前だったのに、ウノウはどんどん実名で情報を発信しており、かなり衝撃的で。入社した後も、影舞やtracなどのバグトラッキングシステムを使っていたり、ペアプログラミングをしたり、本当におもしろかったし、凄く勉強になりましたね。何より代表だった山田進太郎さんの度量の深さがそこにあったんだと思います。
働くみんなにエンジニアリングに対する理想もあり、コードの美しさを求めるのが当たり前。プロトタイプも凄いスピードで出来上がる。全員がプロデューサーであり、エンジニアであり...物作りの原点に触れることができました。あれを体験してしまうと他のシステム会社と働けなくなるんじゃないかというくらい凄かったです。何より「技術者を集めてサービスを大きくする」というベンチャーマインド、スピードを感じることができましたね。
面白いことをやり、人が集まれば「会社」はただの箱でいい
― そこから、1度目の出戻りがあったわけですが、どういった経緯でまぐまぐに戻ったのでしょうか?
ウノウに入社して1年経つか経たないかくらいのタイミングだったのですが、当時、まぐまぐで新たに横尾茜という社員が社長になる話がありました。横尾は自分と同じ年齢で、叩き上げで実績を残してきた人物。彼女なら新しいことをやり遂げる確信があったし、少しでもその支えになれれば...と、戻ることにしました。
じつは自身のなかでコンプレックスもあったんですよね。ウノウには芯の通ったすごいエンジニアがたくさんいて、「自分にはやりたいことがない」と。唯一見つけた拠り所は「やりたいことを持った人から頼られる人間になる」ということ。頼られて、手伝えたら、それは幸せだろう、と。それで横尾を手伝うことにしました。
リーマンショックをきっかけに、2度目のまぐまぐ退職を経て、起業も経験したのですが、その時も「絶対にノーと言わない。頼られたら全部やる」を貫きました。こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、まぐまぐの社長を引き受けたのも、この考え方が根底にあったからですね。
― 普通、2回も会社を辞めていたら、戻るのも気まずいですし、まして役員や社長になることなんてあり得ない気もします。
まぐまぐは懐が相当深いんですよね(笑)辞めた後もメンバーたちとたまに会って飲んでいたし、人間関係や風土のユルさもあるのかもしれませんが、ヘンな線引きがない。別に確執があって辞めたわけでもない。面白いことをやって、人が集まっていればいい。「組織」や「会社」は、もうただの箱でしかないという思いが、今は強くなっています。やりたい事がそこにあって、終わったらまた外に行って、やりたいことがあればまた集まって。今回もたまたま足りなかったピースの一つが、自分だったというだけなんです。
実際、終身雇用が約束されている企業に入るのはほぼ不可能に近い時代ですよね。もしかしたら、午前中はA社で仕事して、午後からB社で別の仕事をして...こういった働き方が当たり前になってくるのかもしれません。
そこにやりたいことがあるか、一緒に働きたい人がいるか、この軸で見ていけばいいのではないでしょうか。「会社」や「組織」という軸だけで線引きするほうがもったいないですよね。
― 人材の流動性が高まるという見方ですね。同時に経営者として「出戻り社員」をどう活用するか? ここも大切かと思います。出戻りのメリット、デメリットについてはどうお考えですか?
組織としてのメリットはわかりやすくて、「出戻り社員」は業務や仕事のやり方を既に知っているので教育のコストがかからないこと。しかも、外から知識やノウハウを持って来てくれるので、大きな資産になります。
社員個人としても、気の知れたやりやすい人たちと仕事ができるメリットがある。しかも「外ではこんな感じだった」「やっぱり隣の芝生は青くなかった」「すごい芝生とつながりが出来た」などお土産を持って帰ってくるので、重宝されるし、活躍の機会も増えますよね。
当然、慣れるまでに時間がかかることもありますが、デメリットより、メリットのほうが大きい。ひとつ注意点として外で仕入れた機密情報をしゃべらないことかな。情報の取り扱いには十分注意を払ったほうがいいです。
宇宙の歴史から見たら、「仕事」の時間は一瞬の花火
― 「やりたいことがないことがコンプレックスだった」という話がありましたが、どういったことが仕事のモチベーションになってきたのでしょうか?
なんでしょうね...おもしろい業界にいる、これは凄く幸せなんです。インターネットとそれに派生する話、全てがおもしろい。IoTも、VRも、360度動画も、モータリゼーション2.0も、インターネットとつながっている世界がおもしろくて仕方ないんですよね。
― インターネットのおもしろさ、その根底には何があるのでしょう?
夢が叶う可能性だと思います。本当に死ぬまでにやりたいことって宇宙の端っこを見ることなんですけど、生きている間に見ることができるか、そもそも端っこがあるのか。この夢が叶うのは本当に先です。しかし、インターネットは映画に描かれてきたような近未来が明日にでも実現するんじゃないか、と。夢に近づいていることにすごく大きな感動があります。今年、2015年10月21日はバック・トゥー・ザ・フューチャー Part2の舞台です。実現しなかったことも多いですが、技術はどんどん近づいていますよね。
― 学生時代、宇宙線の観測を専攻されていた松田さんならではの視点ですね。最後に、抽象的な質問ですが、松田さんにとって「仕事」とは何でしょうか?
難しい...永遠のテーマですね(笑)若いころは「生きるため」と言っていましたが、もう生きるためじゃなくなっている気もするし...。
少し話は逸れてしまうかもしれませんが、宇宙が誕生して140億年と経っているわけですが、人生って80年ぐらい、仕事をするのは40年ぐらいですよね。意外と短いと僕は感じています。その短い時間の中で、「どんな花火を打ち上げて楽しめるか」仕事ってそんな一瞬の花火みたいなものなのかもしれません。
― 花火ってみんなを驚かせて、幸せにするものですよね。
確かに...そう言われてみるとそうですね。その言葉いただきます(笑)
― たった一瞬に全てをかける花火にはロマンがありますし、限られた時間のなか、1日1日をムダにできないということも感じました。本日はありがとうございました!
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