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2018年07月06日 12時56分 JST | 更新 2018年07月09日 18時23分 JST

子どもの才能の見極め方

アスペルガーの子をもつ一人の親目線から共有してみたいと思います。

Ippei Naoi via Getty Images

そもそも論として蟲愛づる娘に才能はあるのか

我が家の蟲愛づる娘が参加している東大先端研のROCKETプロジェクトは、「異才発掘」と銘打っているとおり、「特異な(ユニークな)才能を有する子ども達」がターゲットです。こういうプロジェクトに応募を検討したということは、父として「我が娘には才能がある」と思っている前提になります。

でも実際、「おたくのお嬢さんは絵がお上手ですね~」などと褒めてもらっても、「そうです、うちの子には才能があるんですよ」なんて普通は言いません。この国の謙遜文化というか、褒められたときに全力否定する文化に倣って「いえいえそんなことないですよ~」と答えておくのが無難だということぐらいはわきまえております。

しかし、正直なところ「果たして我が家の蟲愛づる娘には本当に才能があるのか?」という問いに対しては、はっきり「ある」と思います。いや、親として「ある」と思うようにしてますし、娘にも「ある」と言い聞かせて育ててきました。

子供の頃ママはこう言った

「私たちは生まれたときからみんなスパースターよ」

......

「そのままの自分を愛するのはいいことよ」

「だって神様はあなたを完璧に創ってくれたのよ」

「だからちゃんと前を向いて前に進むの」

──Lady Gaga, "Born This Way". [1]

私は何もピグマリオン効果を狙っているとかいうわけではなく、長い不登校期間のなかで傷ついてしまった娘の自尊心を少しでも回復させたいという親心から、ごく自然にそうしてきただけです。まして、PTAにおけるママ友・パパ友との空気の読み合いや実家の親戚の集まりでの腹の探り合いならいざ知らず、ここは何のしがらみもないネット上です。いくら国会で共謀罪が可決成立したとはいえ、この程度の言論の自由は保証されていることと存じます。

一方で、このような「娘に才能はありまーす」と記者会見を開きたい気持ちとはまた別の次元の話として、学問的見地から「すべての子どもには才能がある」と考える立場もあり、「才能を見つけて育てる」方法を研究している方々もいます。以下では、このところ個人的に注目している教育心理学者の松村暢隆氏、児童精神科医の杉山登志郎氏の著書で紹介されている「MI理論」を中心に、子どもの「才能」の見極め方について、アスペルガーの子をもつ一人の親目線から共有してみたいと思います。

「すべての子どもには才能がある」という定義

「才能」という言葉は、使われ方によって良い意味にもイヤラシイ意味にも聞こえるから不思議です。子どもの才能≒IQ≒偏差値≒学歴≒生涯年収・名誉・結婚相手などと連想される文脈においては、親同士の会話に出てくるやいなや、私の心にも尊敬・羨望から妬み・嫉み・やっかみなど様々な感情が誘発されてきます。ただ、発達障害をもっている児童のように、認知や機能の凸凹によって得意・不得意がはっきりしている場合、その子にとっての得意分野を「才能」と呼ぶことにはそれほど抵抗はないでしょう。[2]

また、 「才能のある子」について「天才」「秀才」「英才」最近では「ギフテッド」といった呼び方もあります。杉山登志郎は『ギフテッド』のなかで、アメリカではGifted(天才)、Talented(才能)、Outstanding Talent(突出した才能)、2E=Twice Exceptional Children(2重に例外的な児童)など様々な用語が使われてきたことを紹介し、次のように提唱しています。

しかし著者としては「与えられた天賦の凸凹」という意味を込めて、ここではギフテッド(天才)ということばを用いたい。 [3]

あれ?と思った方もいるでしょう。ネット上で検索すると「IQ≧130がギフテッド」などとする出典不明の情報もヒットしますが、実は、アメリカでIQだけを基準にギフテッドを選抜していたのは数十年前のことなのです。今はIQに加えて、能力の凸凹のある子どもの多面的な要素を考慮するべく、現在進行形で様々な方法が模索中のようです。 [4]

このように見てくると、「才能」とか「ギフテッド」といっても、どう定義するかによって、どうにでも解釈できそうです。だったら、発達の凹みにばかり目くじらを立てて将来を悲観するより、どうせなら、せめて親の心の中ぐらい「うちの子はギフテッドだ」と思っていたほうが毎日が楽しくなりませんか?松村暢隆は『本当の「才能」見つけて育てよう』で、こう訴えています。

「すべての子どもには才能がある」というのは、その意味づけ(定義)によっては正しいといえます。......集団の中で上位にいるかという他人との比較ではなく、「すべての子どもは、他のものよりずっと興味をもって、その学習に没頭できる、そして上達する何かが必ずある」という意味で「どの子にも才能がある」というのは正しいのです。その才能は目覚めて育つ日を待っています。 [5]

ここに「学習」ということばが出てきますが、これは何も学校の勉強に限定されるものではありません。例えばモテたい一心で初めてギターを手にした少年が、GだのDだの簡単なのから始まって、Fの壁やらBの壁にぶつかりながらも何とかひと通りコードを押さえられるようになるプロセスなども、ひとつの立派な学習といえるでしょう。 また、赤ちゃんのときは「アリしゃん」から始まって、幼稚園ごろには「ちょうちょ」や「が」などだんだん見分けがついてきて、小学生ともなると「シラホシハナムグリ」と「シロテンハナムグリ」の識別ができるようになる、というのも学習に没頭している状態です。

私が親バカを顧みず、あえて「我が子に才能がある」と豪語するのは、こうした根拠によります。

では、その「才能」をどのように見極めたらいいのか。「娘ちゃんはいいですね〜、絵も上手くて昆虫博士で。それに比べてうちの子は......」とよく言われます。しかし、我が家では意識的にせよ無意識的にせよ、娘の得意分野を積極的に発掘するべく色々と試行錯誤してきました。それをただ「天賦の才能」と片付けられるのも違和感があります。また、上述の松村氏も「どの子にも才能がある」と言うからには、「子どもの才能の見極め方」のツールも用意しています。ここでは、そうした研究者たちが提案している方法論のなかから、親子で比較的簡単にできそうなものをご紹介したいと思います。

多元的知能(MI)理論による才能の見極め方

我が子がADHDや自閉症スペクトラムなどの発達障害系と診断された方はご存知かと思いますが、児童のIQつまりWISC検査の結果として算出されるスコアは、結局のところ偏差値です。受験の目安に使われる偏差値とは、平均点の偏差値を50とするか100とするかや、標準偏差の大きさなどの違いはありますが、その子の知能を他の子たちの集団と比較して算出する「相対評価」である点では同じです。

日本でも「ゆとり教育」が待望されていた時代には「子どもたちを偏差値で輪切りにするのは良くない」と国を挙げての大合唱だったように、IQの本家アメリカでも1980年代から、「限られた能力しか測定しないIQテストでは、人間の幅広い能力の一部しかとらえられない」という批判がおこりました。そこで提案された様々な対案のうち代表的なものが、ハワード・ガードナーの「多元的知能(MI)理論」です。 [6, 7]

MIは"Multiple(多元的) Inteligence(知能)"の頭文字で、ガードナーは「知能」を「文化的に価値のある問題を解決したり、成果を創造する能力」と定義しました。いわゆる文系・理系的な分野の能力も、芸術やスポーツの才能も、「知能」として平等に尊重しようというわけです。その上で、「人間の知能は全体として八つの知能が組み合わさって作用する」として、それぞれの知能に関係する能力は次のように分類されます。 [8, 9]

  1. 言語的知能

    話しことば・書きことばへの感受性、言語学習・運用能力など

  2. 論理数学的知能

    問題を論理的に分析したり、数学的な操作をしたり、問題を科学的に究明する能力

  3. 音楽的知能

    リズムや音程・和音・音色の識別、音楽演奏や作曲・鑑賞のスキル

  4. 身体運動的知能

    体全体や身体部位を問題解決や創造のために使う能力

  5. 空間的知能

    空間のパターンを認識して操作する能力

  6. 対人的知能

    他人の意図や動機・欲求を理解して、他人とうまくやっていく能力

  7. 内省的知能

    自分自身を理解して、自己の作業モデルを用いて自分の生活を統制する能力

  8. 博物的知能

    自然や人工物の種類を識別する能力

余談ですが、IQという考えの背後には、ピアジェの「発達段階説」に代表されるような、「人間の認知機能は、誰でも同じ道筋をたどって、段階的に発達する」という前提がありました。こうした立場からは、「子どもの知能の発達には速度があり、相対的に速い子は〈優秀〉、遅れている子は〈障害〉」というとらえ方が、必然的に導かれます。

これに対し、MI理論の興味深いところは、IQのように子どもの能力を最終的に一つの偏差値として割り出して、「130位上なら優秀」「70未満なら障害」などと輪切りにしたりしないという点です。「言語理解と処理速度との得点差が50近くありますから発達障害ですね」などと、得意・不得意の凸凹に対して「障害」のレッテルを貼ったりもしません。MI理論では単なる「個性」であり、「才能」なのです。

ただ、こうした理論的性質のため、残念ながらMIには、IQのように客観的な測定基準も、得意な知能を完全に見分ける方法もありません。

子どもが学習している姿を観察することが、

その子の得意なMIを見分ける最適な手がかりである

と松村氏は言います。でもこれ、なかなか年月と根気を必要とする作業ですよね。そこで、教育心理学の専門家でないわれわれのために、松村氏が「MIテスト」を試作して用意してくれています。 

簡易MIテスト©松村博士

できればお子さん自身に質問してみて、本人が主観的に当てはまると思っているものにチェックをつけて下さい。(低学年や小さいお子さんの場合は、質問の意味を易しく言い換えて質問する必要があるかもしれません)

いかがでしたか。もっとも、松村氏自身、このMIテストは厳密に客観的な性質のものではないので、「当たらずとも遠からず」と認識しながら日常の観察の目安として活用することを薦めています。ちなみにこれら八つの知能には、それぞれの知能を活かした場合の代表的な職業が挙げられています。[10]

◆言語的知能 ⇒ 作家や演説家、弁護士

◆論理数学的知能 ⇒ 数学者や科学者

◆音楽的知能 ⇒ 作曲家や演奏家

◆身体運動的知能 ⇒ ダンサーや俳優、スポーツ選手、工芸家

◆空間的知能 ⇒ パイロットや画家、彫刻家、建築家、建築家、棋士

◆対人的知能 ⇒ 外交販売員や教師、政治的指導者

◆内省的知能0⇒ 精神分析家、宗教的指導者

◆博物的知能 ⇒ 生物学者や環境・生物保護活動家

ここでの注目したいのは、「身体運動的知能」にダンサーと工芸家、「空間的知能」にパイロットと画家という、それぞれ一見全く異なる方向性の職業が同列に並べられている点です。親はよく、子どもの才能と将来目指すべき職業とを直結して考えがちですが、MIはあくまで現在の潜在的な能力・才能を探ることに焦点を絞っているようです。

 

このように、MIからは偏差値的な能力の優劣とは違った尺度から、子どもの才能を見つけるためのヒントが得られます。IQのような従来の検査結果と、MIテストから見えてくる傾向とを併せて考慮にいれることで、より多面的に子どもの素質・才能を見出すヒントになるでしょう。

ここでは簡単にしか紹介できませんでしたが、MI理論では、より具体的に子どもの得意な活動や苦手な行動に気づくための「観察のガイドライン」があります。この他にも「学習のつまづきのある子」とそうでない子との違いを分析し、特に学習面に注目して優れた能力を見つけるためのチェックリストなども用意されています。興味のある方はぜひ、松村氏の著書『本当の「才能」見つけて育てよう―子どもをダメにする英才教育』をご参照下さい。

蟲愛づる娘のMI

一例として、蟲愛づる娘のMIテストの結果はこうなりました。

小包中納言

 図1:松村博士によるMIテストの検査結果の一例

 

比較のため、過去2回のWISC検査の結果もあわせて載せておきます。

小包中納言

 図2:児童向けウェクスラー式知能検査(WISC)の検査結果の例 

 

これらを比べてみると、いくつか興味深い点に気づきます。まず、知能検査では「言語理解」が最高得点だったのに対し、MIテストでは「言語的知能」はあまり得意ではないことがわかります。次に、MIからは「博物的知能」「内省的知能」という項目が高得点ですが、これらの指標は知能検査だけでは発見することができなかった、見過ごされていたという点です。

昆虫だけでなく医学や図形にも興味があり、『子供の科学』を愛読している娘をみていて、漠然と「科学に興味があるのだな」とは思っていたのですが、同じ理科系でも数学と環境保護活動とは必要となる能力もアプローチも大きく異なります。確かに、庭園の草むらをかき分けてイモムシや甲虫を同定している姿は博物学者のそれであり、紙と鉛筆でゴリゴリと計算を進めていく理論屋タイプではなさそうです。

一方で、典型的な「地図の読めない女」としての迷子っぷりを時折見せつけてくる他は、概ね空間的知能も高く、平均的な身体運動的知能として手先を器用に動かすのが好きなので、絵筆や彫刻刀を持たせると凄い勢いで迷いのない作品を次々に作り上げていきます。増減表をもとに高次の関数をいかに滑らかにグラフに描くか以外、パパは全く絵心がないのですが、学校の先生やアトリエの先生からはおかげさまで「才能の塊」「将来が楽しみね」とのお言葉を頂いております。

三歩下がって娘の影を踏まず

こうなると親としては、「この才能を潰してはいけない」というプレッシャーに苛まれるようにもなりますし、「何なら外資系コンサルか広告代理店にでも就職して老後の面倒をみてくれい」という邪念も生まれてきてしまいます。我ながら情けない限りですが、そんな私の気負いを見越してか、職場の先輩の外国人からその国での子育ての心得を聞かされ、いまでも胸に残っているアドバイスがあります。

それは、ある虫好きの少年の話。お父さんがハイキングや山登りに連れて行くと、決まって少年は少しでも珍しい虫、まだ見たことのない虫を求めてどんどん先に歩いて探索します。そんな時、お父さんは決して少年の前を歩かなかったのだそうです。常に少年の歩きたい道、行きたい方へと後に続き、少年の指差す先を観察し、新しい虫の名前や、どんな特徴があるのか、少年から教わり、一緒に考えました。その少年は、今その国で最も有名な昆虫学者になりましたとさ。

以前はとかく、「この子は将来どういう道に進ませようか」と肩に力が入りがちな私でしたが、ライブラリ・スクールの行き帰りの道では、「三歩下がって娘の影を踏まず」を肝に銘じる毎日です。親の目指す「才能」というゴールポストに子どもをねじ込んだ結果、振り向けばオフサイドフラッグが上がっていた、なんてことのないように。

(2017年6月13日 AS Loves Insects - 小包中納言物語「子どもの才能の見極め方」より一部修正して転載)


Refereces

[1] Lady Gaga Japan, 和訳あり!レディー・ガガ、『Born This Way』の全歌詞を発表!

[2] 杉山は「発達凸凹+適応障害=発達障害」と定義する。つまり、認知や機能の凸凹特性は、それ自体が障害なのではなく、適応障害を併発して初めて発達「障害」と呼ぶべきであるとしている。

[3] 杉山登志郎・岡 南・小倉正義『ギフテッド 天才の育て方 』、ヒューマンケアブックス、学研(2009)14-15頁。

[4] 小倉「2Eの子どもへの教育」、杉山(2008)、141-3頁。

[5] 松村暢隆『本当の「才能」見つけて育てよう―子どもをダメにする英才教育』ミネルヴァ書房(2008)91頁。

[6] 黒上晴夫訳『多元的知能の世界―MI理論の活用と可能性』に倣った。従来は「多重知能」の訳語が広く用いられているが、MIチャートが多次元空間で表現されることからもわかるとおり、多次元を意味する「多元的知能」という訳語のほうが原義に相応しいと考えるからである。以下、本ブログでは松村博士による著書からの引用にも「多元的知能」の訳語を用いる場合がある。

[7] 松村(2008)106-7頁。

[8] 松村(2008)108頁。

[9] 実際には、その後ガードナーは「霊的知能」「実存的知能」も加えたらしいのだが、松村氏がこの点をスルーしているのは、MIが人口に膾炙していない段階では、極めて思慮深い判断と思われる。要旨が次の資料にある:佐藤 朝美「多元的知能理論とは?──Theory of Multiple Intelligence (MI) ──」、MISAWA&コビープレスクール&東京大学 第1回勉強会資料(2010)。( PDF

[10] 松村(2008)108頁。