上海の高齢化に学ぶ

上海でも、高齢化対策について学ぶべきことが沢山あると改めて気付かされたのです。

私は、福島県南相馬市の南相馬市立病院に勤務している、クレア・レポードと申します。

イギリスのエジンバラ大学で国際保健・公衆衛生学の修士課程に2014年からの在学期間中、大変幸運なことに坪倉正治医師の知己を得て、南相馬の研究チームに参加することが出来ました。修士論文を書き上げるために滞在した今春の3ヶ月間が最初でしたが、卒業後、南相馬市立病院で常勤として働き始めています。

通常は福島にいますが、中国で最も有名な大学の一つ、上海復旦大学の公衆衛生学の教授の先生方との共同研究立ち上げの話があり、2015年10月に上海を訪問する機会が得られました。中国は急速な経済成長と都市化が進行しており、医学研究においても数え切れないくらい多くの課題が出て来ています(参考文献)。東京大学医科学研究所と福島県いわき市のときわ会の多大なる援助も頂き、今回私たちのチームは中国の研究者と一緒に仕事をする素晴らしいチャンスに恵まれることが出来ました。

上海では、趙根明教授と姜慶五教授による復旦大学の研究チームから厚いもてなしを受け、中国での新しい研究分野について学ぶたくさんの機会を頂きました。

世界の中でも上海と東京は飛び抜けて急速な高齢化を遂げつつある大都市であり、日中双方の研究チームで注目すべきトピックは高齢化であることが鮮明になりました。上海でも、高齢化対策について学ぶべきことが沢山あると改めて気付かされたのです。

復旦大学の方々に案内して頂き、養護老人施設や病院などを訪問したのですが、嘉定区の養護老人施設の居住者に提供されているケアの質の高さには驚きを禁じ得ませんでした。嘉定区は上海の中心部から1時間程離れたところにある、典型的な郊外の大きな住宅地です。けれども、ありきたりな郊外の町のように見えながら、嘉定区の養護老人施設は世界の模範となり得るようなものでした。

この施設では、公園のような7.7万平方メートルの広大な敷地に、それぞれのケアの必要性に応じて、異なるサービスの選択肢が用意されていました。中央棟では要介護者用に250床、要介助者用に274床、また敷地内には最大152床まである独立した居住施設が設けられていました。

施設の運営には80名の職員が従事しており、そのうち医師3名、看護師2名、看護介護士46名、薬剤師1名ということです。施設では多くの活動が入居者向けに提供されており、その幾つかを見学させて頂きましたが、参加している入居者の方々のこぼれるような微笑みを見ると、今回の訪問で最も心が洗われるような思いがしたものです。様々な面で入居者が楽しむことが出来るよう、カラオケやスピーチ大会、絵画や書画といった手作業などのイベントが常時開催されているようでした。

すると、イギリスでの老人施設で私の祖母を訪問したときのことを考えずにはいられませんでした。

建物は清潔で明るいのですが、入居者に提供されている活動の面では随分制約がありました。様々な活動ができる場所というよりも、時間が完全に静止した場所のように見えたのです。私の祖母の施設にいた認知症のご婦人方のことをよく覚えているのですが、何時間もドアが開いたり閉じたりするのを眺めながら、建物の出入り口ロビーの所にただ坐って日がな一日過ごしていたのです。

入居者が外に出る機会は限られていますし、そもそも簡単に外に出られるような通路も作られていません。嘉定区の養護老人施設の広大な庭園に立って、木立の周りを飛ぶ鳥を眺めながら、私は複雑な気持ちになりました。

私のおばあちゃんがこのような施設で過ごす機会を得られなかったことを残念に思うと共に、介護分野にはまだ世界に向けた未来がある、という希望です。「学ぶことはまだまだ沢山あるんだ」と、私は何度もそう考えました。

老人介護にかかる費用をどう賄うかは、どの国でも大きな問題となっています。

イギリスでは祖母のような施設の入居者の場合、国民保健サービス(NHS、イギリス国営の公的保健医療を提供する事業)が支払いを認可するような重篤な医学的障害がない場合は、入居費用を個人的に支払う必要があります。嘉定区の老人介護施設も個人的な支払いは必要とされますが、費用が低額で済むように政府が財政的な支援を行っています。両国の施設とも同じような財務計画で運営されていますが、入居者の生活スタイルは完全に違う形になっているようです。

高齢者に提供されるケアの質に格差があることは、世界的に高齢化が進む中でもっと議論されてよいように思いますし、私が今回挙げたような2つの事例を大きく超えた格差が存在しているであろうことは容易に想像されます。入居者が存在意義と尊厳を持って高い質の介護を受け生活できるようにすることが、達成困難な目標であることは論を待たないでしょう。ほとんどの国で、このような希望は財政的な面から妥協せざるを得ないのです。

上海は経済成長に加え、公的部門に支出することに利点があると考える地方政府に恵まれています。社会的な資源が正しく使われれば、高齢者向けの施設や介護がどのようになるかの良い具体例になるのが、嘉定区の養護老人施設なのだろうと思います。

恥ずかしながら、私の祖母が昨年養護施設に移るまでは、高齢者のケアについて真剣に考えたことはありませんでした。上海を訪問した後で、私はそれぞれの国で高齢者のケアの現状、さらにはその将来像について、一層の興味を持つようになりました。世界的に高齢化は進行しており、増加する高齢人口に最も良い生活の質を提供する方策を見つける必要性は高まっています。

イギリスと上海で私が経験した例は飽くまで限られた事例にしか過ぎず、それぞれの国全体を代表しているというわけではありませんが、より深く考えるための出発点にはなります。少なくとも、庭園、木立や鳥といった実例を見たあとでは、私の両親や祖父母世代の方々が、閉ざされたドアの後ろに坐ったままの生活で十分だと主張するようなことはとても難しいと、確信を持って言えるでしょう。

文献

ランセット:中国の健康保険改革の壮大な目標をどう達成するか。Lancet 2015;386:1419.

2015年11月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

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