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2018年10月31日 11時05分 JST | 更新 2018年10月31日 11時05分 JST

岩手県の患者さんをないがしろにできない。葛藤の末の決意

24時間365日医師として生きている父のことは一生理解できないと思っていました。

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医師8年目の亀井將人先生は長年、岩手県にある実家の医院を継ぐことに大きな葛藤を抱え続けていました。その理由は、医療とは真逆のやりたいことがあったから――。現在、葛藤を乗り越え、医師としてのスキルアップをしている亀井先生の想いの変化を伺いました。

―最初に医師になった経緯を教えていただけますか?

父が岩手県で医院を経営しており、一人っ子だったので将来的には実家を継がなければいけないと自然に思うようになりました。そして、いつしか医師になるレールの上に乗っていました。ところが、大学に入学する頃から医師とは別のやりたい事の存在が大きくなり、長年大いに葛藤しましたね。それゆえ医師一筋の父とはうまくいかない時期もありました。

―やりたいこととは、どんなことだったのですか?

舞台のイリュージョンなどを手掛けるマジックの仕事です。

幼稚園の頃に、テレビで見たアメリカの有名なマジシャンに憧れて始めるようになりました。最初は百貨店のおもちゃ売り場に売っているような手品から始めて、イリュージョンの設計製作から指導、そして研修医の頃には大きな会場を借りて自ら演出したショーを開くまでになりました。医師になってからは「さすがにこの先、趣味の時間はほとんど取れないだろうからイリュージョンは続けていけないだろう」と思っていたのですが、どうしても諦めきれずに続けていました。

ところがちょうど初期研修が修了する頃に、アメリカ・ブロードウェイミュージカルのイリュージョン演出の仕事が舞い込んできたのです。趣味で続けていたことが仕事になり、まるで夢のようでした。今では医師8年目になりますが、医師として日々忙しく過ごしつつ少しでも時間が空けばイリュージョンの仕事をする、そんな生活を続けています。

―二足のわらじと言っても、まるで180度違う世界ですね。その両立には、かなり苦労するのではないですか?

そうですね、確かにすごく大変です。しかしどちらかを中途半端にすることは絶対にしたくなかったので、100%全力で医師の仕事をして、空いた時間のほとんど全てはイリュージョンや舞台に費やしてきました。

初期研修先は順天堂大学附属病院、その後は出身校の岩手医科大学に戻りました。でも初期研修時の上司が取り組んでいた潰瘍性大腸炎の研究に興味があり、再び順天堂大学に戻らせてもらい、研究もして大学院を卒業しました。現在は埼玉県内の病院に出向して検査や治療の研鑽を積んでいます。

このように医師としてのスキルアップをしながら、ブロードウェイミュージカルの演出の仕事などイリュージョンの仕事も続けていたので、いつ寝ていたか分からない時期もありましたね。

ただ初期研修医時代は、二足のわらじだったからこそ乗り越えられた部分もありました。初期研修中は毎日目の前のことをこなすことに精一杯で、その状況が長期間続くと精神的に潰れそうになってしまう時があるんです。

しかし、私には現実と向かい合わなければいけない医療の世界とは真逆の世界での活動もあったので、自分の中で色々なバランスが取れていました。ハードな生活でしたが、やりたいことを続けていたからこそ心の休まる場所があり、どちらにも100%全力投球ができていたように思います。

―今後はどのような形で働き続けようと思っているのですか?

実家の医院を継いだ時に恥ずかしくないだけのスキルを身につけて戻ろうと思っています。それに、規模は変わったとしてもイリュージョンや舞台も辞めるつもりはありません。ただ正直に言うと、この二つの世界で生きていくことにまだ気持ちの整理はついていないところもあります。しかし半年ほど前、心境が少しだけ変化しました。

つい1年ほど前までは、自分とは真逆で24時間365日医師として生きている父のことは一生理解できないと思っていました。だから長年まともに話もできていなかったんですね。そして実家の医院を継ぐことに対しても、積極的な気持ちを持てずにいました。

ところが昨年、父が体調を崩したため実家の医院を手伝ってほしいと言われて半年ほど実家を手伝わせてもらったのです。私が医師になってから約10年、週末に手伝いに行こうとしても「まだお前には務まらん」と言われていたので、これが実家の医院での初めての勤務になりました。

この時、地域医療の大変さ、そして父の偉大さを痛い程に感じたのです。さらに「この医院を潰すわけにはいかない」と、初めて思うようになりました。

実家の医院の外来診療では、一日に150人前後の患者さんを診ていました。そして毎日何十人もの患者さんから、「あ~、やっと戻ってきたんだね」と言われるわけです。何十年と通い続けてくださっている患者さんもいました。通院している地域の人たちが私に期待して下さっているのかは分かりませんが、もしそうならばその期待に少しでも応えなければいけないと思いましたし、例えば実家の医院を閉じて、長年通ってくれている患者さんをないがしろにすることなどできないと思いました。そしてさんざんお世話になった父にも一つぐらいは何か恩返しをしないといけない――。

その一心で実家の医院に戻る決意ができました。先程も言った通りまだ完全に気持ちの整理がついたわけではありませんが、180度違う世界にも生きつつ、医師として地域の医療に貢献できるようになりたいですね。

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●医師プロフィール

亀井 將人 消化器内科

1985年生まれ、岩手県出身。2010年に岩手医科大学を卒業後、順天堂大学附属病院にて初期研修修了。岩手医科大学に戻るも、順天堂大学大学院にて研究をするべく再び上京。現在は、順天堂大学附属病院にて研鑽中。