空前の「チョコミントブーム」に隠された日本人の“変化の兆し”【平成食ブーム総ざらい!Vol.1】

初めての出会いはサーティワン
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約30年続いた平成は、2019年の4月に終わりを迎えます。平成にあったさまざまな食ブームを、昔懐かしいものから直近のものまで、作家・生活史研究家の阿古真理さん独自の視点で語っていただきます。

平成は、グルメブームまっただなかに始まり、さまざまな食の流行が起こった時代でもある。そこで、平成が終わろうとする今、私自身の体験を交えて平成30年分の流行をひも解いてみたい。

第1回の今回は、この夏盛り上がったチョコミントブームについて取り上げる。

初めての出会いはサーティワン

私が初めてチョコミントフレーバーのアイスに出合ったのは1982年、サーティワンアイスクリームだった。年をはっきり特定できるのは、その年の夏休み、中学の部活仲間と乗り換え駅前の店に通うようになったからである。

サーティワンアイスクリームは、アイスクリーム大国のアメリカから上陸し、1974年に東京・目黒に1号店ができた。ご存じのようにキャラメルリボンやストロベリーチーズケーキといった、バラエティ豊かなフレーバーが特徴である。そのカラフルさ。味の豊かさ。ほぼ全部、初めての体験ばかりだったが、チョコミントも驚きのアイスだった。

当時、私はミントといえば、チューインガム、歯磨き粉ぐらいしか知らなかった。食べものとは思えない爽やかなミントグリーンの色。清涼感がチョコレートの甘さと交互に来るその味。どちらも初めて知るものだった。

(30数年ぶりに食べたサーティワンアイスクリームのチョコミント。アイスクリームのまろやかさがミントの強い清涼感を和らげ、バランスがよい味だった)

あれから30数年。日本人の食べものに対する感性は大きく変わった。ミントが町にあふれるようになったのは、2000年前後、カフェブームがきっかけだったのではないかと思う。

カフェで提供される、かわいらしいビジュアルのドリンクやデザートには、よくミントの葉っぱがトッピングされているからだ。同じ頃ブームになったベトナム料理でも、お好み焼きみたいなバインセオを注文すれば、フレッシュミントがレタスと一緒に出てくる。

「チョコミントブーム」4つの理由

チョコミントブームが始まったのは、2016年頃から。コンビニやスーパー、アイスクリームその他のスイーツチェーン店で売られるチョコミントのスイーツのバリエーションが増えたのである。

それが2017年8月に「マツコの知らない世界」(TBS系)で取り上げられて人気が加速し、全国的に体温を超える猛暑が続いたこの夏、大ブームとなった。

今なぜ、そんなにチョコミントスイーツが人気となっているのだろうか。そのことについては、先日東洋経済オンラインでも書いたが、簡単に4つの理由を紹介しておこう。

1つ目はラインナップが豊富になり、店頭で目立つようになったこと。

2つ目は、印象的な色である。コントラストが強い色の組み合わせは、インスタ映えもする。

3つ目はここ数年、唐辛子が効いたタイ料理、強炭酸ドリンクなど刺激的な味わいがブームになっていること。

4つ目が、私たちの暮らしがストレスフルになっていること。強烈な暑さにゲリラ豪雨、台風や地震などもある。また、社会も不安定で仕事に困る人たちもたくさんいる。わけのわからない犯罪もある。10人に1人がうつを患う時代である。

でも、そういう厳しい時代に、あえて刺激を求める流行が起こるのは、私たちが厳しさに抗して生き抜こうという意志を持つようになった兆しかもしれない

癒し系がブームで、まったりゆっくり暮らしたいという流行にどっぷり漬かっていた2000年代初めと比べると隔世の感がある。「私たちは生き抜くことができる」、そんな頼もしさまで感じさせるチョコミントブームなのである。

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阿古真理(あこ・まり)

©坂田栄一郎

1968(昭和43)年、兵庫県生まれ。作家・生活史研究家。神戸女学院大学卒業。食や暮らし、女性の生き方などをテーマに執筆。著書に『昭和育ちのおいしい記憶』『昭和の洋食 平成のカフェ飯』『小林カツ代と栗原はるみ』『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』『パクチーとアジア飯』など。

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