サイボウズ式:会社や上司の奴隷にならないためには○○をコントロールせよ

上司殺しのテクニックを書くのが今日の本題ではありません。上司にかわいがられることは、自分の首をしめることと紙一重だからです。

【サイボウズ式編集部より】この「ブロガーズ・コラム」は、著名ブロガーをサイボウズ外部から招いて、チームワークに関するコラムを執筆いただいています。今回はファーレンハイトさんが考える「期待値のコントロール」についてです。

会社において、上司にかわいがられることは必須スキルです。

どれだけ頭が切れても、仲間の信頼が厚くとも、評価を握っているのは上司。これは変えることができない事実です。もし上司に嫌われていた場合、半期でどれだけ頑張ろうと、評価はあらかじめ決められていると言ってよいでしょう。

厳密に言えば、"誰の目から見ても抜群のアウトプット"を明確に上げている場合はその限りではありません。ただ、そういった結果を都度都度上げていくのは容易でないですし、「上」にとっては難癖をつけるのは簡単です。別の基準からマイナスを明示してゴリ押せばいいのですから。そして、その"アンフェアな評価"をチェックする機能がどの会社でも適切に働いているとは言いがたいです。

さて、そういうわけで「上司にかわいがられること」はサラリーマンのスキルとして、良きにつけ悪しにつけ必須といえるのです。逆に言えば、アンフェアな評価の恩恵を受けることができるのですから。

ですが、上司殺しのテクニックを書くのが今日の本題ではありません。上司にかわいがられることは、自分の首をしめることと紙一重だからです。

上司に「目をかけてもらう」と「目をつけられる」は紙一重

私は良くも悪くも「目立ちやすい」タイプの人間です。これはクラスの中心人物キャラ、という意味ではなく、何か言動を起こしたときに、必要以上に他人に可視化されてしまうという意味です(こっそりやってたくとも......)。

わかりやすく言えば、良いことをすると「あいつは派手だなー」と言われ、悪いことをすると「あいつは本当にクズだな」と評価されるタイプなのです。小学生のときにみんなで騒いでいるのに、やたら怒られる子がいたと思いますが、そういうのを想像してもらえば大方当たっています。要は、聴覚的な意味だけではなく、存在として「うるさい」タイプ......!

で、こういったタイプの利点は上司に目をかけてもらいやすい。すぐに「お前、面白い」と注目してもらいやすいんですね。同じことをやっていて埋もれるということが少ないんです。そういった意味では機会に何かと恵まれてきました。

しかし、ある時期からこれがウザくなってきました。

同時に、「目をつけられやすい」ことが息苦しくなってきたのです。同じ程度の失敗は他の人がいくらでもやっているのに把握されてしまっていたり、ほかの人が言われないようなことを直接言われることが多いからです。

会社における成功は、上司の期待に応えること

さて、会社における成功とは何でしょうか?

色々な答えがありますが、「いち従業員」としての王道は、上司の期待に応え続けていくことです。ヒラの時代は係長・課長、課長になったら部長、部長になったら......。出世レースに勝ち残っていくためには、政治力を省けば、基本的には「上」もしくは「上の上」のミッションを忠実にこなしていくこと。

期待に応えれば、次の期待が来る。ムリゲーに思える振りでもガンガンこなしていくことが「勝ち残る」ために必要なのです。

現在、下からの意志が口だけでなくきちんと反映されるボトムアップ型の組織は多いとはいえません。また、自分自身でミッションを作って、それを実践していく自発型の組織もあることにはあります。ですが、大多数の企業はそうではありません。トップダウンで決められたことをこなす(「つべこべ言わずにやる」)ことを求められる企業が多いのではないでしょうか。

話を戻すと、「目をかけられやすい」は期待を受ける機会が多いと言えますが、同時に「目をつけられやすい」ことにより期待はずれと思われる機会も多いのです。一方的に期待をかけられて、それに応えないと「あいつはダメだ」になり得るのです。どれだけ頑張ったところで、所詮はいち従業員のリターンなんか大したことないのに。

期待値のコントロール

私個人は会社において「誰にも負けたくない。評価を勝ち取っていきたい」とは思っていません。仮にその選択をした時点でこういったコラム執筆はできなくなるでしょうし、趣味は仕事に置き換わるでしょう。帰宅後・休日の仕事は今でもやってますが。

期待に応えようと、自分で自分の首を締めてしまうこと。これは本当に恐ろしいです。

このせいで仕事だけではなく、恋人との人間関係でも苦しんでいる人を多々見ます。<期待に押しつぶされる>なんてバカバカしいことです。たしかに期待に応えていく過程のなかで、自己の成長は得られます。他人に喜んでもらうことができます。感謝されます。

ただ、考えるべきは「そこまでして得たいものか?」という自分の本音です。そこを見失うと「やりがい」と「ブラック企業の理屈」が相似するメカニズムという地雷を踏んでしまいます。

「期待」や「信頼」は似ているものです。これらは積み上がっていきます。それ自体は本当に尊い。だけど、同時に、積み上がるほどに崩せなくなっていくものです。一気にすべてをなくしてしまう恐怖を胸に抱えながら、次の一歩を踏み出すことになるから。

だから、「そこまでして得たいもの"じゃない"」場合や、「そこまでする必要が"ない"」場合には、意識的に崩していけばいい。これが期待値のコントロールです。

たとえばいま自分がやっている仕事を生きがいとしてすべてを注ぎ込みたいから。ボーナスの査定を良くして年収を上げたいから。どんな環境でも生きていける自分のスキルを磨きたいから。単純に上司と風通しの良い関係を構築していきたいから依頼は快く引き受けたい。本音でそう思える人はそうすればいい。

だけど、そう思わない人は上司のミッションを<全受け>する必要なんかさらさらないということです。何度かに一回はパーフェクトを目指さずに合格点に達する程度の出来に手を抜けばいい。自分の飲みや、子供との時間―プライベートを優先して退社直前の無茶振りを断ればいい。なんとなく断れなくて、なんとなく自分の時間を削って「これがサラリーマンだ」と甘んじることがいちばん人生の浪費だと俺は思います。

「あいつは頼めばやってくれるやつ」という認識を必ずしもさせないことは自分の身を守ることにもなります。

ただし、極端にすべてを拒絶するのではなく、また、すべてに応えるのではなく。自分のなかの感覚的なバランスを信用しながら、<期待に対する応手>を変えていくということ。これができれば、もっと楽に働けるはずです。もっと楽に生きていけるはずです。

「はたらく」うえで、自己実現・自身への評価・それに対する金銭的なリターン・仕事の充実感・自分や家族のための時間の確保――そういったものをトータルで考え、自分自身の自分に対する期待値をコントロールしていくことも、同時にまた、大事なことなんじゃないでしょうか。

ファーレンハイトさんより普段はブログ「My Favorite, Addict and Rhetoric Lovers Only」、Web媒体「AM [アム] 」で恋愛・人間関係について書いています。サイボウズ式のブロガーズ・コラムでは、仕事・チームワークにおける他人との関係性について何らかの価値を提供できたらと思っています。

イラスト:マツナガエイコ

(サイボウズ式 2014年11月4日の掲載記事「会社や上司の奴隷にならないためには○○をコントロールせよ」より転載しました)