「乙武洋匡さんこそ、日本でもっとも深く多様性について語れる人ではないか」と、サイボウズ代表取締役社長 青野慶久たっての希望で実現した対談。前編で異分子を認めることで実現する、多様性のある社会・組織の魅力について語りあった二人は、やがて、「日本社会が多様性を受け入れにくいのは"ひとに迷惑をかけないように"という思考に原因があるのではないか?」と、疑問を投げかける。
「常識」に凝り固まりがちな価値観をクリエイティブに更新したいと語る二人が提示する、「多様性を受け入れられる社会・日本」の新たな地平とは?
「仕事ができる」というものさしは増えている
乙武:教育も大きく変わるべきだと思うんです。われわれの時代って、いかに暗記、インプットを上手にできるかが重視され、テストで正確に発揮するのがよいとされていました。いまは検索すれば、スマホが全部教えてくれる。インターネットに無限の知識が詰まっている。取り出した情報をどう応用できるかのほうが大事な時代に、いまだに知識を覚えることを重んじている。大きなジレンマを感じています。
戦後は工業化の中で、マニュアルを覚え、正確に、迅速に、他者と同じ作業をすることが求められてきました。けれど、もはやそうした仕事は機械やコンピュータに取って代わられています。
いかにひとと違う発想をできるか、いかにネットワークを築いて多くの情報を取ってこられるかなど「仕事ができる」というものさしが増えているんですよ。 この人にはこういうよさがある、この人にはこういうよさがあると認めることが求められている。けれど教育現場では、いまだに暗記すること、他者と同じ作業を効率よくこなすことがメインの学力とされている。非常に偏っているなと思います。
青野:どこからどう変わっていくんでしょうかね? 工業化社会のなかで管理主義が染み込んだ結果、いま弊害が出ているんですよね。でも、いまだにそんな感覚にしがみついている会社は負け始めている。そういった価値観だと沈没してしまうのではないでしょうか。
一人一人が例外である
乙武:以前、フリースクールを取材したんです。既存の学校に通えなくなった子が居場所を求めて通っている学校です。そこで彼らに学校って何かと聞いたら「社会性を身につける場所だと思う」という言葉が返ってきて、はっとさせられました。
なぜ彼らが既存の学校にはいられなくなったのか、それは社会性とは集団からはみ出さないようにすることだと捉えられているからなんです。
はたしてそれが本当の社会性でしょうか? 社会性とは、「人にはそれぞれ違いがある」ということを認めることではないかなと思うのです。しかし日本ではそうではなく、自分を押し殺し、集団に自分をあてはめていくことだと思われている。 それでは不登校にもなるし、会社で鬱になる人も出てきますよね。社会性を身につけるとは、自分を殺してマニュアル通りに生きていくことではない。「一人一人が例外である」ということに、もっと多くの人に気づいて欲しいんです。
青野:社会って自分みたいなやつだけではないんだというのは、大きな気づきですよね。
乙武:小学校教員時代、保健体育の授業で、思春期について教える単元があったんです。教材に「こうして異性を意識するようになる時期を、思春期といいます」と書いてある。同性愛については一切触れられていないんです。そこで、私は「教科書にはこう書いてあるけど、なかには男の人が男の人を、女の人が女の人を好きになることもある。それは数として少ないかもしれないけど、ちっともおかしなことではないし、からかうようなことでもないんだよ」と子どもたちに伝えました。
たまたま個人的に知識と理解があったからです。でも悪気などなく、それを知らずに伝えられない先生もいるんですよね。それに対し、小学校からそんなこと教えたら子どもたちが混乱するという外部からの指摘もあるかもしれない。けれど、その混乱とはなにかというと、ものごとは単純化しないといけないという考えが透けてみえるわけです。
青野:実は世の中は複雑ですからね。
価値観がぶつかるときにどうする?
乙武:私は、いい意味で混乱させていきたいですね。 私は3人の父親として子育てしていますが、意識的に子どもを混乱させるんです。道徳的な考えや行いを教えて導くことも親の務めかもしれませんが、そこをあえて混乱させる。
例えば、時間を守るということも、困っている人がいたら助けることも、社会規範としてはどちらも大切ですよね。それで長男の小学校入学に際して「自分一人で通学するんだよ」という話をするときに、「決まった登校時間に遅れないように道を歩いているとき、途中で倒れて困っているひとがいたらどうする?」なんてことも聞いてみたんです。 「助けたら学校に間に合わないかもしれない、そんなときはどうしたらいいと思う?」と。長男の答えは「急いで助けて、急いで学校行く!」というものでしたけど(笑)。
子どもの答えが「遅れても助ける」なら、それはそれでいい。「申し訳ないけど、時間通り学校へ行く」でも、私は彼の価値観を尊重します。ただ、そうやって両方大事な価値観がぶつかって自分のなかでどちらかを優先しなければならない場面がいっぱいあるよ、ということを伝えていきたいんです。模範解答なんかない。自分で考えて答えをださなきゃ、と。
青野:面白いですね。模範解答だけだったらなにも悩まないですよね。
乙武:自分はこう思う、と主張しつつ、でも自分とは違う意見も認める。そういう多様性への理解が問われるんですよね。共感はしないけど、理解はする。
「自分もそう思うとは言えないけれど、あなたがそう思っていることは理解したよ」と。これが多様性の原点ではないかと思うんですよ。
青野:自分とは異なる意見に対して、みんなけっこう攻撃しちゃうんですよね。お互いに「それも一理あるよね」でいいんじゃないのということですね。
乙武:そうそう。見下したり排除したりではなく、受け止められるようにならないと。唯一絶対の解なんか存在しないんだから。
青野:攻撃されるから反撃する。それはそれであるよねという風にはなかなかいきませんね。
乙武:日本では出された食べ物を残すのは失礼だという「常識」に対して、残すのがマナーという国もある。
青野:ウサギとカメの話も、国によってはなんで「カメはなぜウサギを起こさないのか、卑怯だ」という考えもあるそうですよ。色々な価値観があって、それでいいんですよね。
乙武:教育現場でも、興味深い事例がいくつもあるんです。中学校で女子が十字架をモチーフにしたクロスペンダントをしている子がいたら、外せと怒られる。でも、キリスト教を信仰する外国籍の子供は着用を許される。信仰のあるなし、そんな目に見えないもので線引きをするのは難しいですよね。先生の判断が問われます。
新しい課題が出てくると、みんなが納得できる解決策を打ち出すのが大変。反発もでるし、労力もかかる。めんどくさいんですよ。だから、そういう「新しい課題」を提示するような存在にはなるべく来てもらいたくない、と排除されてしまう。このあたりも、多様性が進まない一因ですね。
広い視点でクリエイティブに解決する
青野:そういう新しい課題を、クリエイティブに問題解決できると快感ですよね。
サイボウズで副業したいという社員がいたんですが、当時は、副業は原則禁止でした。副業って本業をさぼっているみたいで駄目だと。しかし、みんなで議論してみると、副業って面白いじゃないか、本業とも相乗効果があるじゃないかと。それで「副業やろう!」という話になったんです。面倒くさいけれど、新しい課題から逃げないでみんなで考えたら、イノベーションが待っていたんですよね。
乙武:私の事務所にも、しょっちゅう長い休みを取って海外へ植林に行くスタッフがいるんです。この半年でも、モンゴルに10日間、チェコに3週間、セネガルに2週間行っています。私としては、どうぞどうぞと、彼女を休暇に出すんです。だって、そんな機会なかなかないですよ。「何しに行くの?」と聞いたら、「植林に行く」と。最高じゃないですか。そういう経験を積んできてくれること自体が、うちの財産になりますし、社会への貢献ですよね。
青野:サイボウズにも育自分休暇で青年海外協力隊に参加し、ボツワナにいっている社員がいます。休暇というのは名前で実際は退職ですが、戻ってこられる制度にしています。アフリカで経験を積んで帰ってくるなら大歓迎です。アフリカに進出するときに彼女を使えるぞと。
乙武:Jリーグでレンタル移籍というシステムがありますが、それと同じかなと。強豪クラブでは、期待される若手選手が、1年目や2年目では試合にでられない。強豪チームで学ぶことももちろんありますが、アスリートはやはりプレーしてなんぼでもあるんです。なので、籍は残したままで他のチームに主力として「貸し出す」わけです。すると強豪でもスタメンを担えるくらいの力を備えて帰って来る。
青野:面白い。本当に社会全体がよければいいじゃないかという広い視点をもてるといいですね。
乙武:ただ、そういう言い方をすると、中小企業などは「そんな休暇制度に人やお金を出せる余裕はない」という意見もあるでしょうね。
青野:働き方を多様化しない会社は人気がなくなって採用が難しくなっていくでしょう。少子化の時代は、自分の個性を受け入れてくれない会社は選ばれないんです。
乙武:小室淑恵さん(株式会社ワーク・ライフバランス代表)も、「就業時間を短くしたら企業の業績が上がる」と証明されていましたよね。サイボウズにも、「多様性を実現したら、会社の業績が伸びたよ」と実績をつくってアピールしてほしいんですよ。
「多様性を実現しましょう」という道徳的なスタンスでは、特に生き馬の目を抜くようなビジネスの社会ではなかなか浸透していかないと思うんです。だから、「成功には多様性が必要なんだ」という実例をつくっていかないと。そうすれば、他社も追随していくでしょう。いかに「綺麗なお題目」にしないで、世間的に受け入れられるテーマにできるか。そういうフェーズに入っていると思うんです。
青野:プレッシャーですね......。ですが、社会に必要かつ有益なことだと思わせたいです。この会社が世界に示せる可能性はあるんじゃないかな。逆に僕らが失敗したら、多様性はやっぱりだめだと言われかねないので、そこは決して負けたくないですね。
暴力ではなく話し合いで
青野:乙武さんがポリタスの『戦後70年特集』に寄稿された「息子たちへ」を拝読しましたが、いいですね。「暴力で従わせるってどうよ?」と語りかけているところが響きました。安保が話題になりましたが、まずいのは「暴力」だよねと。力づくでいうことをきかすのはやめようと。乙武さんの、本質を突いたシンプルな言葉に感動しました。
乙武:あの文章で伝えかったことは2つあって。1つはもちろん、「暴力で解決するのはダメだよね」と。でも、その前段として伝えたかったのは、「いさかいは起きるよね」ということです。
多様性に富むなら、いさかいは起きるものなんです。違いがあれば主張が違うのは当たり前です。そこを暴力ではなく話し合いで着地点を見出していこうというのが、人類が追い求めてきた知恵ですし、理想です。そこに向かうことを諦めたらダメだよね、ということを書きました。
青野:国益や主張が違うのは当然ですもんね。多様性を受け入れて、その解決手段は暴力ではなく、話し合いでと。そこをもうちょっと人類が頑張って取り組んだら、多くのことが解決に向かいそうですが、あんまり取り上げられないですね。
多様性のある社会の実現はなんのため?
乙武:最近、自分が抱えてきた一番の悩みに答えを出したんです。自分はなぜこんな矢面に立って批判されながらも、ずっとこういうことをしているのかな?と。自分としては社会のためでもあると思って活動しているけれど、根源的には自分のためだなと。
たとえば同性婚など、「多様性のある社会はいやだ」という人たちからの抵抗がある中で、多様性を実現することが果たして本当に社会のためになるのか、なんて考えることもあったんです。ところが「自分が多様性のある社会が好きで、心地がいいから」と思った途端、すごく納得できたんです。
青野:大変共感しますね。「好きだから」というほうが素直で勢いがあります。多様性があるのは楽しいですよね。会社をやっていても多様な人がいると面白いですよ。
乙武:ジグソーパズルをイメージして運営していたクラスが、2年間担任してどうなったかというと、3月になって子どもたちがクラスの文集を作りたいと言ってきたんです。学級会でタイトルを話し合ってみたら、みんな「思い出」とか「仲間」とか「夢」といった、文集のタイトルとしてはありがちな言葉が上がってきた。でも、ある男の子がパッと手をあげて「色鉛筆」という意見をだしてきたんですよ。
青野:ほほう。
乙武:司会の子が理由を聞くと、「色鉛筆って何十色もあるけれど、みんな違う色。うちのクラスもみんな違って面白いから色鉛筆がいいと」と。すると、満場一致で「色鉛筆」に決まったんです。
青野:うわー。
乙武:その様子を見守りながら、ああ僕の伝えたかったメッセージが届いていたんだと、ものすごく感動したんです。一生忘れられない場面です。
青野:すごいクリエイティブですね。
乙武:そのときの経験があるから、今後も社会に対していつか理解してもらえるんじゃないかと諦めずに発信を続けていけるのだと思います。
青野:なんとか多様性のある楽しい社会を作っていきたいですね。時間はかかるだろうとは思いますけれど。
乙武:たぶん僕が生きている間に、完全には実現できないとは思うんですよ。でも、少しでもその時計を進めるために自分の人生を費やせたら、幸せだなと思えるんです。
青野:乙武さんにとってすごく重要なテーマですね。
乙武:そういうことが使命として与えられて、こういう体に生まれたのかなと思っています。
青野:私も、使命感をもって生きられるようにと思っています。同世代の人とこのテーマで話せてうれしいです。
乙武:今後とも、よろしくお付き合いください!
文:河崎環 写真:谷川真紀子 編集:渡辺清美
「サイボウズ式」は、サイボウズ株式会社が運営する「新しい価値を生み出すチーム」のための、コラボレーションとITの情報サイトです。
本記事は、2015年12月4日のサイボウズ式掲載記事価値観のぶつかりあいをなげかける──乙武さん流「あえて混乱させる」子育てより転載しました。