言葉にするとシンプルですが、これは簡単なことではありません。互いの価値観をわかりあえないことだってあるはず。むしろ私たちは、「わかりあえない」ことを前提に、それでも一緒に生きていく覚悟をしなければいけないのかもしれません。
こんな時代のリーダーたちは、どうやって多様な価値観をもつメンバーをマネジメントしていけばいいのでしょうか?
今回は、東京大学准教授の中原淳先生と、「灯台もと暮らし」を運営する株式会社Wasei代表取締役・鳥井弘文さんが対談します。
中原先生は、「企業・組織における人材開発やリーダーシップ開発」や「職場のリーダーが、多様性にいかに向き合うか」について研究されています。鳥井さんはご自身のブログ「隠居系男子」において、多様性に関するさまざまな発信を行っています。2人の対話から見えてきたものとは......?実は「潜在的な多様性」のほうが怖い
中原:鳥井さんはご自身のブログでよく「多様性」について触れられていますが、なぜ多様性を意識するようになったんですか?
中原 淳(なかはら・じゅん)さん。東京大学 大学総合教育研究センター 准教授。北海道旭川市生まれ。東京大学教育学部卒業、大阪大学大学院 人間科学研究科、メディア教育開発センター(現・放送大学)、米国・マサチューセッツ工科大学客員研究員などをへて、2006年より現職。「大人の学びを科学する」をテーマに、企業・組織における人材開発・リーダーシップ開発について研究している。単著(専門書)に『職場学習論』(東京大学出版会)、『経営学習論』(東京大学出版会)、人材開発研究大全(共著、東京大学出版会)。一般書では『研修開発入門』(ダイヤモンド社)、『駆け出しマネジャーの成長戦略』(中公新書ラクレ)、『アルバイトパート採用育成入門』(ダイヤモンド社)など。働く大人の学びに関する公開研究会「Learning bar」など、各種のワークショップもプロデュース。
鳥井:僕は大学卒業後の2年間、中国で働いていたんです。2011年から2013年にかけて、反日デモの勢いが増していた時期でした。
自分が日本人であるというだけでひどい言葉を浴びせられる、ということを経験しまして。
中原:どんなことを言われたんですか?
鳥井:「小鬼子」(シャオクイツ:中国語で最大限の侮蔑を込めた呼びかけ)とか、「小日本」(シャオリーペン:中国語における日本の蔑称)とか......。
自分は何も悪いことをしていないのに、なぜ初めて会った人に罵倒されなきゃいけないんだろう?と思いました。
鳥井 弘文(とりい・ひろふみ)さん。株式会社Wasei代表取締役。北海道函館市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。大学卒業後に中国・北京へ渡って日系ITベンチャー企業に勤務し、中国版Twitterと呼ばれる微博(ウェイボー)を中心とした日本企業の中国国内PRに携わる。帰国後は、新しい時代の生き方やライフスタイルを提案するブログ「隠居系男子」を運営開始。半年で月間25万PVを達成し、現在はBLOGOSとFashionsnap.comにも転載中。2014年9月に起業し株式会社Waseiを設立。主要事業として2015年1月1日、これからの暮らしを考えるウェブメディア「灯台もと暮らし」を運営開始。その他にもこれからの時代の生き方の提案や、日本の地方を盛り上げていくための新規事業を立ち上げ中。
中原:それは辛い経験でしたね......。海外に出れば、そのような経験をする方も少なからずいらっしゃいますね。
鳥井:それで、「どうすれば価値観や教育のバックボーンが異なる人とともに生きられるようになるか」を考えるようになったんです。
中原:なるほど。実は、僕が多様性について考えるようになった根っこにも、海外での経験があるんですよ。
鳥井:そうなんですか?
中原:はい。2004年に、MIT(マサチューセッツ工科大学)へ客員研究員として留学して、そのときに自分が「圧倒的なマイノリティ」になるという経験をしました。
鳥井:圧倒的なマイノリティ。
中原:自分でいうのはおこがましいのですが、日本にいた頃の僕は、博士号を取得したばかりの駆け出し研究者で、学会という狭いコミュニティの中では「少し目立った元気な存在」だったと思います。
でもMITでは、それが一変しました。何もできない。何も成し遂げていない。しかも英語すらろくに話せない存在になってしまったんです。
鳥井:なるほど......。
中原:一夜にして、僕は「マジョリティ」から「圧倒的なマイノリティ」になりました。学者の世界にも、やはり西洋人だけが入ることの許されるサロンのようなコミュニティはあって、乗り越えられない人種の壁も強烈に感じました。
鳥井:何だかんだと言って人種は、露骨でわかりやすい壁になりますよね。
中原:そうですね。でも、自分が「圧倒的なマイノリティになる」という経験をして本当によかったと思っています。これがなかったら、僕は井の中の蛙になっていたかもしれない。
「まあ、いいじゃないか、ゼロからもう一度はじめよう」という気になれました。27歳の頃です。
その後、紆余曲折があって「職場における人の研究」を始めました。どうすれば人は能力を発揮していけるのか。それを探るために、多くの日本企業につとめるビジネスパーソンにヒアリングさせていただき、そこで一つの発見があったんです。
鳥井:どんな発見だったんですか?
中原:それまで僕は多様性を、人種や宗教などの「目に見えやすいもの」で考えていました。
でも、人生や仕事に対する思いや考え方などをヒアリングしていくと、同じ日本人でもまったく考え方が違うんですよね。つまり、「日本人ですら、多様であること」に気づいたのです。
キャリアに対する考え方も、仕事に対する思いも、働くことの意味づけも多様。同じような働き方をしている日本人同士でも、何もかにも、人によって違うことに気づきました。
鳥井:同じ日本人同士で、普段は見えにくいところにも多様性があると。
中原:はい。人種や性別は、目に見えるから気づきやすい「顕在的な多様性」ですよね。でも価値観や考え方の違いは目に見えない「潜在的な多様性」です。
わたしたちは「顕在的な多様性」に目を奪われがちですが、「潜在的な多様性」がそもそも存在していることには、なかなか目を向けません。
多様性とは、氷山みたいなものなんだなと思いました。つまり、図に表すとこんな感じです。
鳥井:すごく共感します。僕も海外で「人種」という顕在的な多様性を意識し、日本に帰ってきて「価値観や考え方」などの潜在的な多様性に気づきました。
そこにどうやって対応していくかを、今でも悩み続けている感じです(笑)。
中原:「一見同じなんだけど、ふたをあけてみればみんな違う」という潜在的な多様性の方が、これからの日本社会では、深刻な問題になっていくような気がします。
しかもそうした「違い」や「多様性」は、長いあいだ時間をかけて学ばれ、形成されてきたものであるだけに厄介です。
価値観や考え方って、その人が所属してきた家庭や教育機関、社会集団の影響を多分に受けているんだけど、本人はそれに気づいていないことが多いんですよね。人と違うのはある意味当たり前なのに、勝手に同じだと思い込んでいるから衝突が起きるんだと思います。
多様性は大変だし、コストもかかる
鳥井:他人と違う意見を言いづらい空気があったり、同調圧力があったりと、日本人には「違い」に対して排他的な側面があると思います。これはどうしてなんでしょうか?
中原:「違いを排除する」というよりも、それ以前に「違いはないものとしていっしょくたに扱いたい」という人が多いのだと思います。
だから「違いがある」ということを目の前に突きつけられたときに、オロオロしたり、怒ってしまったりする。みんな「同じ島国に暮らす日本人なのだから違いはない」と思いたいのではないでしょうか。
鳥井:なるほど。
中原:東京大学名誉教授の見田宗介先生(*)のご著書のなかに、『気流の鳴る音―交響するコミューン』という比較社会学の本があります。
この中に、組織を形容するメタファーとして「餅(もち)型組織」と「おにぎり型組織」という言葉が出てきます。
(*)筆名は真木悠介
鳥井:「餅型」と「おにぎり型」?
中原:はい。このメタファーを勝手に拝借すると、日本人が好む集団組織とは「餅型」であると言えそうです。餅とは、材料の餅米が砕かれ、一粒一粒の輪郭がわからないくらいにくっつきあい、まとまって個体をなしていますよね。
鳥井:はい。
中原:日本人が好む「集団」もこれに似ています。要するに、一人ひとりの個性は必要とされない。一人ひとりがくっつき、溶解し合って、ひとつの組織をつくることがよしとされます。
対して、西洋は「おにぎり型」の組織を好んでいると言えそうです。おにぎりという「個体」は為していますが、一つひとつの米粒は溶け合ったりせず、独立して存在している。
「みんな同じ」と思いたい方は、「餅米になれー!」と言いたい人なのかもしれません。おにぎりみたいに「米粒」が残っているのはけしからん、と(笑)。
鳥井:なるほど......。だけど、そうした餅型組織のあり方を大切にしてきたからこそ、日本の過去の成長や成功があったのかもしれませんね。
中原:「餅型」組織は、日本の高度成長時代の大量生産を支えてきた価値観だと言えるでしょうね。
しかし、今わたしたちは岐路にたたされています。一粒一粒が個性を持ち始め、同じ一粒だと思っていたものが、実は、一粒一粒不揃いだった。そんなときに、今までの「餅型」組織でやっていけるのだろうか、と。
鳥井:時代にあわせて、組織のあり方も変わっていかなければいけない。
中原:はい。おにぎり型組織をめざすべきか? それとも餅型でいくべきか? おにぎりが行きすぎてしまって、パラパラのチャーハン型になってしまっては困るかもしれないですよね。
ちなみに僕の研究部門は、人文社会科学では比較的規模が大きく、20人弱のスタッフが研究をしています。正直に言うと、この研究部門をマネジメントする中で「みんなが餅型でまとまってくれたら、どんなにいいだろう」と思うこともあります。
こんなことをサイボウズ式で言うと怒られるかもしれませんが......(笑)。正直に心の声にしたがって、言ってもいいですか?
鳥井:もちろんです。
中原:あのー......、爆弾発言しますけど、「違い」とか「多様性」ってとてもコストがかかることだと思いませんか? できることなら、勘弁してよ、と思っちゃう夜もある(笑)。
鳥井:......はい(笑)。そう思うことは多々あります。
中原:「違い」とか「多様性」を尊重・対処しなければならないのはわかっているし、実際そうしているんですよ。
ただ、それを実現するには非常に大きなマネジメントコストを必要とするということです。
鳥井:わかります。多様性は一見すると「いい言葉」に感じますが、その言葉に潜んでいる「影」の部分、つまりコストの部分を見ずに良いことばかりをアピールしてもうまくいかないだろうとも思います。
多様性を確保するためには、多大なコストがかかることを覚悟しなきゃいけない。より厳しい世の中になっていくんだろうな、と。
中原:「みんな違う考え方を持っている」という前提で、その違いをあぶり出し、互いに認識してから合意形成する必要がありますからね。
もちろん今は、それをやらなきゃ人は集まらないし、労働力も不足してしまいます。さらに高次なレベルでいうと、多様性を活かしたような商品開発や市場の開拓も必要でしょう。だからやらなきゃならないんです。ただ、コストはどうしてもかかってしまう。
鳥井:大変であり、楽しみでもありますよね。
中原:本当にチャレンジングな課題です。
ゴールへ至るまでの道幅を広げることもリーダーの仕事
鳥井:「みんな考え方が違う」「わかりあえないかもしれない」ということを前提に、それでも僕たちは覚悟を持っておもしろいチームを作っていかなければいけない時代です。
そのためには「みんなでビジョンを掲げて上場するぞ!」という方向もいいと思うんですが、僕自身はその前に、個人個人が突き抜けて成長していくことが必要だと思うんです。一人ひとりがパラレルに成長して、それがチームや組織の成長につながっていくような。
中原:「一人ひとりが個々人で、しかも並列で成長している」という状態は理想ですね。この場合、リーダーにとって必要なのは、各人の「こまかな仕事のやり方の違い」は気にしないことかなと思います。
極論をいえば、「180度の真反対」さえ向いていなければOKと思えるかどうかですね。左右30度くらいの間に、各人がいてくれさえすればOKだと考える、ちょうど羊飼いのような感じかな。
分散して成長する個をまとめていくリーダーには「羊飼いマネジメント力」が必要で、そのときには、リーダーが「どの程度の幅を許容できるか」がポイントになってきます。
鳥井:そこが難しいですよね。
中原:「羊が整列して行進していない」と、気が済まないリーダーもいますからね。
ゴールに向かう道幅が広ければ広いほど紆余曲折できる余裕があるけど、道幅が狭いと許容範囲も狭まってしまう。僕がプロジェクトを動かすときは、この道幅をどこまで広げられるか、メンバーそれぞれを見ながら考えています。
「ゴールに向かうための道を考え、その道幅をどこまで広げられるか考えます。メンバーは、その道幅の間で自由に動いてもらう」と中原さん
鳥井:ゴールを明確に示すことも大事だけど、そこへ至るまでの道幅を広げたり舗装したりすることもリーダーの仕事だということですね。
多様性を許容するときには、「自分が今どういう状況にいるか」を理解するための鏡が必要
鳥井:一方でメンバーからすると、「自分がどれくらいの角度までずれていいのか」がわからないときもあるんじゃないでしょうか。「多様性はどこまで許されるの?」と。
中原:多様性を許容するときには、必ず対になるものが必要ですね。僕はそれがフィードバックの役割だと思っています。
鳥井:ああ、なるほど。
中原:メンバーが道を大きく逸れて、はみ出しそうになっていたらフィードバックしなきゃいけない。それは必ずしもリーダーからだけではなく、メンバー相互のフィードバックでもいいと思います。
大切なのは、「自分が今どういう状況にいるか」を理解するための鏡があること。だからフィードバックが必要なんです。
鳥井:フィードバックを機能させるためには、日頃の雑談なども大事になるんでしょうね。なかなか言いづらいことも、コミュニケーションを密にしていれば言えるかもしれない。
中原:耳の痛いことをフィードバックするのは、そもそもの信頼関係がなければできないことですからね。
「みんな違ってみんないい」という状態に陥ると、チームは機能しない
中原:もう一つ大切だと思うのは、「対話ロマンティック症候群に陥ってはダメ」だということです。
鳥井:対話ロマンティック症候群、ですか?
中原:たとえば4人で話していて、Aさんの意見が黒で、他のB~Dさんが白だとします。黒と白のどちらかに決めなければいけないとすると、民主主義のルールでは白に決まりますよね。
鳥井:はい。
中原:白と決まれば、それにちゃんと従う。これが大切だと思うんです。民主主義とは「みんな違って、みんないい」ではなく、「みんなで決めたことには従うこと」を前提にしたシステムです。
そして、「みんなで決める」前に「みんなの違い」を表明するコミュニケーションを行うことを「対話」といいます。つまり、対話とは「それぞれの、意見の違いを明らかにするコミュニケーション」です。
鳥井:そこに、罠があると。
中原:はい。「対話ロマンティック症候群」はここにこそ忍び寄ります。つまり「対話」が自己目的化して、ロマンティックに語られる。そして、対話を行うことが大事とされ、「みんな違って、みんないい」になる。
単に「みんな違ってみんないい」という状態に陥ると、いつまでも物事が前に進みません。つまり、「決められなくなる」のです。
鳥井:それぞれの違いを発信しあうのが対話だけど、その対話の前には「決めるよ」という合意が成されていなければいけない、ということですね。
中原:そのとおりです。
鳥井:「対話をする会議」の進め方も大切ですね。
みんなが「私がこの意見を発しても受け入れてもらえる」と感じていないと場が成り立たないし、「自分が何か言っても無駄だ」と感じている人が1人でもいると会議の意味を成さない。
中原:僕は、会議の進め方の責任はリーダーにあると思うんです。違いがあることを包み隠さずに言えないとしたら、その雰囲気を作っているのはリーダー。
誰かが「A」と言って、それを「違う」とはねのけてしまうような人をリーダーが野放しにしておくと、次からはもう多様な意見が出てこなくなってしまいますからね。
鳥井:もっと根本的なところで言うと、慎重な人ほど「自分の意見は正しいのかな」と思って及び腰になってしまうじゃないですか。
なので、各々が考える時間をちゃんと取れるようにするべきですよね。でも現実は忙しくて、なかなかそんな時間が取れないのですが......。
中原:あるあるですね。僕の場合は、大事なことを決める会議の前には必ず「頭出し」をするんです。「みなさん、◯◯について考えておいてね」と振っておく。そして次の会議で意見を出してもらう。これは意見を出すときのハードルを下げることにもつながります。
鳥井:頭出しで考え方を示されているから、それに対して反応するだけでみんなが意見を出せるということですね。
中原:はい。「かっちりしたことをちゃんと言わなきゃいけない」と思い込んでいる人があまりにも多いんですよ。リーダーは逆に「かっちりしたことをちゃんと言ってもらわないと困る」と思い込んでいて。
鳥井:それができる人もいれば、できない人もいますからね。
中原:だから、「まずは反応するだけでいいよ」という場をリーダーが作ることは大切だと思います。ちゃんとやろうとしすぎてはいけないんです。何回も言いますけど、多様性ってコストがかかりますから(笑)。
そうして出てきた意見をまずはすべて受け止める。そして、ずるずると対話を長引かせせるのではなく、決めるときは決める。そんなリーダーシップが、これからは必要なんじゃないでしょうか。
執筆・ 多田慎介/撮影・橋本美花/企画編集・明石悠佳