サイボウズ式:「年上の部下」に失敗した話

上司による評価に「年齢」という要素を介入させるべきかどうか。みなさんはどう考えますか。

サイボウズ式編集部より:著名ブロガーをサイボウズ外部から招いて、チームワークに関するコラムを執筆いただく「ブロガーズ・コラム」。今回は朽木誠一郎さんが考える「年上の部下との正しいコミュニケーション」について。

「年上の部下」は上司のマネジメントを映す鏡

こんにちは、朽木誠一郎です。年上よりも年下に、部下よりも上司に気に入られるタイプです。

プライベートであれば、不仲の相手からはさっさと距離を置いてしまえばいいのですが、仕事であればそうもいきません。上司・部下の関係ならなおのこと、苦手な相手ほど慎重な取り扱いが必要でしょう。この立場の非対称性が輪をかけて困難になるのが、年下や年上の要素が加味された場合です。

年上よりも年下に、部下よりも上司に気に入られる僕にとって、もっとも苦手な位置に分類されるのが「年上の部下」。僕は新卒でWeb系のベンチャー企業に就職、半年後にいきなり管理職になり、チームマネジメントをした経験がありますが、「年上の部下」には、頭を抱えてウワアアアアアとのたうちまわるような失敗の記憶があります。

IT業界やベンチャー・スタートアップの会社では、「年上の部下」がいるチームをマネジメントする機会もままあります。多様化する就労環境を背景に、今後も増加していくのではないでしょうか。この機会に「年上の部下」とのコミュニケーションを失敗させる要因を考えてみます。

人間への評価と仕事への評価は別である

上司には、上司という立場でいるだけの理由があります。それは能力の高さかもしれないし、経験の長さかもしれません。

まぎれもない事実なのは、会社が上司を上司たらしめる評価をしていることでしょう。逆に、部下には部下という立場でいるだけの、能力や経験の不足があるともいえます。

上司の仕事は、部下の能力や経験を適切に評価することですが、通常の上司・部下の関係であっても、組織の権力を前提にした評価はなかなか同意が得られにくく、不満がたまりやすいのも事実です。

ここで問題になるのは、上司による評価に「年齢」という要素を介入させるべきかどうかです。

というのも、社会には「年上には敬意を払うべき」という規範が浸透しています。もちろんこの規範自体はそうあってほしい思います。しかし本来、部下の「仕事への評価」と「人間への評価」は別であるはずです。年齢を理由に部下への評価が上がりはしないことが、前提になります。

まとめると、上司が「年上の部下」とコミュニケーションする場合は、敬意が必要です。人間は人間らしく待遇される権利があり、それを主張するのは当然です。上司だからと年上の部下に横柄な態度をとるのは間違いですし、「年上の部下」であるからと、能力や経験の評価に手心を加えるのも間違いです。

「年上の部下」側も、人間への評価と仕事への評価を分離して、組織における部下の立場を受け入れる必要があると思います。ただし、上司側は、もともと不満が溜まりやすい関係であることを自覚しておくべきでしょう。

とは言え人間は理屈だけで動くわけではない

このコミュニケーションがうまくいくためには、「上司と年上の部下」の両者が人間と仕事への評価が別物だと認識することが原則です。理屈の上では問題ないかと思いますが、人間は理屈だけで動くわけではありません。誰だって、自分よりも年下の人間に否定されたらムカつくでしょう。これは仕方のないことです。

僕にも「年上の部下」と仕事をしていた時がありました。その時はこの自覚がなく、パワー・マネジメントをするタイプでした。

自分がチームの誰よりも成果を出すことが上司の証明であり、成果を出せない部下は厳格に評価するべきだと思っていたフシもあります。

結果、「年上の部下」とのコミュニケーションはうまくいかず、チームは混乱しました。

2度の失敗がありました。1度目は「年上の部下」から僕の上司に、「部下から外してほしい」と僕を飛び越して相談があったこと、2度目は別の「年上の部下」が、社内で公然と僕を批判するようになったことです。その批判の内容は「僕が部下の手柄を自分の手柄のようにアピールする。言動が横柄だ」というものでした。

僕のマネジメントは、完全に失敗していました。あまり思い出したくない記憶であり、最近まで問題を分析しようとしていませんでしたが、今になって振り返ると、僕は人間の感情をまったく考慮しないマネジメントをしていたのだとわかります。

「年上の部下」はある意味、上司のコミュニケーションのいびつさを増幅する存在です。成果主義だった僕のパワー・マネジメントは、成果で人間の感情を屈服させるような手法でした。通常の上司・部下の関係では顕在化しないだけで、「部下の手柄を自分の手柄のようにアピール」「言動が横柄」といわれかねないマネジメントだとわかるのです。

人間と仕事の評価を切り分けつつ、感情のマネジメントを

どんなマネジメントであれ、部下がついてきているのであれば、いいマネジメントです。その条件は、部下がついていきたいと思うだけの能力や経験があるか、ついていきたいような立派な人間かだと思います。ただし、能力や経験は感情によって簡単に否定されてしまい得ることは忘れてはいけません。

「年上の部下」を呼び捨てにしたり、友だち口調で会話したり。年齢をイジったり......。これらのありがちな言動は、相手の感情という観点で見るとリスクです。社歴が絶対という企業文化もあるとは思いますが、ほかの部下とまったく同じようにコミュニケーションできるかどうかは相手次第。見誤ればマネジメントは失敗します。

上司には上司たる理由があるように、「年上の部下」もまた採用されただけの価値があるはずです。その感情に配慮するのは、一見してコミュニケーションコストのように思われ、「ついて来なければそれまで」とマッチョな思想になりがちです。

しかしそれは、「年上の部下」の価値を最大化できていないといえます。

上司に必要なのは、仕事への評価と人間への評価を切り分けながらも、年下の人間にマネジメントされる年上の人間の感情にも配慮することです。いびつなコミュニケーションは、部下がついてこなくなるリスクだと自覚し、常にマネジメントを見直してみるのがいいのかなと思います。

かく言う僕も、過去に一番長く下に付いた上司は僕よりも年下でした。その上司は、能力と経験がありながらも、成果が上がれば必ずチームの成果であると信じて疑わず、メンバーの心と体のコンディションを一番大切にしていました。年下とか年上とかを意識する場面はほとんどなかったように思います。

これから一層の努力が必要ではありますが、「仕事も人間も評価される」ような上司こそ、僕にとっては理想です。

イラスト:マツナガエイコ

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本記事は、2016年2月17日のサイボウズ式掲載記事「年上の部下」に失敗した話より転載しました。

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