横暴なリーダーは会社にとって貴重な存在である

我々は人間的に彼らを軽蔑しながらも、彼らを尊重する必要がある。なぜなら彼らこそがリーダーで、彼らこそが決定権をもっているから。

【サイボウズ式編集部より】

この「ブロガーズ・コラム」は、著名ブロガーをサイボウズ外部から招いて、チームワークに関するコラムを執筆いただいています。今回は「My Favorite, Addict and Rhetoric Lovers Only」のファーレンハイトさんが考える理想的なリーダーについてです。

暴君のようなリーダーというのが存在する。彼らは横暴だ。人を人とも思わない態度で部下に接し、反論しようものなら烈火のごとく怒り出す。チームメンバーの感情は汲まれない。自分の意見でゴリ押しして進めようとする。

我々は人間的に彼らを軽蔑しながらも、彼らを尊重する必要がある。なぜなら彼らこそがリーダーで、彼らこそが決定権をもっているから。逆らうと通るものも通らなくなってしまうのを経験上、知っているから。

今日はそんな横暴なリーダーこそが会社にとって貴重な存在だという話をする。

横暴なリーダーと決めないリーダー

俺がまず横暴なリーダーを見たときに判断する軸は「仕事をドライブできるか?」である。「仕事をドライブする」とは、切り分けを行い、判断・決断を適時行い、そのことに責任をとることだ。そして人を(強引にでも)動かしていく力。

彼がそれを実行している人間であれば、ついていく。頭ごなしな物言いをされようと、無茶振りが来て「ぐぬぬ...」となっても、そこに業務上の必然性があるのであれば従える。だって、「正しい」から。感情的には「言い方があるだろ」「俺は飲みが入ってるんだよ」と思っても、今日中にそこを処理してしまわないと後ほどにインパクトが発生する内容であれば、それは飲める。飲まざるをえない。

最悪なのはクネクネとして物事を決めないリーダーだ。例えば、あるトラブルが発生した際に、顧客と上司に板挟まれて、頭を抱えたまま動きを止めてしまうリーダーがいる。こちらとしては「どっちかに優先順位を決めてくれれば、俺らは動けるのに!」となる。自分たちには判断の決定権が与えられていないのだ。それを握っている人が方向性を決めてくれない。不毛な時間だけが過ぎていき、メンバーもイライラがつのっていく。そんな経験がありませんか?

決めないリーダーは人の顔色をうかがって、誰にでも良い顔をする。あっちを立てて、こっちも立てるのはビジネスでは難しい。だから、先にプライオリティをどちらかに定める必要がある。立たない方には表現を工夫するなりで何とかするしかないのだ。それなのにどちらも立てようとして、動けなくなる。最悪だ。決められないでは、仕事がすすんでいかないのだ。

空気を読まないアドバンテージ

横暴なリーダーは人の顔色を気にしない。「こう行くと決めたからお前らは従え」だ。目指しているゴールに対して、強引に進めていく。

メンバーの感情面を考慮しないだけに、物事が進むか進まないかだけで判断する。それはある意味では正しい。仕事で大事なのは目的に対して進捗するか/しないかだ。それだけが正義という考えだってある。どれだけ利害関係者のことを熟慮したって、メンバーに気を使ってくれたって、進まない仕事はダメなのだ。結果的に首をしめる。

逆に、彼が仕事のドライブができない人間だったとしよう。これはクズだ。「お前らは従え」と言ったわりに間違えた判断に対して、部下に責任をなすりつける。上司に「教育しておきます」とヘラヘラしながら、お茶を濁す。定期的な進捗会議では黄色信号を見抜けずに(ここが進捗会議の目的のはずだ)、火を吹いてから部下を怒鳴りつける。部下に非があったとしても、リーダーが率先してそこは火消しをするべきだ。こういったリーダーは能力も人間性もともなわない人間で、このケースに関しては救いようがない奴と言える。

チームリーダーの立場に重要なことは(先に挙げたように)、「切り分け」「判断」「責任」であり、それによって「仕事をドライブ」することだ。そこには「空気を読む力」は含まれない。むしろ、空気を読むことはそれを阻害する要因になりうる。純然と仕事を達成していくスキルを持ち合わせた仕事ができる横暴なリーダーは、会社にとって優秀な人材であり、貴重な存在なのだ。

会社員とは自分で考えたくない生き物なのだ

会社組織にいる多くの人たちは自主性を持ちあわせていない。言葉を変えると、「自分で考えたくない」人が圧倒的に多い。やることが既に決まっていて、それを自分に割り当ててもらう方を好む。

平生はリーダーや上司に文句を言いつつ、いざ自分が裁量を与えられたら戸惑ってしまう、みたいな。自分が本当に望む仕事をどうしてもやりたいから、その状況を作り出すために頑張る。自主的に責任を持つ立場に立つ。そんなアプローチをする人なんて本当にレアだ。

なんだかんだ無責任な立場でいることはオイシイのだ。判断や、それに対して責任を持つこと、物事を率先して進めていくのは相応に気が重いことなのはみなさんご存知だろう。

俺はこれは悪い考えじゃないと思っている。日本のサラリーマンで出世のために身を粉にして働いている人はほとんどの時間を会社のために使い、空いた時間は(妻からのプレッシャーもあり)家族サービスに充てる。自分の時間なんて持てたもんじゃない。それでいて、平の社員の給料と10倍の差が出るわけではない。自分がやればやるほどのリターンが出る経営者とは違い、せいぜい査定でインセンティブが出る程度。コストパフォーマンスが悪すぎる。生き方としては悪手だ。

そういう姿を見て、「なんとなく」目の前の仕事をこなして、なるべく早く帰れればそれで良いという会社員は多いんじゃないだろうか。ある意味では、横暴なリーダーはそこを巻き取っているといえる。会社組織にとって彼らは必要な人材だし、われわれが担えない部分を担ってくれている存在なのだ。

ただし、「横暴」であることと「ドライブ力」はイコールではない。今回は横暴なリーダーの利点をピックアップしてみたが、次回は別の形のドライブ力について語ってみようと思う。

ファーレンハイトです。普段はブログ「My Favorite, Addict and Rhetoric Lovers Only」、Web媒体「AM [アム] 」で恋愛・人間関係について書いています。サイボウズ式のブロガーズ・コラムでは、仕事・チームワークにおける他人との関係性について何らかの価値を提供できたらと思っています。

(サイボウズ式 2014年4月14日の掲載記事「横暴なリーダーは会社にとって貴重な存在である」より転載しました)

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