「フリーソフトウェアは、自由と繁栄を取り戻すための武器」──大統領から若者まで浸透するブラジルの自由ソフトウェア事情

開発者の高齢化、固定化が進む日本と比べて、ブラジルの場合は若者の参加者が多く、しかもギークぽい人だけではない、普通にカッコイイ男女が多いのも印象的だった。おそらく、10年後、20年後のこの分野は、こうした若者たちが担うことになるだろう。そんなこともあって、楽しい旅ではあったが、なんだかほろ苦さも味わうことになったのだった。

GNU GPLの翻訳などで知られる八田 真行さんに、ブラジルで開催された自由ソフトウェアの国際イベント「FISL14」をレポートしていただきます。

文・写真:八田 真行

7月の話なのですでに旧聞に属するが、ひょんなことから、南米はブラジルで毎年開催されている「FISL」というイベントに呼ばれて参加してきた。FISLというのは「Fórum Internacional Software Livre」の略で、「自由ソフトウェア国際フォーラム」とでも訳せようか。日本ではほとんど知られていないと思うが、おそらくは南米最大のフリーソフトウェア/オープンソースに関するイベントである。今年で14回目という、なかなか歴史ある催しだ。今年は7月3日から6日まで開催された。

ブラジルは知名度こそ高いものの、距離的には日本から最も遠い国と言われる。実際今回の旅も、経由地の北米まで飛行機で10時間以上、そこからさらにブラジルまで10時間以上と、空港での接続時間を入れればゆうに24時間を超えるという長丁場になった。

さらに、ブラジルは最近では珍しくなった渡航にビザが必要な国であり、これを取得するのがまた大変だ。東京・五反田のブラジル総領事館まで行って申請しなければならないのだが、窓口が開いているのは平日の9時から12時までだけ。とにかくこの時間に行かなければならない。しかも即日発行ではなく、郵送での申請は受け付けていないので、数日後(大体3~4日かかるようだ)にできあがり次第また自分で取りに行かなければならないのである。

おまけに、ビザの申請にあたって航空券のEチケットが必要という不思議なルールがあり、事前に航空券の手配を済ませておかなければならない。ということは、私のような貧乏旅行者が使う格安航空券はキャンセルが効かないので、万が一ビザが下りなければ航空券代が丸損ということになってしまうではないか。そのくせ、案内には「旅行日程はビザ取得後まで確定しないように」などと書いてあるのである。このせいで私は一度出直すことになり、都合3度も平日の朝に五反田まで行くはめになったのだった。

それはさておき、FISLが開催されているのはブラジル南部の都市、ポルト・アレグレである。有名なサンパウロやリオ・デ・ジャネイロに比べ、これまた日本ではあまり馴染みの無い名前だと思うが、音楽好きの方ならブラジルが生んだ歌姫エリス・ヘジーナの、サッカー好きの方ならブラジル代表ロナウジーニョの出身地としてご存じかもしれない。

「陽気な港」の名の通り元は港町として栄えたところで、ドイツやイタリアからの移民が多いらしく、町並みや料理にもどことなく西欧風のところがある。日本で言えば、歴史といい雰囲気といい、神戸に近い印象を受けた(ちなみにポルト・アレグレは金沢と姉妹都市だそうである)。

気候は南半球なので当然日本と真逆、日本が初夏なら現地は初冬くらいに相当し、マヌケな私はさすがに半ズボンではなかったものの長袖は一着しかもっておらず、後になって気づいてうろたえたのだが、初冬といっても20℃くらいなので、寒いどころかすでに酷暑の日本に比べればはるかに過ごしやすい。ただ、夜はそれなりに冷え込むこともあるようだ。

FISLの会場は現地の人が「プークー」と呼ぶ「PUCRS」というところで、これは「Pontifícia Universidade Católica do Rio Grande do Sul」(リオ・グランデ・ド・スル州カトリック司教大学)の略である。ブラジル南部では最高、ブラジル国内でも屈指のレベルを誇るかなり大規模な総合大学で、普段何に使われているのかよく分からないのだが、とにかく大学内に設備の整ったカンファレンス・センターのようなものがあり、そこを完全に借り切ってFISLは開催された。

FISLの大まかな構成としては、まず見本市的なメイン会場があり、ここには様々なフリーソフトウェア/オープンソース関係の団体や、スポンサーがブースを出している。

メイン会場にはハック・スペースも複数あり、ハードウェアがらみのハックを中心に様々なチュートリアルが用意されているし(最近の流行を反映してか、各所に3Dプリンタも置いてあって様々なものを作っていた)、スピーカーズ・コーナーとでもいうのか、誰でもアドホックに人を集めて話が出来るというような一角もあった。さらに、大人数を収容できるシアターがあり、そこではリチャード・ストールマンやサイモン・フィップスといった大物ゲストが次々に登場してキーノート・スピーチを行う。

加えて、他の部屋ではオープンデータやソフトウェア特許の問題など社会科学的なものから、純然たるテクニカルなものまで様々なテーマを扱うセッションが同時進行で進められており、これがなんと18部屋、18トラックを数える。1セッションが大体1コマ1時間、それが朝の10時から夜の20時まで、しかも4日間続くというわけで、これは相当なものである。日本でもオープンソース・カンファレンスが各地で開催されているが、比べると大体6~7倍の規模ということになるのではないか。

参加者数は、FISLの運営に長年携わっている人に聞いてみたところ、ルラ大統領(当時)が自らやって来た数年前よりは落ち込んだそうだが、それでも万に近い人出らしい。ブラジルだけではなく、近隣のアルゼンチンやウルグアイはもとより北米やヨーロッパからも人は来る。ようするに、FISLは一大国際イベントなのである。

ちなみに昼食は大学の食堂(?)でブッフェ形式、25レアル(たぶん1000円くらい)だったが、ブラジル名物の焼肉シュハスコからスシまで大変充実した内容。日本の大学では、なかなかこれができないのだ。

さて、私自身は元々、「WSL」(Workshop Software Livre)という、FISLの中で1トラック使ってフリーソフトウェアに関する学術研究の発表を行う学会というかワークショップで発表とコメンテーターをしてくれということで呼ばれていたのだが、いざ来てみるとなぜかキーノート扱いでストールマン大先生らと同じ大部屋で1時間近く英語で講演することになっており、気楽に構えてあまり準備していなかったのでうろたえてしまった。それでもどうにか乗り切り、結局WSLでも同内容を話すことになったのだが、なぜかプログラムに載った発表タイトルはずっと間違ったままで、最後まで直らなかったのはご愛敬といったところ。

私の話は、日本におけるこの30年のフリーソフトウェア/オープンソース運動の歴史、というようなもので、まあいい加減な話ではあるのだが、日本での経緯というのは当然海外にはほとんど知られていないわけで、それなりに興味を持ってもらえたようだ。参加者は技術者に加え、社会学や人類学の研究者が多かった。話の内容はある学術誌の特集号としてWSLの発表をまとめるということになっているので、そちらで英語論文として出す予定である(まだ何も書いていない)。

というか、偉そうに講演しておいてこういうのもなんだが、準備の過程で、そもそも私自身日本におけるフリーソフトウェア/オープンソースの受容の流れについてはよく知らないことが多いことに改めて気づかされ、より本格的なオーラル・ヒストリー・プロジェクトを早急に行う必要性を痛感した。日本におけるフリーソフトウェア/オープンソース黎明期のことが聞ける人々の何人かは、すでに鬼籍に入っているのである。

他の発表は、英語ではなくブラジルポルトガル語で行われたものもあり、言葉のレベルでよく分からないものもあったのだが、ブラジルは最近注目を集めるプログラミング言語「Lua」発祥の地でもあり、Luaを巡る開発コミュニティ(リオ・デ・ジャネイロが拠点らしい)の話などはなかなか興味深いものだった。

発表したトロント大学の社会学者ユーリ・タクチェフ氏はLuaのコミュニティで長年参与観察(※1)を続けていた人で、研究成果を「Coding Places: Software Practice in a South American City」(MIT Press)として上梓している。Rubyを擁する日本とブラジルの比較というのもおそらく興味深いテーマであろう。誰かやってみませんか。

FISLに行ってみて痛感したのは、ブラジルにおいてフリーソフトウェアはまさしく「自由なソフトウェア」であり、単なるソフトウェア開発方法論に留まらない思想、社会運動であるということだった。

ユーザの自由を至上視し、そのためには戦うことも辞さないフリーソフトウェアから、思想性を(ある程度)抜いてオープンソースという口当たりのよいものに仕立てることで、より広範な受容が可能となった、というのがこの分野の大ざっぱな流れであり、私自身もそのお先棒を担いだわけだが、ブラジルにおいては違った歴史を歩んだようだ。

この点に関して現地の人たちと少し話をしたのだが、ご多分に漏れず80年代末まで軍事政権によるでたらめな独裁が続いたブラジルでは、まずなによりも、政府やその後ろ盾であったアメリカ、そしてアメリカの大企業に対する根強い不信感がある(その割にGoogleは人気があるのがよく分からないところではあるのだが)。最近のスノウデン・リーク事件なども、このような傾向に拍車をかけているのだろう。

こうしたいわゆる左派的な感性は、たとえば日本においては反知性、反(情報)技術、マオイズム的な情念に回収されてしまい、結果としてサヨクは最新のテクノロジーに疎いということになってしまうわけだが、ブラジルにおいては、かつてルラ大統領がFISLに来たことからも明らかなように、情報技術は経済発展のために不可欠であり、むしろ技術を積極的に公正な社会発展のために使っていこうという前向きな意識が高い。フリーソフトウェアは、手元に自由と繁栄を取り戻すための武器なのだった。

また、フリーソフトウェア運動は与党・労働者党など民主主義政党ともつながりが深く、技術を良く理解している人が政治にも深く食い込んでいる。たとえばポルト・アレグレの街自体FISLのホストに加え、市民参加型の予算作成やオープンデータへの熱心な取り組みで知られているが、その理由は聞いてみればなんということもない、市役所にそうした技術的バックグラウンドを持つ「活動家」が多く入り込んでいるからなのだった。

開発者の高齢化、固定化が進む日本と比べて、ブラジルの場合は若者の参加者が多く、しかもギークぽい人だけではない、普通にカッコイイ男女が多いのも印象的だった。おそらく、10年後、20年後のこの分野は、こうした若者たちが担うことになるだろう。そんなこともあって、楽しい旅ではあったが、なんだかほろ苦さも味わうことになったのだった。(了)

※1:参与観察(さんよかんさつ)=調査者が、調査対象となるコミュニティに長期間参加して行う調査研究手法。

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