サイボウズ式:仕事以外にやりたいことがあるなら、「自分の経済価値と信頼の貯金」について考えるべき──週4ダンサー週3広報というキャリア

週3日勤務の社員として働き、ダンサーの活動も続ける「踊る広報」
柴田菜々子さん、三原邦彦さん

「ダンサーとしての10年後のビジョンはあるの?」

柴田:三原さん、ちょっと相談があるんです。実は、会社を辞めようと思っていまして......。

三原:えっ、なんで?

柴田:やっぱり私、とことんダンスをやりたいんです。だから、ビースタイルを辞めます。

三原:......ねぇ、柴田さん。ダンスって、すぐに稼げるわけじゃないんだよね? 生活はどうしていくつもりなの?

柴田:アルバイトで食べていくつもりです。

三原:ダンサーとしての10年後のビジョンはあるの?

柴田:それは、分かりません......。

悩める若手社員と経営者の間でそんな会話が交わされたのは、2015年のことでした。

この相談を持ちかけたのは、ビースタイルの柴田菜々子さん。現在は、週3日勤務の社員として働き、ダンサーの活動も続ける「踊る広報」として活動しています。

仕事とダンスの両立に悩んだのは、新卒入社2年目のころ。同社会長の三原邦彦さんに「辞めたい」と打ち明けたことをきっかけに、「踊る広報」としてのキャリアがスタートしました。

もとはダンスを優先しようとしていた柴田さんは、どうして会社を辞めずに「踊る広報」になったのか。パラレルキャリアの魅力や難しさはどこにあるのか。三原さんは「辞めたい」という相談をどう思っていたのか──。柴田さん、三原さんに話を聞きました。

「OR」で解決するのではなく、「AND」で考える

木村:まずは大学のころの話を聞かせてください。柴田さんは「就職」にどんなイメージを持っていましたか?

柴田:そもそも自分が「ちゃんと就職活動をする」というイメージがあまりなかったんですよ。社会人に対して、勝手な偏見も持っていて。

木村:偏見?

柴田:社会人は「電車で疲れ果てて寝ている」、そんなイメージしかなかったんです(笑)。

柴田菜々子さん

柴田 菜々子(しばた・ななこ)さん。株式会社ビースタイル 広報ブランディングユニット所属。1990年生まれ。8歳より新体操を始め、静岡県強化指定選手に選ばれる。静岡県大会個人・団体優勝、2度の全国大会出場を経験。桜美林大学在学時から岡本優主宰のダンス集団「TABATHA」(タバサ)に所属。2013年に同大学を卒業し、ビースタイル入社。3年目から、週3日広報、週4日はダンサーとして活動し、「踊る広報」として知られるようになる。2016年からはソロ活動を開始し、NEXTREAM21奨励賞受賞。横浜ダンスコレクション 2016 コンペティションⅡ選出。

木村:それなのに、どうして「就職」を選んだんですか?

柴田:ダンスは続けたいと思いつつも、世間知らずのまま大人になってしまうのも怖かったからですかね。

周囲のダンサーに就職すると伝えたら、「ダンス辞めるの?」と驚かれました。「就職=ダンスを辞める」ととらえる人が多かった気がします。

木村:ビースタイルに入社した当時は、週5日働く正社員だったんですよね? 社会人になってから、ダンスへの意欲は薄れませんでしたか?

柴田:うーん......。たしかに最初の1年間は仕事でいっぱいいっぱいになっていて、ダンスのことをゆっくり考える時間があまりなかったかもしれません。

所属しているチームで踊る機会はあったのですが、仕事もあり、体力的にしんどくて。結果として、参加する機会が限られてきて。

木村:あぁ。

柴田:社会人2年目には、少しずつ仕事に余裕が出てきて、ダンスのことを考える時間が増えました。「みんなは私が働いている時間も練習してるんだよなぁ」と思うと、落ち着かなくなったんです。

TABATHA舞台写真

柴田さんが所属するダンスユニット「TABATHA」の舞台写真 撮影:bozzo

柴田:入社前から「少なくとも3年間は絶対に辞めない」と決めていたんですが、一方でダンスに集中したいという思いも強くなっていって。

練習量が不足すれば体が固くなっていくという焦りもあり、2年目はずっとモヤモヤしていて、「どちらかに振り切らなきゃ」と考えるようになりました。

中途半端な気持ちでダンスと仕事を続けるのは、ダンス仲間と会社の両方に申し訳ないと思っていたんです。

木村:両立に迷ったんですね。

柴田:はい、それで会長の三原に相談したんです。すると「ダンサーとしての10年後のビジョンはあるの?」と言われて。その時はまだ25歳で、10年後をイメージしたこともありませんでした。

木村:10年後、ぱっと想像できません......。

柴田:私はせいぜい、5年後くらいしか考えられなくて(笑)。

その後、三原から「ダンスと仕事と自分の生活。この3つを「OR」で解決しようとせず、「AND」で実現する方法がないか考えてみれば?」と宿題をもらいました。

1カ月くらい本気で考えて、たどり着いた自分のビジョンは、ダンサーになることではなかったんです。

木村:え?

柴田:ダンス業界そのものに踏み込んで、アーティストの環境作りをいっしょに進めていく。そんな10年後の姿をイメージして、ワクワクしている自分に気づきました。同時にビースタイルの広報という仕事も続けていきたい、と。

柴田菜々子さん

柴田:ダンスと仕事の両立は「ファンを増やす」「世の中に新しい価値を発信する」ことにつながるから、意味があることだと思ったんです。ビースタイルで働き続ければ、自分の生活基盤も安定します。

木村:なるほど。

柴田:とはいえ、当面のダンスの練習や参加したいコンテストのことを考えると、週5日のフルタイムで働くのは、時間の面で無理だと思いました。

理想は週3日の勤務で、残りの4日をダンスにあてること。それで三原に「週3日で働かせてほしい」とお願いしたんです。

三原さんは柴田さんから「辞めたい」と伝えられたとき、経営者として何を思い、なぜ柴田さんの決断を応援しようと決めたのでしょうか?

100年生きる前提なら、「大学を出たらすぐに就職」という常識を捨ててもいい

木村:柴田さんから「辞めたい」と言われたときはどう思いましたか?

三原:「会社を辞めて、アルバイトで食べていきます」って言われたときは、正直なに言ってるんだろう? って思いました(笑)。

三原邦彦さん

三原 邦彦(みはら・くにひこ)さん。株式会社ビースタイル 代表取締役会長。1970年生まれ。芝浦工業大学工学部機械工学科卒。1995年株式会社インテリジェンス(現:パーソルキャリア株式会社)入社。エンジニア派遣事業部執行役員と、子会社であるECサーブテクノロジー株式会社の代表取締役社長を務める。2002年に株式会社ビースタイルを設立し、代表取締役に就任。パートタイム型派遣・紹介サービスの『しゅふJOB』やハイスキル人材派遣サービス『時短エクゼ』など、新しい働き方を応援するビジネスモデルを打ち出し続けている。

三原:でも、悩む気持ちも分かります。僕も若いころは真剣にミュージシャンを目指していて。やりたいことをあきらめたくない人の気持ちは、よく分かるんですよ。

木村:とはいえ実際には、やりたいことと仕事を秤(てんびん)にかけて、後者を選ばざるを得ないという人が多いですよね。

三原:就職できる確率が高いという点で、「大学新卒」は仕事を得る良いタイミングなのは事実ですからね。

でも今は、人生100年のビジョンで考えるべき時代だから、ちょっと考え方を変えてもいいんじゃないかな。

木村:人生100年のビジョン?

三原:はい。先日、とある20代の女性から「今は陸上をやっているけど、起業もしたいです」と相談を受けたんですよ。

僕は「体力が充実している今の20代のうちに陸上をやったほうがいい」と答えました。

木村:そうなんですか。

三原:100年生きることを前提に考えれば、20代が終わってもまだ70年残っているわけです。起業はそれからでも全然遅くない。

同じように考えると、「大学を卒業したら、すぐに就職しなきゃいけない」という常識は捨ててもいいんじゃないかと思います。

木村:やりたいことがあっても、すぐにお金を稼げない場合はどうしたらいいんでしょうか?

三原:やりたいことの形を考えるべきだと思うんです。柴田の場合は「ダンスがしたい」という思いだけの状態から、「コンテストに出て成果を出す」「ダンス業界に貢献する」といった具体的な形が出てきたわけですよね。

木村:はい。

三原:具体的な形が決まれば、必要な時間を真剣に算出できます。やりたいことをやって残った時間を最大限に生かし、生きていくために必要なお金を稼げるようになります。

木村:稼ぐ方法がアルバイトでもいいんでしょうか?

三原:もちろん稼ぐだけならアルバイトでも問題ありませんが、それだけでは、社会人としての1時間あたりの経済価値を高め続けていくことが難しいと思うんですよ。

木村:詳しく教えてください。

三原:仕事以外にもやりたいことがあるなら、短い時間の中でいかに自分の経済価値を発揮し、稼いでいくかを考えなければいけません

時給1000円の価値じゃなくて、5000円、1万円にもなるような価値。だからどんな風に仕事をしていくのか、キャリアを築いていくかを考えるのは大切なことだと思います。

「どんな生き方をすれば幸せになれるのか?」

木村:三原さんには、「柴田さんを引き止めない」という選択肢はなかったのでしょうか?

三原:ありませんでした。

会社は基本的に、人が幸せになるためにあるものだと思うんです。会社が存続し、働いている人が幸せで、提供される価値によってお客さまも幸せになれる。それが会社の意味だと思っています。

だから僕は、柴田自身の幸せって何だろう? ということを真剣に考えました

三原邦彦さん

木村:柴田さん自身が、どんな生き方をすれば幸せになれるのか

三原:はい。柴田がどんなに優秀なダンサーだとしても、中長期的に考えればいつかは現役を引退しなければいけないでしょう。

そのときに「ダンスの先生になる」というのも素晴らしいけど、それ以外の選択肢がないという状況は寂しいと思いました。

木村:だから、柴田さんの提案を受け入れたんですか?

三原:客観的に柴田のキャリアを考えたときに、僕も「週4日ダンサー、週3日広報」という働き方がベストだと思いました。彼女は素直で賢いから、僕の考えていることも理解してくれました。

木村:これは極論というか、ちょっと乱暴な言い方なんですけど......。仮に「素直じゃなく、賢くもない」人が柴田さんのような希望を出してきても受け入れますか?

三原:まずはやってみたら、と言いますけどね。結局はキャリアなんて、積み重ねてきた選択や行動の結果でしかないと思っているので。

若手のころは、どうしても短期的な視点でしかキャリアや目標を考えられないものだけど、長期的な視点で見たら違う答えが見えてくることもあります。それに気づくためにも、いろいろなことに挑戦してみればいいと思っています。

週3日勤務は、スローキャリアではなく「スマートキャリア」

木村:「週3日勤務の社員として働きたい」という人を受け入れるために、会社として工夫していることはありますか?

三原:うーん......。あまり深くは考えたことはないですね。自律的に行動して成果を出せる人なら問題ないと思っています。

三原邦彦さん

三原:「今月は何をやらなければいけないか」を自分で考え、どんな風に時間配分をするかも決める。極端なことを言うと、時間を使わずに同じ成果を出すことが究極の目標ですから。

木村:なるほど......。それは、ある程度スキルや能力がないと難しいように思います。

三原:スキルや能力というよりは、職場の人間関係における「信頼の貯金」のほうが大切だと思いますよ。

柴田は2年目までの間に高い成果を出して社内MVPになったこともあるし、周囲のメンバーとも協調して働いていました。信頼の貯金を重ねていく時間は、ある程度必要かもしれません。

あとは、「倫理観」かな。

木村:倫理観ですか。

三原:ええ。例えば営業の仕事で本当はお客さんを回らなきゃいけないのに、ついつい2、3時間カフェでまったりしたり、気分が乗らなくて映画を見に行ったりすることがあるとします。

その時にふと、われに返って、「やばいやばい、こんなことじゃダメだ!」と思える倫理観があるかどうかは大切だと思います。

木村:もし「週3日勤務だけど週5日働いている人と同じ給料がほしい!」と言われたらどうしますか?

三原:その人に信頼の貯金があるなら、ちゃんと応えますよ。中小企業なら、制度そのものを変えることも簡単ですから。

木村:おお!

三原:週3日で働くのは、ゆったりまったり働く「スローキャリア」ではないと思っています。むしろ短い時間で成果を出さないといけない「スマートキャリア」であり、難易度は高い

信頼の貯金を積み重ねて成果を出している人には、ちゃんと応えていくつもりです。

クラウドファンディングとか、最近ではフィンテックサービスの「VALU」とか、信頼や期待を集められる人のもとにお金も集まる時代になってきましたよね。良い意味で会社の枠に収まらず、信頼と期待を集められる人間になっていくことが大切なんだと思います。

柴田さんは「週4日ダンサー週3日広報」という新しい働き方を実践しながら、どのように「信頼と期待」に応えているのでしょうか? 再び、聞いてみました。

会社を辞めずにダンスを続けたからこそ気づいたこと

木村:ここからは、「踊る広報」として活動を聞かせてください。

柴田:もともと楽観的な性格なので、「さくっと両立できるでしょ!」くらいに思っていたんです(笑)。でも実際は、想像以上にしんどかったですね......。

木村:特に大変だったことは何でしたか?

柴田:週3日社員、週4日はダンサーという新しい生活リズムに体を合わせていくことです。最初の1年間は、仕事の成果もなかなか出せなくて。

木村:どうやって乗り越えていったんですか?

柴田:仕事そのものを整理しました。「広報」と一口にいっても、営業的な要素も、総務的な要素も必要な仕事です。

その中でも「取材対応」「メディア関係者への情報提供」「広報のネタさがし」という自分の得意な部分に集中できるよう、上司と相談しながら変えさせてもらいました

木村:得意ではない部分はどうしているんですか?

柴田:なるべく周りの協力を得るようにしています。入社後の2年強は仕事にコミットしてきたので、私なりに信頼関係を築けていたつもりです。それでいろいろと相談をさせてもらっています。

木村:広報の仕事とダンスを両立できるようになって、どんな変化がありましたか?

柴田:相乗効果がすごくあると感じています。働き方が変わることでメディアから注目してもらい、自分がビースタイルという看板を背負って出ることでPRができます。

仕事で知り合った人たちが、ダンスの公演を観にきてくれるようにもなったんですよね。コンテンポラリーダンスというニッチなジャンルを知ってもらう機会が増えました。

バスタブNY

柴田さんが所属するダンスユニットバスタブNYの舞台写真 左が柴田さん。撮影:bozzo

柴田:社会人として働き続けながらダンスも続けることで、ダンスをアートとしてではなく、ビジネスの視点でも見られるようになりました

お金をちゃんともらえるようにプロデュースしていかないと業界は活性化しないし、価値に見合った評価を得られないのはさびしいですから。

三原に相談した後、ビースタイルを辞めてしまっていたら、そんな風にダンスを見ることはできなかったと思います。

木村:今後も、踊る広報としての活動を続けていくんですよね?

柴田:はい。この生き方が10年後にどんな結果を生むのかは、やり続けてみないと分かりません。ビジネスのキャリアは同期に大きく遅れを取るかもしれないし、ダンスではフルで頑張っている人に大きな差をつけられるかもしれない

でも今は、自分ができることを最大限にやって、目の前の成果を追いかけていくことが大切なんだと信じています。

文:多田慎介/撮影:橋本直己/企画編集:木村和博

」は、サイボウズ株式会社が運営する「新しい価値を生み出すチーム」のための、コラボレーションとITの情報サイトです。 本記事は、2017年10月10日のサイボウズ式掲載記事
より転載しました。