サイボウズ式:「社会人=理不尽にも耐えなければいけない」という誤った常識

理不尽なことに耐えることは良いことだと考えられがちですが...
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サイボウズ式編集部より:著名ブロガーによるチームワークや働き方に関するコラム「ブロガーズ・コラム」。はせおやさいさんのコラムです。

2017年も1カ月が過ぎ去り、2月になりました。今年の4月から社会人になるという学生のみなさんは、この時期をどのように過ごしているでしょうか。

単位はもうほとんど取り終わってのんびり過ごしている人もいれば、卒論や修論に追われてとても忙しいという人もいるでしょう。のんびりするにせよ忙しくするにせよ、自分が納得できる形で残りの学生生活を有意義に過ごしていただければと思います。

ところで、そんな今年4月から社会人になるという学生の方々は、自分が「社会人になること」をどのように考えているでしょうか。人生が新たなステージに進むことが楽しみだという人もいれば、果たして自分は本当に就職して働けるのかと不安になっている人もいると思います。

中には「社会人になったら会社や上司の命令は絶対で理不尽なことにも頑張って耐えなければいけない」という話をどこかで聞いて、絶望的な気分になっている人もいるかもしれません。よくある新人へのアドバイスに「会社に入ったらどんなに嫌なことがあっても3年は頑張って耐えろ」というものがありますが、こういうアドバイスを聞くと社会人になると嫌なことがたくさん待ち受けていて、それを耐えるのが新人時代の義務のように思えてきます。

このような「社会人になったら理不尽なことにも耐えなければならない」という考え方は、果たしてどのぐらい妥当なのでしょうか? 今回はこのことについて少し考えてみたいと思います。

「理不尽なことに耐えれば成長できる」という勘違い

会社に入ると、自分の若い頃の苦労を「振り返ってみると、あれはとても有意義だった」と肯定的に語る先輩に出会うかもしれません。「新人の頃はとてもつらかったが、あの時頑張ったから今の自分がある」とか「最初は理不尽に感じることばかりだったけど、それに耐えることで成長できた」とか、彼らは必死に自分の過去の苦しかった思い出を肯定的なものとして捉えなおそうとします。

自分で振り返っているだけなら別に良いのですが、大抵の場合、この手の話は「だから君も最初の数年は頑張って耐えよう」という結論にたどり着きます。ひどい場合だと「ゆとり世代は打たれ弱い」などというあやしげな世代論まで持ち出して、説教される羽目になるかもしれません。

こういう話をする人は「理不尽なことに耐えれば成長できる」という勘違いをしています。冷静に考えてみると分かりますが、実際には理不尽なことに耐えることと、成長することに因果関係はありません。

たとえば、仕事ができるようになりたければ実際に仕事をしながらいろいろと試してみる、つまりPDCAサイクルを何度も回すことがもっとも重要です。いくら理不尽なことを我慢したところで、自分で仕事のやり方を色々と試行錯誤してみなければ、いつまでたっても仕事ができるようにはなりません。もちろん、この試行錯誤は理不尽なことに耐えなくても実行可能です。そういう点では、理不尽に耐えることに教育上の効果はほとんどないと言えます。

僕自身も「理不尽なことに耐えることで成長できた」とは一度も思ったことはありません。昔から一貫して理不尽なことや忍耐が必要なことからは逃げることを心がけていましたが、それでも就職したばかりのころと比べて今の自分はできる仕事の幅がだいぶ広くなりました。それはきっと実際にさまざまな仕事をしながら試行錯誤をしたからで、間違っても理不尽なことに耐えたからではありません。

なぜ忍耐は賞賛されるのか?

実際には成長とあまり関係がないにもかかわらず、なぜ理不尽なことに耐えることが良いこととされてしまうのでしょうか?

まず、組織がそのような「理不尽なことにも黙って耐える存在」を一定数必要としているからという理由が考えられます。たとえば、日本の多くの会社では飲み会の幹事や忘年会の一発芸はほとんど無条件で新人の仕事ですが、このようなよくわからない仕事を押し付ける際に「若いうちの苦労は成長につながる」というロジックがあると非常に便利です。

また、過去の自分の苦労を正当化したいという心理が働くためだとも考えられるでしょう。「昔は苦しかったけど、振り返ってみるとあれは有意義だった」と言う人は、昔の苦しかった体験を無駄なものだったとは考えたくないのです。それゆえ、昔の経験を賛美することになるわけですが、こういった人たちの意見は実態と乖離(かいり)が激しいのである程度割り引いて聞く必要があります。

さらに、忍耐と努力が混同されているという理由も挙げられます。成長のためにはある程度集中的なエネルギーの投下が必要なので、成長したいのであればやはり努力は重要です。忍耐も努力もどちらも精神力が必要なので、これらは混同されがちですが別物です。実際にはただ忍耐しただけなのに、なんだか努力したような気になって満足しまう人は少なくありません。

このように、さまざまな理由から理不尽なことに耐えることは良いことだと考えられがちですが、4月から社会人になるみなさんはどうかそのような意見には耳を貸さないでほしいと思います。

理不尽に耐えた先に何があるのかをしっかり見通す

もっとも、現実には自分の目的達成のために、理不尽に耐えることが必要な場合もないわけではありません。

たとえば、「総合商社のような体育会系の社風の会社で誰よりも早く出世したい」という目標を掲げるのであれば、(その目標が妥当かはともかく)やはり最初の数年はある程度理不尽に耐えることが目標達成のための近道になるでしょう。自分でしっかりと理不尽に耐えた先に何があるのかを見通した上で、覚悟を決めてやるというのであればそれはよいと思います。

しかし、そういう覚悟があるわけでもなく、自分でもなぜ我慢しているのかわからないというのであれば、それは無駄なことをしていると言えます。そのような理不尽を無理に受け入れる必要はありません。それよりも、もっと自分の未来に役立つことに時間を使うべきです。

4月から社会人になる学生のみなさんには、ぜひそのような有効な時間の使い方をしていただきたいと思います。

イラスト:マツナガエイコ

」は、サイボウズ株式会社が運営する「新しい価値を生み出すチーム」のための、コラボレーションとITの情報サイトです。 本記事は、2017年2月 8日のサイボウズ式掲載記事
より転載しました。

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