友達ってなんか、くすぐったい。
あなたとわたしって友達だよね。
そんな確認作業をすることはないし、昔から"親友"という言葉も苦手だった。
あなたは親しい友人だよってご丁寧にハンコを押すなんて。親しいって何だろう。よく電話をすること? 週に何回も会うこと? ふたりだけの秘密ごとがあること?
わたしが中学生くらいのころ。
「心友」「信友」なんていう表現が登場して、"しんゆう"にもランクが付けられた。プリクラに「わたしたち心友だよ」とすらすら書いて、最後にハートのスタンプを押す子を見るとくらくらした。あまりにも眩しくて。
親友ですら、わたしはよくわからないのに......。
レベル、高いなぁって。
休み時間、ボールを手に掲げただけで仲間がわらわらと集まるひと。そこにいるだけで場が明るくなるひと。あっという間に輪の中心になるひと。友達の多いひと。
ああ、すごいなと思っていた。
羨ましいなんていう感情がただよう隙間もなく、もうまったく違う世界だった。
じゃあ、わたしにとって友達ってなんだろう。
いつもお世話になっている編集者さんにこのお題をもらってから、ずっと考えていて。ともだち。うんと頭をぐるぐるさせてもなかなか答えが出てこなかったけれど、こうかもしれないっていうものに、ひとつたどり着いた。
わたしにとって友達って、「思考の交換」ができる存在なのだと思う。
自分が何を思って、考えて、感じているかをまっすぐに伝えることができる。多少の心遣いはしても、変な気を使うことはなくって。
相手からも何を思って、考えて、感じているかを聴いてみる。そうしてお互いの頭や心の中にあるものを交換する。それがわたしにとって、友達。
流行っているお店とか、ドラマに出ていたイケメン俳優とか(まあ一応、女なので)そういう話もするけれど、でもそれはあくまでも情報の交換で。
友達とは、やっぱり気がついたら思考を交換していると気づく。
今の仕事、あのときの選択、これからの人生......時にそんな重いテーマもあるけれど(笑)ただ、そういう話をしていると知らない一面を見られたりする。ああ、そんな想いだったんだねって。
思考の交換って相手のことがもっと好きになるし、愛おしくなる。
で、時折のバカみたいな話が、最高。
わたしは自分の気持ちを伝えるのが得意じゃない。上手じゃない。だからこそ、伝えられる、届けられる、伝え合える、届け合える、そういう存在がとても貴重で。
相手の「嬉しい」がわたしも嬉しくて、「楽しい」が、楽しい。ひとりでも過ごせる自分だけれど、ふたりでいたいと欲する。素直になれる。弱さを見せられる。
友達になりましょう、じゃない。
あなたとわたしって友達だよね、でもない。
あ、気づいたら友達だったかぁ。
という感じ。
"親友"の定義はずっとわからないままだけれど、そういうひとがひとりでもいてくれるなら、定義なんて明確にならなくてもいいやと思える。
毎日は上手くいくことばかりじゃない。
落ち込むことだって、心が揺れることだってある。何かや誰かが眩しすぎて、目をつむりたくなる瞬間もある。
でも、できるだけ前向きでいたい。大好きなひと、そう、友達と、たっぷりと思考の交換ができるように。パワーをもらうばかりじゃなくちゃんと渡せるように。
どうしようもなく疲れちゃった日は「そうだよね」って励まし合って、その後で一緒にたくさん笑い合えたらいい。
そう願うのが、わたしにとって友達。
いつも本当にありがとう。
浮かぶ顔があって、会いたくなった。
この記事のライター
ライター/物書き
1988年生まれ。 「仕事」「生き方」についてよく書きます。 言葉をつむぐことで、日々の温度をすこしあげられたら。 空を眺めることとお散歩が好き。
(2018年2月19日「DRESS」より転載)