「若者の道」 フランシス・フクヤマ教授に聞く

政治離れをする若者。スタンフォード大学のフランシス・フクヤマ教授と慶熙大学のエマニュエル・パストリッチ教授が対談し、東アジアの現状を語ります。

フランシス・フクヤマ教授はアメリカ生まれの日系3世で、現在はスタンフォード大学の民主主義・開発・法治主義センターに在職中である。

1989年、「歴史の終わり(The End of History)」という論文で、人類の歴史の進歩は自由民主主義と市場経済の最終勝利によって終着点に達したと主張して世界的に有名になった。主な著書は、「歴史の終わり」、「人間の終わり」、「政治の起源」等がある。

エマニュエル・パストリッチ:

最近の若者たちは身動きの取れない状態です。不利なシステムに閉じ込められ、脱出する手立てもなく、五里霧中にさ迷っています。若者たちはやればできるという期待感と現実との狭間で悩んでいます。

どうして社会がこうなってしまったのでしょうか。若者たちが重要だと思う優先順位と実際の政策との間に大きな格差が開いてしまった理由は何でしょうか。

■ 労働市場の変化、そして、若い世代の不安感の増大

フランシス・フクヤマ:

その質問についていくつかお答えします。

基本的に、若い世代はいつも体制に疎外感を感じてきました。若いために、直接政治に参加できる社会的地位や資格がありません。社会問題を身近に感じている若者でも、いざとなると意志決定過程には参加できません。歴史上、常にそうであったように、現在でもそう変わりはありません。

しかし、労働市場自体にも変化が生じました。変化が最も顕著な国はアメリカですが、アジアも例外ではありません。良質の職を見つけるのが難しくなり、企業が要求する条件は増えるばかりです。

基本的に、STEM (science:サイエンス、technology:テクノロジー、engineering & mathematics:エンジニアリング&マスマティック) 領域を専攻していなければ、志望さえできない仕事が多くなってきました。企業側が望む専攻がなければ、履歴書さえも検討してもらえない世の中になったのです。

社会がこのように変化したため、若者たちは非常に強い不安感を抱くようになりました。機会を逃さないように、一日中勉強だけに専念する若者もいます。

アジアの場合、このような現象がより深刻です。それに加えて、世界的に大きな政治変化や激動が押し寄せてきました。

アジアはまだヨーロッパやアメリカほど破壊的な政治変化は経ていません。政治的に重要な事柄には大衆の参加が制限されており、ほとんどの青年たちは積極的な政治参加を最優先にしてはいないからです。

しかし、最近、韓国の弾劾デモを見ると、変化が起こり始めているのを感じます。状況もとても早く変化しています。政治に関して普遍的真実があるとするなら、政治に関心がないように見えても、ある瞬間、インスピレーションを感じれば、いきなり熱烈的に参加するようになるということです。なので、表面だけを見て、若者は誰も政治に関心がないと断言することはできないのです。

エマニュエル・パストリッチ:

この二ヶ月間、政治や社会の流れについて韓国の学生たちが非常に関心を持つようになったのを実感しています。自発的に政治について話をしようとする意思が見られます。

フランシス・フクヤマ:

朴前大統領の弾劾がこのような変化をもたらしたと確信しています。

エマニュエル・パストリッチ:

一般的に「変化」と言えば、政治的観点だけから捉える傾向があります。しかし、政治を追い立てるのはたゆみない技術の発展です。情報を記録・移転・操作する技術が爆発的な速度で進化を繰り返しました。

技術の急速な発展という普遍的な成り行きは、政治や社会の作動原理に、そして、これに関連して、企業や家族が機能するシステムにどのような影響を与えることになりますか。

■ フェイクニュースがはびこる世の中、そして、情報の善悪を見分ける能力の具備

フランシス・フクヤマ:

インターネットが及ぼす政治的影響について述べることにしましょう。1990年代はインターネットによって大衆の参加が拡大し、民主主義が発展するであろうという楽観的な見解がほとんどでした。情報も一種の権力なので、情報に対するアクセス権が拡大すれば、大衆がより多くの力を持てるようになるという論理でした。

確かにインターネットが政治的結集や行動を起こすための道具として使用されたこともありました。インターネットで大衆の参加を促し、権威主義の政府を反対するデモを組織した例もあります。

しかし、最近では技術に対して否定的な見方が浮上してきたのをよく目にします。最も取り沙汰されているのが、まさに「フェイクニュース」です。インターネットのせいで情報を振り分けするゲートキーパーや真実を確認する機関、専門記者等の中間媒体を通す必要がなくなったために生じた問題だと言えます。

明らかにデマであっても、インターネットの記事ならば、全て妥当だと信じてしまうのです。

特定の政治家の利益に符合するため、検証されていない情報を拡散させる政治的プロセスが各国で出現しました。このような政治工作の先駆者の一人がプーチンロシア大統領です。プーチンは自己の権力を強固にするために、政府や政治体制に対する不信を助長しました。その過程でソーシャルメディアを効果的に活用しました。アメリカでもこの一年間、似たようなことが起こりました。

エマニュエル・パストリッチ:

しかし、同時にマスコミのデスクや情報を選択するゲートキーパーの役割に懐疑的な見方もあります。マスコミ権力が社会的論議を制限し、アメリカ国民の考えを単純化させるために積極的に動いたと考える人たちも多いです。この主張についてはどうお考えですか。

フランシス・フクヤマ:

ゲートキーパーを通さず個人が情報を直接作り出し、共有・配信できるようになったのは、確かにインターネットのおかげです。したがって、インターネットの波及力を世界的に分析すれば、複雑になるしかありません。

平凡な人でもニュースが配信できるようになったことはとてもよいことです。しかし、不純な意図を持つ勢力がニュースナラティブを思い通りに操作するようになったのは、インターネットが導入した頃には考えられなかった副作用でしょう。

エマニュエル・パストリッチ:

インターネットを通して世の中のことを知ろうとする若者たちに何かアドバイスはありますか。

フランシス・フクヤマ:

いま現在の社会の流れが自分にどう影響を及ぼすか、それを正しく把握するためには、ウェブサーフィンだけでは物足りません。より真摯な教育的努力が必要です。

インターネット空間をサーフィンしながら探索するのなら、情報の信頼度の判別ができなければなりません。情報の出所を評価することができず、利用者を操作するために講じた手段を把握できなければ、簡単に路頭に迷ってしまいます。

まず、情報の出所がわからなければなりません。そして、真実の真偽を判断して、どんな政治論理や修辞学を利用しようとしているのかを分析しなければなりません。事実確認については大学時代に受けた教育が役に立つことでしょう。

そのような過程は退屈に感じられるかもしれません。しかし、脚注から事実がわかることもありますし、信頼できる引用句が何なのか判断できる能力は、インターネットに山積するフェイクニュースに遭遇した時に大きな差が出てきます。

技術の発展も変化をもたらしました。スマートフォンは相互作用のスタイルを大きく変えてしまいました。デート中でもスマートフォンだけを見ているカップルをよく見かけます。何がそんなにおもしろいのか、一緒にロマンティックなカフェにいながらも、互いに顔を見合わせません。

技術が人間社会と人間が社会的に関係を結ぶスタイルにどんな影響をもたらすのかを考えてみなければなりません。最近は以前のようなスタイルで顔を見合わせながら相互作用は行いません。このような行動の変化は今後どのような結果をもたらすでしょうか。確かに変化があるはずです。これを正確に予測するのは困難なことです。

エマニュエル・パストリッチ:

相当に大きな変化が起こるだろうと見ています。それならば、これに関連して、若者たちはどのように行動しなければならないでしょうか。

もちろん、世界最高の大学に通って、人文学の授業を熱心に受講できれば、それに越したことはないでしょう。哲学、歴史、文学、芸術をしっかりと勉強することをお勧めします。

しかし、全ての人にそのような機会が与えられるわけではありません。現在の政治的変化や急速に変化する社会の中で、どうすればバランスを崩さずに生き残るための勉強を続けていけるでしょうか。勉強や独学をするのに必要な心構えや戦略があるならば、それは何でしょうか。

フランシス・フクヤマ:

最近は以前と違って、一人でも勉強できる手段は多分にあります。意欲さえあれば、誰でも活用できる優れたオンライン学習資料は豊富にあります。

カーンアカデミーやEdX(エドエックス)、Coursera(コーセラ)等のオンラインプログラムは水準が非常に高く、どんな授業でも受講できます。但し、しっかりとした心構えが必要です。勉強しなさいと言ったり、管理する人はいませんからね。

確固たる目的意識を持って、しっかりと自己管理ができるのならば、YouTubeにも役に立つ資料がたくさんあります。「How to」動画シリーズも随分役に立ちます。見つけたいものが確実にわかっていれば、インターネットには多くの宝物が存在します。

社会の動向を知りたければ、一人でも学べる道は以前にも増して多く開かれています。しかし、詳しい情報はさほど多くないことを承知しなければなりません。

■ 挑戦する民主主義、そして、若い世代の政治参加の重要性

エマニュエル・パストリッチ:

「民主主義」という単語自体も若者の政治参加を難しくさせています。政治家や学者がよく使う言葉なのですが、「民主主義」とは正確にはどんな意味でしょうか。現在の地政学・技術的変化が持続すると仮定した場合、今後、民主主義はどのように意味付けされることになるでしょうか。

正確に定義することなく「民主主義」という言葉を使用する傾向があります。単純に選挙をするということだけが民主主義ではありません。スターリンも選挙をしましたが、自由や透明性は保障されていませんでした。ならば、「民主主義」は正確にはどんな意味でしょうか。

フランシス・フクヤマ:

具体的に言うと、「自由民主主義」とは民主的な手続きを踏まえた文化を作り上げるために相互作用する、次のような三つの制度を持ち合わせていなければなりません。

まず、政府が必要になります。現代的な意味での政府です。偏りなく中立的な体制です。政府は社会を保護し、法を執行しつつ、基本的な行政サービスを提供する権力分配の制度です。特定の政治家の支配力に依存することなく、全ての市民を対象にして、平等に行政サービスを施行しなければなりません。

次に、法治主義でなければなりません。行政権限を持つ人が自分の思い通りに権力を振るわないようにするために、権力を制限する透明な法制度が確立させなければなりません。しっかり牽制して、問題解決の過程は一般に公開されなければなりません。

最後に、選挙等の透明な手続きを通して、支持を一番多く獲得した国民に自己の行動責任を負わせ、自己の利益だけを追求させないようにする民主的な手続きが必要です。

この三つのポイントが自由民主主義を成し遂げるためには絶対に必要な構成要素です。言い換えると、この中の一つでも欠けると、体制全体が揺らいでしまいます。真摯な自由民主主義には強力な政府、法治国家と同時に民主的な手続きを通して国民に責任を負う制度とが組み合っていなければなりません。

政府が立法、及び、執行を行える充分な権限や力量を持つとしても、法や民主選挙を通して制約を受けることで、権限を乱用しないように牽制するバランスがなければなりません。バランスの中心を見つけ出すことは容易いことではありません。最も開放的な社会であっても、絶え間ない努力をしてこそ可能なことです。

エマニュエル・パストリッチ:

今、自由民主主義の多くが挑戦を受けるのはどうしてでしょうか。

フランシス・フクヤマ:

難しい点が多いです。まずは、現代的な政府を構成すること自体が困難なことです。

アフリカや南米の場合、それが顕著です。腐敗は世界のどこでも政府の正統性を蝕む普遍的な問題です。

東アジアは他の地域と比べると、相対的によい成果を成し遂げました。法を制定して大統領を選出した言っても、組織的に腐敗した体制を克服することではありません。そのためには何世代にも渡る長期的な政治文化的闘争を続けなければなりません。

一方、アメリカやヨーロッパで新たに浮上した自由民主主義に対する挑戦は、途上国の腐敗問題とは性格が非常に異なるものだと言えます。

先ほど述べた自由民主主義の三大要素をもう一度考えてみると、最近の西欧では政治システム内で民主主義が法治主義を攻撃する新たなポピュリズムが浮上しています。

まず、国粋主義的ポピュリズムの政治家が政権をストレートに攻撃するという理由で当選しました。彼らは政府が国民を代表していないと主張しています。ロシアのプーチンが始めたポピュリズムの論理はギリシャのレジェブ・エルドアンやハンガリーのオルバーン・ヴィクトルが追随しています。

終いにはアメリカではドナルド・トランプが当選しました。どのケースも選挙をして当選した指導者なので、ある程度の正統性は持ち備えています。幅広い層から支持を得て当選したのですが、当選後、与えられた権限を乱用して、法治主義を毀損しています。

これらのポピュリズムの政治家たちは権力の限界に順応しないので、人気を利用して、政府の権威を引きずり下ろすのです。

彼らはマスコミや野党を攻撃して、がんじがらめにしようとしています。自分の権威や正統性を強化するために、戦略的に司法の権威を毀損し、堕落させるのです。自由民主主義の模範だった国家でも、また、世界各国でこのような現象が現れるのではないかと恐れています。

エマニュエル・パストリッチ:

では、若者は何をしなければならないでしょうか。大学生や高校生でも特定の政治家を支持し、メディアを通して政治に関するニュースに触れることで状況を把握することはできます。

しかし、それ以外で何かできることはありますか。若者が責任を持って、透明な政治文化を作るためには、普段からどういうふうにすれば寄与ができるでしょうか。

フランシス・フクヤマ:

歴史的に、学生がいた場所には必ずと言ってよいほど学生運動がありました。学生たちが先頭に立って、国家革命や民主化運動を起こした例は多くあります。

最近、政治参加の過程がエスカレートするのは、学生たちがどの政治的目的を支持するべきかをしっかりと判断できずにいるからだと感じる時があります。そういう意味では、変化を起こしたいのなら、政治的認識と同時に効果的な政治組織を構想する必要があります。

若者は顔をそむけて見ない振りをしたり、盲目的に出世だけを追いかけてはいけません。自分が参加してこそ、社会の政治的手続きが完全になるという考えを持たなければなりません。

■ 現実からかけ離れた大学

エマニュエル・パストリッチ:

しかし、就職するためには、経営や技術関連の授業を受講しなければならないという非常に強い圧迫感に迫られているのが現状です。政治や社会に関心を持っていても、生存するために関心を絶って、学問の範疇を広げることができないケースが多いです。

1960年代の日本や韓国、中国は今と比べると生活水準はさほど高くありませんでした。しかし、今と比べて、文学や哲学を勉強する学生はとても大勢いました。なぜ、だんだん人文学から遠のいてしまったのでしょうか。コンピュータープログラミングや会計に対する強迫的な執着はどうしてだと思われますか。

フランシス・フクヤマ:

労働市場が変化したことが主な原因です。技術が発展して、コンピューターや自動化技術が低熟練労働に取って代わり、労働市場を再編しました。つい最近では一時期とても安定的だった中産層の雇用までも自動化技術が代替し始めました。自動化により、STEM領域に非常に高いプレミアムが付くようになったのです。

全般的な雇用の減少に加えて、特定分野、特定技術に対する需要が教育体制を揺らがしてしまいました。「どこで職探しをすればよいのか。」と不安がる学生たちはこれ以上何も考える余裕がありません。

40年前、私が大学生の頃は英語や哲学を専攻しても、卒業後、企業の管理職への就職も可能でした。しかし、今は不可能なことです。

全般的にSTEMへの集中は一時的な流行だと言えますが、強調しずぎる面もあります。受容の原理が持つ圧迫のため、学生たちは人文学に背を向けています。同時に、人文学の教授陣も状況改善のために何か働きかけているわけではありません。

この間、人文学は「政治的正義」というイデオロギーに魅了されて、女性学や民族学だけに集中する傾向がありました。人文学を教えるスタイルに政治的偏向が作用して、文学や哲学の解釈では学生の不安感を払拭してくれることはできず、他の世界の話をするかのように聞こえるのでしょう。

学生たちが17世紀のスペイン演劇で表現されたクイア文化にあまり興味を示さなかったのは、ある意味、当然のことだと言えます。

エマニュエル・パストリッチ:

私は教授として、アジア研究ジャーナルを購読しています。しかし、読みたい論文はあまりありません。内容やテーマが現実や日常の経験とあまりにもかけ離れていて、学業を仕事とする私でも論文を読むのが面白くありません。

フランシス・フクヤマ:

そういう傾向が今後、より深刻になると思っています。学界では自己の学問分野や権威の維持に努めようとしています。そのため、極端に技術的だったり、方法論的に固定化させて、曖昧な専門用語で論文を書き埋めるのでしょう。

その結果、一般大衆との意思疎通ができなくなりました。学者の間でこのような傾向が強くなってしまい、教育に大きな副作用をもたらしたのは事実です。

■ アジア的価値は代案になりえるか

エマニュエル・パストリッチ:

先ほど述べられた法治主義や自由民主主義の概念に関連した西欧文化は、全世界に共通する価値や原則を樹立する基盤になりました。経済学、政治学理論からホテルの装飾、機内食に至るまで、西欧文化がそのままグローバルスタンダードになりました。

しかし、歴史的には東アジアも後進的な地域ではありませんでした。過去2千年を振り返ってみても、その中でも中国を筆頭にして、韓国や日本は経済文化的に他のどの地域よりも先進的でした。儒教や仏教の伝統を基に普遍的価値や政治原則を樹立して、一部の価値においては非常に精巧な水準にまで発展させました。

アジアの影響力が増大すれば、グローバルスタンダードの変化があるとお考えでしょうか。その点が気になるところです。また、仏教や儒教の伝統はどの程度まで世界共通基準、及び、規範に統合させることができるでしょうか。もしくは、絶対的な限界があるのでしょうか。その点についてお伺いします。

フランシス・フクヤマ:

究極的にアジア文化が地位を享受できるかどうかは定かではありません。今まではアジアの文化的規範はアジア以外の地域にはあまり影響が及びませんでした。もちろん、アジア旅行をしたり、囲碁を習う人たちはいました。

しかし、巨大な文化談論が全世界に与える影響力の次元で考えてみた場合、アジアは私がいる地域の主要文化では特別なパワーを持つことはできませんでした。

中国の曖昧なアイデンティティーがその理由の一つだと考えます。中国はアジア文明において支配的な位置を占めながらも、固有の文化的アイデンティティーを明確に糾明できずにいます。現在の中国の国家的イデオロギーはマルクス・レーニン主義です。考えてみてください。中国の指導層が19世紀の二人の白人男性の思想を基にして作った政策なのです。

儒教的価値観を取り戻すために適当な努力はしていますが、中国の知識人や政治家は儒教的価値とマルクス・レーニン主義とを両立させることはできないということを知っています。とてもかけ離れた二つの知的伝統思想の間で要領を得られないでいるのです。そのため、中国文明に対して一貫性のある見解を提示するのは困難なことなのです。

日本や韓国はこの60年間、アメリカや西欧の制度に頻繁に接触しつつ、西欧の価値観や慣習を中国よりも多く吸収しました。これを自国の伝統的価値観に結合させました。

ならば、最近の西欧人は日本についてどの程度知っているのでしょうか。もちろん、マンガやアニメは知っています。これらのジャンルの文化には日本的要素が含まれていますが、ジャンルの始まり自体は西欧から多くの影響を受けたものです。

今やこれ以上世界のどこからも100%固有の文化と言うものを見つけるのは困難です。どの伝統も複雑な方式で進化を遂げました。これからはどの価値を中心にするか、アジア自らが決定を下すことができるかどうかにかかっています。これらの価値が全世界に幅広く影響を及ぼせるかどうかは、その時になって考えてもよい問題ですが、確かに言えることは、今はまだその段階にまで至ってないということです。

■ 中国の浮上と東アジアの未来

エマニュエル・パストリッチ:

中国の経済発展は新たな次元にさしかかり、ビジネスや文化商品も完成度が高くなりました。しかし、中国の役割は相変わらず制限的です。中国と中国の意図に対してまだ西欧が相当な疑念を抱いているためだと思われます。

とにかく、全世界の人口の6分の1を占める中国が、世界を舞台にしてどんな役割を果たさなければなりませんか。

フランシス・フクヤマ:

アメリカやヨーロッパでは憂慮交じりの反応が出ているは承知しています。現在、権力の移動が急速に起こっています。歴史的に見ても、権力の移動で終わりがよかったことはあまりありません。新興の強国が自国の重要性を過大評価したり、「沈む日」になった既存の強国がパワーを失わないように耐えながらも葛藤が生じるからです。

地政学的なゲームは、微妙に作動するため誤判しやすいものです。自国の利益を追求しつつ、新たな強国の平和的な浮上を受容するためにはどうすればよいのでしょうか。中国がこの問題を意識しつつ、控えめに接近しているということが鼓舞的です。最近では以前のような慎重な態度が見られないような気がしますが。

エマニュエル・パストリッチ:

最近、中国はアメリカ人権報告書を発刊して、アメリカが他の国を評価したように、アメリカを評価すると言い出しました。

フランシス・フクヤマ:

全般的に中国は忍耐力を持って事案を扱っており、とても性急に動くと、ひどい拒否反応が起こることも承知しています。事態がどのように流れるのかは、とりあえず見守る必要があります。

エマニュエル・パストリッチ:

このような状況下で、若者がすべきことは何でしょうか。

フランシス・フクヤマ:

中国や日本、韓国の若者たちが国粋主義の論理を主張するケースが今までの世代よりも増えました。心配な現象です。

国家に対する新たな自意識や多国に対する敵対心を教え込まされ、権力の正当性を強化しようとする政権の意図にそのまま従った結果だと言えます。

国粋主義的な美辞麗句や政治論理を前面に押し出す国家があれば、他の国家もこれに反応することになります。それなら、論議は狂い、非生産的になるでしょう。

そのため、各国の政府は国粋主義的な主張を統制する義務があります。明らかに言えるのは、今は均衡のとれた視点をもって歴史的記録を残すために踏まなければならない段階にきています。歴史的真実を明らかにして、記録したドイツとポーランドの努力が最もよい例だと言えます。

1939年にポーランドを侵攻したドイツは、その後、ポーランドを占領して、所々を破壊しました。復旧にはかなりの時間を費やし、作業も困難をきたしました。共産主義の支配を受けたので、イデオロギー闘争をするにも歳月が必要でした。

1990年代になってポーランドはやっとれっきとした独立国家になり、EUにも加入しました。ドイツとポーランドは悲しい過去を克服するための処置をとりました。両国は歴史教科書共同編纂委員会を設立しました。両国の同意を基盤にして、当時、起こった事件の順序を明確かつ透明に記述する共同の歴史教科書を執筆するためでした。

しかし、アジアでは一緒になって歴史を連続的に論議することは不可能でしょう。中国や日本、韓国は共通の歴史を論議するための同じテーブルに着くことさえできずにいますから。

エマニュエル・パストリッチ:

中国や日本、韓国でも共通の歴史教科書を編纂しようと提起する学者はいました。

フランシス・フクヤマ:

もちろん、いました。しかし、中国や日本、韓国の指導者が共同で編纂・監修した歴史教科書を作ると約束することは政治的に不可能なことです。

しかし、正直に述べると、東北アジアで必要なのは、まさにこれなのです。現在、各国は自国の偏向的な見解に基づいて歴史を記述しています。互いに異なるナラティブを合わせていく努力なしには、三国間でいかなる実質的理解も成されないのです。歴史的談合は誤った方向に急速に向かっています。

安倍政権は相当な数の歴史的事件を隠蔽する教科書を作るのに余念がありません。既存の歴史教科書でも第二次世界大戦で日本が引き起こした出来事を充分に取り扱っていません。

他の国家もこれをよく知っています。中国もまたこの15年間、歴史的ナラティブにおいて日本を攻撃する表現を増やしてきました。

溝は次第に深まっています。どの国家もその責任から自由になることはできません。

■ ろうそくデモ、韓国の民主主義の底力

エマニュエル・パストリッチ:

朴槿恵前大統領が弾劾されました。弾劾決定により韓国では希望的な雰囲気が生まれましたが、国内の事態に加えて、アメリカと中国との地政学的対立という国際情勢により不安が増すのでないかという憂慮が深まりました。

困難な状況に置かれた韓国の若者にアドバイスはありますか。

フランシス・フクヤマ:

私は、韓国の動向を見守りながら大きな希望を得ました。昨年11月に韓国を訪れた際、朴槿恵前大統領の弾劾を導いた大規模なデモを直接見ました。その姿こそが真正な民主主義だと思いました。

このように市民が参加しなければなりません。市民は自分の声を上げ、政府は法治主義の原則に従って反応を見せなければなりません。

安定を取り戻すために必要な手順はすでにここにあります。大統領選挙を行えば、新たな大統領が誕生するでしょうし、改革案も新たに設けられるでしょう。

韓国の国民はこれまでの出来事に対して自負心を持つべきありで、羞恥心を感じる必要はありません。政府はとんでもない腐敗事件に巻き込まれましたが、最終的には意味のある方法で対応していきましたから。

それよりも北朝鮮で起こっている出来事の方がもっと心配です。まだ若い金正恩はとても危険な考えの持ち主に見えます。アメリカでは危機管理能力が検証されていない、東北アジアの状況を深く理解してない政権が誕生しました。

こういう状況の下、北朝鮮の脅威が増しています。今後、何ヶ月の間は落ち着いた状況が維持されるのを望むのみです。

エマニュエル・パストリッチ:

若者を対象にして書く場合、重要なことは何でしょうか。

フランシス・フクヤマ:

若者を対象にして書く場合、私がよいアドバイスができるかどうかはわかりません。私自身も若者を対象にした場合は上手に書けないんです。メッセージを伝えるスタイルを決定するのが最も難しいことではないでしょうか。

最近の若者は本や新聞をあまり読みません。我々世代がしてきたようなスタイルで情報を収集したりはしません。したがって、この本の内容を成功的に伝えるためには、若者と効果的に疎通する方法を見つけ出して、伝えるスタイルを決定することが本の内容に匹敵するほど重要だと思います。

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