野口聡一さん、「地球は青かった」「私はカモメ」など宇宙飛行士の名文句について語る

野口聡一さんが、ガガーリンの「地球は青かった」、テレシコワの「私はカモメ」など、宇宙飛行士の名台詞について解説。
Engadget 日本版

9月23日まで開催されている宇宙博2014では、期間中幾つかのスペシャルステージを開催しています。その一つとして、JAXA宇宙飛行士の野口 聡一さんによるトークショーが行われました。

野口宇宙飛行士は、10枚の写真で宇宙飛行士の歴史をテーマに語りました。人類最初の宇宙飛行士 ユーリー・ガガーリン から若田宇宙飛行士までを振り返りました。宇宙飛行士たちの有名な言葉についても見解を述べています。

野口聡一・宇宙飛行士トークショー

野口聡一・宇宙飛行士トークショー 画像集

最初に紹介した写真は旧ソ連(ロシア)の宇宙飛行士 ユーリー・ガガーリン の写真でした。「地球は青かった」という言葉はあまりにも有名ですが、実は当事のロシアでは有名ではなく「Поехали!(パイエハリ!=さあ行こう!)」という打ち上げに臨んだ際の言葉が知られています。

宇宙飛行士の間でもこちらの台詞が認知されており、売店でもステッカーやポスターになっているほど。後で調べたところによると「地球は青かった」は、帰還後のインタビューのなかで、「地球は青みがかっており、宇宙は暗かった、そこ(宇宙)のどこにも神はいなかった」の一節が切り取られたものでした。朝日新聞社から1961年にガガーリンの自著『地球の色は青かった』の題で出版されたのも影響しているかもしれません。

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続いて女性初(民間人で初でもある)の宇宙飛行士である ワレンチナ・テレシコワ の写真を紹介。こちらも有名な「私はカモメ」というコメントですが、(宇宙博2014の主催者に朝日新聞社が含まれていることもあり)当時の朝日新聞の縮刷版にも確認されていることを紹介。

当時のボストーク宇宙船にはそれぞれコールサインを自然現象ないし動物や植物から名付けることになっており、彼女の乗機は「чайка(チャイカ=カモメ)」と名付けられていました。

野口宇宙飛行士は、意味合いとして「"Я чайка"(ヤーチャイカ=こちらカモメ号)」と言ったものが、日本に紹介される過程で「私はカモメ」、テレシコワさんが女性という事もあって詩的に解釈されたのではないか、と紹介しました。

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1960年代は旧ソ連の共産主義が宇宙進出だけでなく、産業や技術面などでも躍進していました。野口宇宙飛行士は初の船外活動を行ったアレクセイ・レオーノフが紹介。初の船外活動は宇宙服のトラブルなどにも悩まされながらも臨機応変な対応を行って無事生還したそうで、来年が船外活動=宇宙遊泳50周年となります。

1969年7月20日、人類初の月面着陸を行ったのがアームストロング船長です。「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」という有名な言葉を紹介しながら、ことごとくソ連の後塵を拝していた米国が、ケネディ大統領によって発せられたアポロ計画によって一矢報いた瞬間であったと説明しました。

1980年代の米ソ宇宙競争では国ごとに方向性が異なります。米国では1981年にスペースシャトル打ち上げ、人類初の宇宙飛行から20年後、スペースシャトルが打ち上げられたことになります。2011年までに合計135回のミッションが実施され、多くの宇宙飛行士や資材を宇宙に運び、大量輸送時代が幕開けしました。

ソビエトでは宇宙での長期滞在をめざし、1986年から2001年まで15年間に渡りミール宇宙船が運用されました。1994年にはロシア人医師のワレリー・ポリャコフが437日間の連続滞在の記録を樹立、これは未だに破られていない大記録となりました。

2000年代に入り米国、ロシアの2大プレイヤーに加え、中国や民間の宇宙船が参入してきます。2004年6月には政府の資本を全く使わずに宇宙へ行く国際コンテストを開催。野口宇宙飛行士は、民間の資金のみ(実際にはほとんどマイクロソフトが払ったと言われていると補足)で宇宙飛行を行った「スペースシップワン (SpaceShipOne) 」を紹介し、「『Government Zero』の文字もあり、米国の反骨精神を感じさせますね」と話していました。

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ちなみに、宇宙飛行士の定義については、ロシアでは地球を一周した宇宙船の飛行士(周回軌道に乗った人でないと宇宙飛行士とは呼ばない)と定められています。初の宇宙飛行やスペースシップワンのフライトは(船外作業もできない)弾道飛行であるため、全世界的に認められるかどうかは定かではないところもあるそうです。ただし、高度100km以上を宇宙空間とする定義から、高度100kmに達する飛行を行った(行うミッションを担う)場合、広義の宇宙飛行士と呼べます。

次の写真では、ISS(国際宇宙ステーション)を紹介。ISSは連続運用5000日の記録を達成したばかりで、2000年に3人の宇宙飛行士が滞在を開始し始めてから、常に宇宙飛行士がISSに居るという状態です。なおロシアの宇宙ステーション「ミール」は16年運用されました。ISSも耐用年数に近づいてきていますが、きちんとメンテナンスすることで耐用年数を延ばせるとしています。

最後に野口宇宙飛行士は「ツィオルコフスキーの公式」で有名なコンスタンチン・ツィオルコフスキーの「地球は人類の揺り籠だが、我々が永遠に揺り籠に留まることは無いであろう」という言葉を引用しました。

ツィオルコフスキーの言葉が157年前に生まれていたということや、人口増加やさまざまな環境変化によりこの先地球に住み続けることができなくなるかもしれず、その時に人類が自分自身で生きる未来、場所を探してゆく必要があるんじゃないかとといった話があり「まさに我々宇宙飛行士がこの言葉に突き動かされて今、ここに居るのだろう」と締めくくりました。