東京初、直接請求で実現した小平市の場合―住民投票から考える民主主義の諸問題(1)

小平市での住民投票はいま注目を集めている。なぜなら、住民の直接請求によって住民投票が実施されるのは、東京都でははじめてのことだからである。

来る5月26日、東京都小平市で住民投票が実施される。住民投票とは、地方公共団体内のある事項を、その地域の住民の投票によって決する制度である。地方自治法によって規定された公的な制度だ。

住民投票は2000年代の前半に盛んに行われた。これはいわゆる「平成の大合併」の際に、首長が住民の意思を問う形で住民投票が盛んに実施されたからである。

しかし、今回、小平市で行われる住民投票は、それらの住民投票とは大きく異なる。なぜならこれは、住民の直接請求によって実現した住民投票だからである。直接請求とはこの場合、住民が署名を集めて住民投票条例の制定を求めることを言う。

条例制定のためには有権者の50分の1の数の署名が必要である。但し、それだけの数を集めても条例を制定するには議会の同意が必要である。また、条例案には首長が意見を付すことになっている。首長が賛成しなければ、条例案可決の可能性は低くなる。

これまでも全国で住民が署名を集めて住民投票の実施を求めることは何度もあった。しかし、ほとんど場合、首長が条例案に反対意見を付し、議会によって否決されてきた。2010年の総務省の調査によると、1982年以降に市町村で実施された住民投票は400件あるが、そのうち、合併以外のテーマで行われたものはわずか22件。住民が住民投票条例案を署名によって直接請求しても、条例案が可決される割合は2割未満であるという。

今回の小平市での住民投票はいま注目を集めている。なぜなら、住民の直接請求によって住民投票が実施されるのは、東京都でははじめてのことだからである。この事実は実のところ驚くべきものである。日本の首都である東京では、これまで住民の直接請求が実って住民投票が実施されたことは一度もなかったのである。

私は哲学を研究している大学教員であるが、後に紹介することになる事情からこの住民投票に深く関わることになった。私はもちろん今回の住民投票のテーマに強い関心を寄せている。しかしそれだけでない。私は哲学を研究する者として、今回の住民投票は現行の民主主義にとって画期的な意味を持つと思っている。

このハフィントン・ポストのブログ連載では、5月26日に行われる小平市住民投票の内容、それが実現されるまでの経緯を説明しながら、最終的には、民主主義そのものの問題を考えていきたい。いまの民主主義のどこに問題があり、どこをどう変えていけばよいのか? それを明らかにすることがこの連載の最終的な目標である。

***

JR国分寺駅と西武東村山駅を結ぶ西武国分寺線。停車駅わずか5つのこの路線に鷹の台という駅がある。駅前には個人商店が、数は少なくなったとは言うもののまずまず残っている。小さな駅だが、付近には津田塾大学、武蔵野美術大学、白梅学園大学、朝鮮大学校などがあり、数多くの若者が行き交う。駅前は活気がある。

小平市は都内でも緑の多い地域として知られている。鷹の台駅付近も例外ではない。駅のすぐ近くを国の史跡である玉川上水が通っている。上水の脇の遊歩道には木が生い茂る。遊歩道での散歩を楽しむのは付近住民だけではない。休日には少なからぬ数の人たちが遠方からここに緑を楽しみに訪れる。

駅の裏の小平市中央公園はもともとは桑畑であったという。この広々とした静かな公園はスポーツをする若者の、遊具で遊ぶ子どもたちの、ただブラブラする大人たちの憩いの場だ。

この公園の西側に大きな雑木林が広がっている。なんてことはないただの雑木林である。しかし、なんてことはないただの雑木林というものが、いまではめずらしい。保存樹林というのはよく見かけるが、だいたい立ち入り禁止である。この雑木林はそうではない。誰でも入れる。そしてみんなが、なんとなく利用している。

歩いたり、遊んだり、座ったり、眺めたり。人間だけではない。植物も虫もたくさんいる。しかも、どうやら渡り鳥の中継地にもなっているらしい。つまり、人間も動植物もここを利用させてもらっているわけだ。

ところが、いまこの雑木林とその付近の地域が危機に瀕している。ここに道路を作ろうという計画があるのだ。玉川上水は東西に走っている。雑木林はその北側にあり、雑木林の更に北側には閑静な住宅地が広がっている。この住宅地から雑木林を通り、玉川上水を貫通する幅36メートルの巨大な道路を作ろうというのである。

道路は東京都が作る都道3・2・8号線と呼ばれる道路である。試算では約220世帯に立ち退きを強いることになる。約480本の木を切り倒さねばならない。総工費は約250億円だ。(※)

これだけでも非常に驚くべき数字であるのだが、さらに驚くべきは、この計画が1962年、今から半世紀前に計画されたものだということである。1962 年というのは昭和37年である。最近、遠く過ぎ去った昭和30年代にノスタルジックな想いを寄せる映画があったが、その時代だ。今とは何もかもが違う時代だ。

なぜその時代の計画を今さら実行しなければならないのだろうか? 確かに高度経済成長期には自動車の交通量は飛躍的に増えた。しかし、誰でも知っていることだが、これからは自動車は減る。最も交通量が多かった時期が終わったというのになぜ今なのだろうか?

この計画は曖昧なままずっとお蔵入りになっていたらしい。それが、どういうわけか数年前に復活してきた。そして東京都はどんどん話を進めてきた。

この道路計画で最も影響を受けるのは付近の住民である。しかし、計画を進めるにあたり、東京都はそうした住民の声に耳を貸そうとはしなかった。

後に説明するが、都市計画道路を作るにあたっては、住民の許可を取る必要はない。事業主(たとえば東京都)は、単に「説明会」を開催すればいい。そして、国交省に事業認可申請を行い、それが認められてしまえば、すべて自分の思い通りに計画を進める権利を与えられる。強制執行といって、ブルドーザーで邪魔な家を突き崩すこともできるようになる。

私たちはそういう国に住んでいる。

私たちが住んでいる国では、「そこに道を作るから、どいてくれ」と言われた場合、反対どころか、反論する権利すら与えられない。

そう、私たちはそういう国に住んでいるのだ。

私はそれに強い疑問を持った。そして、疑問を持ったのは私だけではなかった。どうしてこんな道路が必要なのか。どうして住民の意見が計画に反映されないのか。私などよりもずっと以前から、そういう疑問をもち、地道に活動してきた人たちが鷹の台にいた。

その人たちは近くの集会所で小さな集まりを重ねながら、最後の手段として住民投票に訴えた。そして、非常に多くの難関を乗り越えて、それを実現する。住民投票条例可決の際にはNHKを含めたテレビ局が取材に来た。ニュースは大手各紙(朝日、読売、毎日等々)で報道され、東京新聞では2日間にわたって1面トップで記事が組まれた。

住民投票は正式なものである。いつもの国政選挙のように、投票用紙が郵送され、投票所が用意され、投票が実施される。市が法規に則って公的に実施しなければならない出来事を、住民の運動が実現したのである。

もちろん、この後どうなるかはまだ分からない。だが、小さな住民の運動が地方公共団体を正式に動かしたということ。このことの意義は大きい。次回はより詳しく道路計画について紹介しよう。

(※)総工費は、同じ道路の国分寺部分の総工費をもとに「小平市都市計画道路に住民の意思を反映させる会」が計算した試算。伐採される樹木の本数は東京都が環境影響評価書で公表している数字。立ち退き世帯の数は東京都北多摩北部建設事務所による試算。

・関連記事

----

今回の小平市の住民投票をめぐり、いとうせいこうさん、中沢新一さん、國分功一郎さんが出演するシンポジウム「〈どんぐりと民主主義〉入門編」が開催されます。5/11(土)19時〜。ルネ小平中ホールにて。市内の方300円、市外の方500円。予約不要。

注目記事