学び続けるアクセルとしての2年の通信制大学院 ~初めての研究論文まで〜

私はこの春に看護師として8年目を迎えた。5年目となる2015年春に一つのチャレンジを始めた。

私はこの春に看護師として8年目を迎えた。

5年目となる2015年春に一つのチャレンジを始めた。病院勤務をしながらしっかり学ぼうと通信制の星槎大学大学院教育学研究科へ入学して、看護教育研究コース一期生がスタートした。

やる気をふりしぼった2年はあっという間にすぎ、2017年3月に修了を迎え、教育学修士号を無事に取得した。学位記を手にしてようやく実感がわくとともに、大学院での様々な学びが色濃く残っていることにも気づいた。

「アウトプットできる看護師になりたい」という願望が私の大学院進学理由の一つだった。そこまでできるようになったのかと問われれば、まだまだ目標には達していないと答える。

しかし、アウトプットするために必要な知識、技術、手段を考えることは身につけることができたのではないかと思う。これは大学院での研究を通して培われたと感じている。

アウトプットできる看護師を目指した私の学びの2年間を振り返ると、入学当初の思い(https://www.huffingtonpost.jp/emi-yokoyama/nurse_b_7741930.html)、そして入学後1年の思い(https://www.huffingtonpost.jp/emi-yokoyama/working-and-studying_b_10604744.html)とはまた少しずつ考えが変化してきた。

最終学年で研究論文を完成させたことが大きく影響している。今回は研究を通して学んだことを振り返りたいと思う。

大学院で行う研究は、入学時から丸2年間で完成しなくてはならない。

指導教員からの「臨床に役立つ研究をする」という教えを念頭に、私は1年次に研究計画を立て、大学院と医療機関での各研究倫理審査を経て、2年次から本格的な調査・研究を行った。私の研究テーマは、造影剤副作用対応における看護師の迅速な対応を目指した教育介入とした。

CT検査などの画像診断は、患者さんの病態の把握や治療効果の判定に必要とされ、しばしば造影剤投与とともに行われる。造影剤使用は注目する臓器と周囲の血管を区別できる利点があるが、軽症(痒みやじんま疹、嘔吐、くしゃみ、喉の違和感など)から重症(呼吸困難、ショック、アナフィラキシー様反応など)まで様々な副作用が生じうる。

副作用の発生頻度は、重症から軽症まで合わせて約3%程度である。しかし、造影剤副作用は投与5分以内に起こることが多く、症状が出現した際には迅速な対応を要する。

特に、臨床現場で造影剤投与に従事する看護師が重度の造影剤副作用に対応するには、経験値だけでは不十分で、その副作用に関する知識や技術を「備えて」おく必要があると考えた。

これが私の研究の動機であり、造影剤副作用対応に関する知識・技術・意識を問う質問紙調査、造影剤副作用対応の講義・シミュレーション(教育介入)、教育介入後の知識・技術・意識の変化を問う質問紙調査を行う計画を立てた。

この研究計画を立てるにあたって、どのような方法で看護師へ教育を行うか、どんな教材を用いるか、教育介入の時間など臨床現場で働く看護師の時間調整、といったことを考える必要があった。

看護教育分野での研究動向を文献から調査して、自身の研究で取りうる方法を考え、必要な教材を作成した。そして教育介入効果を定量化するために、造影剤副作用対応の知識や技術を測る筆記テストと実技テスト、一連の教育介入についての自己評価表を作成した。

こういった研究の準備を進めている中でも、これからの調査がきちんと実施できるのか、教育介入を受けた看護師は果たして造影剤副作用対応が身につくのだろうか、研究実施の許可が得られるのだろうか、と常に様々な不安がつきまとった。

その不安の大きさと比例して私の学習時間は長くなっていった。今思うとこの行動は不安を払拭するための方策だったのだろう。日常看護業務が終わってから関連文献を読み、先生方から指導をいただきながら教育実施までの計画を進めていった

。自分自身で考えて、調べて、書くことを繰り返していた毎日であったが、なかなか形にならないことにもどかしさや焦りを感じることもしばしばあった。

先生方からは、様々な参考図書や論文を教えていただき、中には英語の論文もあった。

それぞれを読み込むまでには苦労もあったが、看護だけにとどまらず医学や教育学の文献を読むことができ、私自身の視野の広がりを実感した。

そうして、研究に向けて準備してきたものが少しずつ形になっていくことが本当に嬉しく感じ、次第に不安な気持ちから「これならできる」と不安が解消されていくことが自分でもわかった。

その中でも、大学院と勤務施設の両方で受けた研究倫理審査は大きなハードルであった。倫理的配慮がなされている研究計画かを審議されるのだが、ヒヤリングと数回の修正を経て承認を受けて、臨床現場での実質的な研究許可を得ることができた。

こういった準備を進めながら、看護師を対象とした教育介入のリハーサルとして大学院看護教育研究コースのゼミで演習を行った。

指導教員である2名の先生と、看護教育研究コース同期生のメンバー(私を含めて6名)を臨床現場の看護師に見立てて、計画通りに資料を用いた講義を行った。

演習後には、講義やその資料で分かりにくかった点、話すスピード、声量などについて先生方から指導を受け、同期生からは講義を受けた印象を聞いた。

そのフィードバックをもとに資料を修正していくことができた。こうしたゼミは、同期生それぞれの進捗状況を話し、悩みを共有する機会でもある。

学習を進めるモチベーションそして同期生も悩みながらがんばっているという安心感を得られる点でも非常に有意義な時間だったと感じている。慌ただしい日常業務が続く中で、心身ともにリフレッシュできるこういった機会は貴重であった。

この演習の後に、現場の看護師に研究の説明をして同意を得てからいよいよ本当の教育介入が始まった。

施設の規定に従って、研究としての教育は勤務時間外に行ったのだが、対象となった看護師30名は快くそして意欲的に参加してくれた。

通常勤務終了後に、1〜2名の看護師それぞれに造影剤副作用対応の講義・シミュレーションを行い、その前後に筆記テスト・実技テスト・自己評価を実施した。

私自身のシフト勤務も含めてスケジュール調整に苦労しながらも、受講後の「早く教えて欲しい」、「楽しみにしてる」、「勉強になった」、「分かりやすかった」といった看護師たちの言葉に大いに励まされた。

対象者全員へのアプローチが終わると、1年間にわたる準備と計画が形になった喜びと達成感を味わった。

その一方で、学ぶ意欲のある看護師にとっての大きな壁がタイトな勤務スケジュールであることもあらためて感じた。

さらに勤務形態のほかに、子どもの世話や家庭での役割遂行といったことも、今回の研究に協力してもらう上で十分に配慮した点であった。最後の参加者(30人目)への教育介入を終えた当日のうれしさは格別であった。

協力してくれたスタッフのためにもこの研究結果をしっかり論文という形で残そうという気持ちを強く持つことができた。

そしてようやく研究論文を書く段階に入ったのだが、論文執筆を始めるための大きな手助けとなったのは大学院での3度の研究発表会であった。

年に二回、春と秋に開催されるこの発表会を目安にして、自分の研究の進捗を形にまとめる機会になったからだ。

2016年10月の3回目の発表では、30名の看護師に対する教育介入の中間報告をした。そこで思い出されたことは、2015年10月の1回目の発表での苦い経験であった。

私や看護教育研究コースの同期が医療や看護に関する用語をできるだけ平易な表現に変えて話しているつもりでも実は通じていなくて、聴衆からは「看護の言葉は難しいし、わからない」と言われ、発表後の質疑応答でも用語の説明に終始したことを強く記憶している。

この後に、普段病院で患者さんにしている私の説明は果たしてしっかり通じているのか?と通常業務での振る舞いを見直すきっかけにもなった。

そして私自身の発表を改善に向けてやったことは、対象者を意識すること、発表の表現方法を変えること、発表スライドを工夫することであった。

指導教員からのアドバイスをもとに、発表内容で重要な用語の定義を示しながら、表現にも気を配り、図や写真を用いながら聴衆が研究内容をイメージでいるような発表を心がけた。

研究発表では当たり前だと感じられるかもしれないが、発表内容の専門性を高めることに意識が集まりすぎると聴衆への配慮に欠けてしまうのではないかという私なりの危機感から考えた配慮である。

限られた時間の中で伝えたいことを、わかりやすい表現で、明確に打ち出すことが求められた研究発表会での経験は、修士論文をまとめた後の審査会そして大学院生最後の修士論文発表会でも大いに役立った。

わからないことばかりの研究論文執筆は困難をきわめた。

研究計画書とそれまでの研究発表資料をもとに、論文の章立てから細かく指導をいただいた。

研究調査と教育介入を進めながら、「研究背景」や「研究方法」など執筆可能な箇所から論文作成にも取り組んだ。

さらに教育介入として私自身がやったこと全てを「研究結果」に表していくようにした。4

万字以上という字数のハードルの高さを感じながら執筆を進める中で、看護師を対象とする介入研究では、研究内容を明確に示すだけでなく、開催時期・時間・場所などにも十分に配慮することが大切だとわかった。

看護師は様々な職種と綿密な連携体制を取って、様々な背景の健康障害・健康不安を抱える方々の援助をしている。そして後輩育成という教育者の役割も求められる。

そのために私は、専門性を高めていくことも続けながら、自身の所属組織や領域に固執せずに、周囲に「伝わるように」話すよう努めていくことが重要であると感じている。

実践の科学といわれる看護だからこそ、「実践していく」ことに意味がある。

そのためには、「この根拠はなにか」「なぜこの手順でその処置を行うのだろうか」といった現場での疑問に対して、科学的に考えて実践していく姿勢がとても重要である。

「背中を見て覚えろ」という指導だけの時代は過ぎており、指導者側には相手の立場を考えてわかりやすく表現しながら教育していくことが必要である。そうすることで、看護の質の確保、医療安全の側面、看護師の早期離職防止が徹底されていくと考える。

修士論文審査会や3度の研究発表会を終えた今でも、聴衆を意識して分かりやすく表現することに自信を持つまでには達していない。話のわかりやすさと説明の時間のバランスがとても難しいと今も強く感じている。

しかし、臨床現場を持ちながら教育学の通信制大学院で学んだことで、専門的な知見を持ちながら他の分野とのつながりを意識してより合理的な教育方法を知ることができたと思う。

また、看護師としてどのような知識や技術が必要であるか、臨床現場にすぐ還元することまでつなげられたと思う。

製本化したばかりの修士論文を手にとって星槎大学大学院の2年間で学んだ内容をあらためて振り返ると、初めて取り組むことの連続でいつも不安が先行していたが、自ら学び、行動し、形にしていくことの重要性とその具体的な方法を研究などの活動を通して学べたことが強く印象に残っている。

各場面で指導していただいた先生方、励ましあった看護教育研究コースの同期生の存在はとても大きかった。さらに研究の協力を快諾してくれた臨床現場の看護師に深く感謝したい。

今回の大学院修了は私にとって大きな通過点となった。そこでの学びを生かしてスキルを積み専門性を高めながら、時には学問に戻り、時には他分野に目を向けて視野を広げながら、相手の立場を考えてわかりやすく明確に教育を進められる看護師を目指したい。

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