菅田将暉主演のドラマ『3年A組』 純文学を彷彿とさせる世界観

単なる犯人探しの謎解きものとは違う、リアルにこだわった筋書きで、生きることの不条理に迫る。
ドラマ『3年A組 今から皆さんは、人質です』
ドラマ『3年A組 今から皆さんは、人質です』

2019年の幕が開けました。ドラマが続々とスタートしているさなか、新年にふさわしい斬新なチャレンジや瑞々しい切り口の作品が登場しています。ドラマという「架空世界」の話なのに、現実にじわじわ滲み出してきて、見ている人を揺さぶる迫力のある作品がいくつも。まずは「動」と「静」の2作品に注目しました。

●『3年A組-今から皆さんは、人質です-』

「今から皆さんには、人質になってもらいます」

ドラマはセンセーショナルな言葉で始まった。菅田将暉主演、武藤将吾書き下ろし脚本の『3年A組-今から皆さんは、人質です-』(日本テレビ系)。6日に放送された第一話は凄まじい余韻を残しました。

物語は──卒業10日前、高校3年生の教壇に立った謎の教師・柊一颯(菅田将暉)。「俺の最後の授業を始める」と言うと、爆発物を破裂させ教室は閉鎖空間に。出口はふさがれ窓も強化ガラスで割ることができず、救出もかなわない。

柊は自ら警察に電話をかけ、立て籠もりを通告。そして生徒たちにある質問を出した。

「クラスメイトの景山澪奈(上白石萌歌)が自殺した理由を答えろ」

その質問に夜8時までに正解を出せなければ誰かに死んでもらう、と宣言──。何という破天荒な設定でしょうか。ありえない、むちゃくちゃ現実離れした舞台。だからフィクションとして存分に楽しめばいい。一人の生徒の死の謎を解くサスペンスものと、多くの視聴者は納得するかもしれません。

しかし、どこか、何かが違う。このドラマ、単なる犯人捜しの謎解きものとは、どこか異質なのです。

対岸の火事を傍観するようなお気楽な聴衆ではいられない。視聴者も気付くと安全圏から引きずり出され、一人ひとりがふと自分の学生時代を思い返したり、集団の中で芽生える悪意について考えさせられたり。ヒリヒリした現実感覚が漂うのです。

他人をのけ者にしていく危険な空気。無言のうちに伝染していく悪意。自ら設定したキャラの殻の中に逃げ込んで、現実を見ないふりをするズルさ。ウソと知っても話を過剰に盛り、他に伝えてしまう悪戯。それらがじわりじわりと人を追い詰めていく残酷なプロセス......。

第一話では、澪奈の友達のさくら(永野芽郁)が過去を振り返る。「他人に同調し、澪奈を無視し距離を取ってしまった」と明かす。「それが彼女が自殺した原因です」と回答する。しかし教師・柊はその答を間違っていると完全否定し、結果として男子生徒をまず一人殺していく......。文字で書くとエグい。けれども、ただ刺激的なエグさグロさを狙った娯楽作品とは思えないから不思議です。

例えば、さくらが澪奈から渡された手紙を読み返すシーンは、透明感が漂っていて印象的でした。

澪奈の手紙には「もう友達になれない」という文字。滲んでいる。涙を落とした痕跡。さくらは初めて気付く。「友達になれない」のではなくて、泣きながら書いたのだと。実は「友達でいたいけれどそれができない」という辛い思いを、滲んだ痕跡が伝えていたのだと。

もし、それがスマホ画面だったら? 涙の痕跡は残りません。紙に書いた手紙、残された質感、滲み具合から心情を読み解いていく。リアルにこだわった筋書き、生きることの不条理に迫る純文学をふと連想します。

荒唐無稽な設定なのに、じわじわ現実に滲み出してくるような迫力。主軸の教師役・菅田将暉さんの演技力に負うところは大きいでしょう。抑えに抑えたセリフ、冷静沈着だからこそ不気味。いったんアクションシーンになるとすごい躍動感。身体はキレていて型があって腰は据わっている。主軸の演技がしっかりしているからこそ成り立つ、摩訶不思議な世界です。

物語は全10回で「10日間の物語を描く」という構成です。映画『テルマエ・ロマエ』などを手がけた武藤将吾氏のオリジナル脚本、小室直子氏の演出が光る。いったい次の日は何が暴かれるのか。目が離せません。

●『モンローが死んだ日』

先述したドラマが「動」なら、『モンローが死んだ日』(NHK BS)は徹底した「静」です。アクションも爆発も、叫びもいじめも無いのだから。

あるのはちょっと濁ったようなコダックカラー調の色彩世界。現実にはありえないような美しい映像が、淡々と映し出されていく。ゆったりとしたテンポのセリフ、静かな時が流れている。

主人公は猫と暮らす50代の幸村鏡子(鈴木京香)。やや乱れた髪に顔色の良くない肌。うつむき加減の視線。人気女優がまっすぐに老いをしょいこんでいる。孤独を体現している。その迫力に、思わず目を奪われてしまう。

「老い」と「淋しさ」に形を与えるとしたらまさしくこうなるだろう、と感じさせるのです。その意味で、この作品もやはりフィクションの枠組みの中で本質的なテーマをえぐろうとしている、と言えるでしょう。

今や「ドラマ」はスリリングな実験場となっています。私たちが向き合うべき課題であるいじめや老い、孤独といった「社会的なテーマ」を、架空の物語の枠組みに思い切りぶち込んだ時、いったいどんな化学変化が生じるのか? 何が立ち上がってくるのか?

「ドラマでしかできないこと」がある。それを今年は存分に味わってみたいものです。

(2019年1月12日 NEWSポストセブン「菅田将暉の『3年A組』 純文学を連想させる世界観」より転載)

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