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2020年03月10日 07時00分 JST

東京大空襲から75年。焦土と化した東京を後世に伝える資料たち(画像集)

警視庁所属のカメラマンとして、GHQからネガを守り抜いた石川光陽の写真も。

太平洋戦争中に約10万人が犠牲となった東京大空襲から、3月10日で75年となる。焦土と化した東京の様子を捉えた貴重な写真から、当時を振り返る。

■東京大空襲とは

太平洋戦争中、アメリカ軍がB29による東京への空襲を始めたのは1944年11月。これらは日中に、それも軍需工場を中心に狙って行われた。しかし、1945年3月10日からは本格的な民家に対する攻撃が始まった。10日未明には町工場や住宅など、東京の下町一帯に焼夷弾を投下する空襲を敢行し、約10万人の死者を出した。

■当時の様子を写真で振り返る

AP Photo/The Center of the Tokyo Raids and War Damage
浅草・仲見世通り(1945年3月19日)
AP Photo/The Center of the Tokyo Raids and War Damage, Eugene Hoshiko
吾妻橋(1945年3月19日)
Wikimedia
亀戸天神付近
AP Photo/The Center of the Tokyo Raids and War Damage, Eugene Hoshiko
浅草・神谷バーと松屋
AP Photo/The Center of the Tokyo Raids and War Damage
亀戸(1945年3月19日)
Photo By Galerie Bilderwelt/Getty Images
空襲で家を失った住民たち

■写真守り抜いたカメラマン

東京大空襲では、警視庁所属のカメラマンだった石川光陽の写真が今も残されている。当時「軍の機密に触れる」とされ写真の撮影は禁じられていたが、石川は警視総監の命を受けて惨状を記録し続けた。戦後、GHQが石川にネガの提出を求めてきたが、石川はこれを拒否。庭に埋めて隠すことで守り抜いた。

By Koyo Ishikawa, Reiko Ishikawa (CBC documentaries) [Public domain], via Wikimedia Commons
石川光陽(By Koyo Ishikawa, Reiko Ishikawa (CBC documentaries) [Public domain], via Wikimedia Commons)
Ishikawa Koyo via Wikimedia
石川光陽撮影
Ishikawa Koyo via Wikimedia
銀座数寄屋橋交差点付近(石川光陽撮影)