成功への道を妨げようとしたのは、精神疾患そのものではなく、それに対する偏見だった

アジア系アメリカ人として暮らす女性。自身の経験から「アジア人コミュニティにおける精神疾患に関する偏見や恥、そして差別をなくしていきたい」と語った。
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Maria Stavreva via Getty Images

夜の暗闇の中、父は車でアリゾナ州の州境を越え、8時間かけて秘密の診察に私を連れて行った。自分の症状が無視できない程になっていたとき、私は16歳だった。信頼する友人の弟であり、家族の主治医である医師のオフィスに到着し、内密に医師と2人だけで話をするため、暗くなりクリニックが閉まるまで待った。

私は何カ月も前から両親に助けを求めていたが、移民である両親は、その影響に不信感を抱いていた。彼らは、精神疾患の診断を受ければ、私の履歴に永遠に傷がつき、大学進学のチャンスを失うと心配していたのだ。さらには、私の苦しみが噂になり、結婚の見込みがなくなるかもしれない、と。私の両親にとって、これは「おしまい」を意味した。だからこの診察は、秘密にしておく必要があった。

ようやく専門家と話す機会を得た私は、すべてを話した。私は深く落ち込んでいて、何週間も眠らず、映画のストーリーを自分の人生だと妄想していたこと。ラジオが私に話しかけていたことも。やっと助けてもらえたことにとても感謝した。

その後、医師は父を診察室に呼び込み、父が聞きたかった言葉を伝えた。「娘さんは問題ないですよ。ただ想像力が豊かなだけです」

その言葉は、私を打ちのめした。

「誰も問題があることを認めたがらず、その結果、助けを得ることができなかった」

高校時代の私のあだ名は、決してかわいらしいものではなかった。みんなは私がいないところで、私を「サイコ」と呼んだ。これには傷ついた。

何週間も寝ないで学校に行っては、ずっと泣いていた。成績は優秀だったが、期末テストでは解答せず落書きをしていた。授業中に親友に意味不明なことを叫んだりもした。このあだ名に傷ついたのは、それが本当だったからだ。私は精神障害的なエピソードを起こしていたのだ。

私の家庭での生活は辛いものだった。常に怯えた状態だった。私は学校のカウンセラー、教師、そして両親に助けを求めたが、成績優秀なアジア系アメリカ人のティーンエイジャーがメンタルヘルスに問題を抱えている事に対して、1990年代後半では誰もどうしていいのかわからないようだった。

両親は、深刻なうつや不安と長期にわたる不眠症に悩まされているという話よりも、勤勉で優秀な娘、というストーリーを選んだ。多くの人は、この2つが一体として共存することを信じられなかったが、その後、成績優秀者は双極性障害を発症しやすいという研究結果が出ている。当時、私はこの病気について何も知らず、周りの人も同様のようだった。

私は大袈裟で、怒りっぽく、想像が突飛だとレッテルを貼られた。自分の問題で周りに迷惑をかけないよう言われた。というのも、ほとんどの時、私は元気で、きちんと日常を送っていたからだ。成績は常にトップレベルで、多くの課外活動でも活躍し、両親が経営する小さなレストランでもひたすら働いた。私の未来は明るかった。誰も問題があることを認めたがらず、その結果、助けを得ることができなかった。

学校側は、「文化的配慮」を理由に、私の苦悩を見過ごしていた。私たち家族は韓国からアリゾナ州の郊外に移住してきた。私たちは馴染めなかったし、教師たちも、違いがありすぎてお互い理解するのは無理だと思ったようだ。学業の成功のためには、波風を立てない方がいい。

「そして妄想が始まった」

大学は、全額奨学金で受け入れてくれた。やっと自分の思うままに医療を受けられるようになったので、セラピーと治療を受けた。しかしまた、私が優秀な生徒だったので、私の問題は「不安」として片づけられた。私は必要な時に不眠症用に飲む、軽い抗不安薬を処方された。

2001年、中国に留学し、寮で他のアメリカ人学生と肩を寄せ合い、テレビで世界貿易センタービルに旅客機が衝突するのを見ていた。タワーが倒れたように、その後私の心も崩れた。汚染と冬の寒さは、故郷の太陽の降り注ぐ砂漠とは違った。私は深いうつに落ちいり、友達もおらず、寒く、自分に価値がないように感じていて、期末テストやプロジェクトもいつもより負担に感じた。

そんな時、父から電話があり、夜行列車で近くの県に行き、用事を済ませてほしいと言われた。私は、自分がそんなことができる状態ではないことを訴えた。私は世の中を恐れ、中国で残された時間の中でこの頼み事をどうこなせばいいかわからなかった。父はそれを理解できず、「やらなくちゃダメだ」と電話越しに声を荒げた。

私は自分に「やらなくちゃ」と言い聞かせたのを覚えている。そして妄想が始まり、それまでの中で最も深刻なエピソードを経験した。列車に乗るため、自分の全財産を持って大学のキャンパスを午前2時に飛び出した。無事に戻ってこられたのは奇跡だった。私は支離滅裂な言葉を発し、自分が何か壮大な異世界のパズルの一部だと思い込んでいた。

「私はついに、真剣に受け止められた」

私は寮に住んでおり、小規模のプログラムに参加していたので、精神疾患を隠すことはできなかった。私はついに、真剣に受け止められたのだ。父はすぐに次の飛行機で北京に飛び、私を連れ帰るよう言われた。私は20歳で、入院を含め、治療をやっと始めることができた。最終的に、双極性障害の診断と適切な薬物治療を受けることができたが、回復への道のりは始まったばかりだった。

どうすれば成績優秀だった私の人生を取り戻せるのかを考えると、怖かった。私の未来はとても明るかったのに。「精神疾患」というレッテルで一瞬にして消えてしまうのだろうか?大学は退学?奨学金も失う?不安定で破壊的、孤独で混乱した人生を送る運命なの?そして「誰が双極性障害の太ったアジア人女性と付き合う?」と自問した。

私は新たな薬の副作用で約14キロも太り、すでに大きめだった体格がさらに大きくなった。このままでは、仕事もお金もなく死んでしまう。

この混乱した、最悪の状況で、双極性障害とうまく共存しているロールモデルを探した。私は救命ボート見つける必要があった。誰か...双極性障害があっても、普通なバランスの取れた生活が可能だ、と証明してくれる誰かを。

そして、リジー・サイモンの「Detour:My Bipolar Road Trip in 4D」という本と出会った。興奮したが、彼女はまだ20代前半で、色々模索中だ。私が求めていたのは、移民として共感でき、有色人種として文化的違いを理解する人だ。

入院し、診断を受けてから何年もの間、家族は私に薬を飲むのをやめさせようとした。こうした苦悩は、見る限りの書籍には書かれておらず、その結果、自己肯定感や回復への探究は困難で孤独なものとなった。

MBA卒業式での筆者
MBA卒業式での筆者
MICHELLE YANG

こういった文化的偏見を自ら経験したため、メンタルヘルスサービスに助けを求めるアジア系アメリカ人の割合が白人の3分の1だという報告には驚かなかった。アジア系アメリカ人の大学生は白人の大学生に比べ、自殺願望を持ち、自殺を試みる確率が高いという。加えて、双極性障害がある人の自殺率は、一般の人の20倍だという。20倍だ。

「精神疾患も、命を脅かす可能性のある他の病気と同様に、定期的な治療とサポートが必要だ」

沈黙の中で苦しむのは、絶望的に思えた。しかし数十年後、私はトップクラスのプログラムでMBAを取得し、NPOと民間企業の両方で素晴らしいキャリアを築いた。何度も「もう諦めるしかない」と思ったが、自分を奮い立たせ、闘い続けた。

そして、11年前に愛する人と出会ったことで、私が目指していた人生のもう一面が動き出した。私が20歳だった頃には、人生がうまくいくとは信じられなかった。

何年も否定してきた両親も、最終的には私の病気の現実を受け入れるようになった。一線を引くのは簡単ではないが、私が癒やされ、成長する自分のスペースを作る必要があった。出産を控え、集中的なトークセラピーを受けている期間中の1年以上、両親と話すことができなかった。

その時初めて、大人のアメリカ人の視点で、もうすぐ母親になる人の視点で、自分の幼少期を追体験した。目に映ったものは、あまりに辛いものだった。

息子のため、そして自分のために、その痛みを乗り越えた。子供には、自分の文化や伝統を誇りに思ってもらいたかった。いつか、その繋がりを求める時が来るだろうから。私もまた、自分のルーツを必要とすることがあった。バケツいっぱいの涙を流しながら、トラウマと文化を永遠に断ち切ることを誓い、和解した。

これまでの経験から、双極性障害がある人はそれぞれ、薬や環境に対する反応が違うことを学んだ。精神疾患も、命を脅かす可能性のある他の病気と同様に、定期的な治療とサポートが必要だ。どれだけ否定しても、解決しない。

私は自分を守るため、厳しい投薬治療、睡眠スケジュールやサポートグループなど、多くの対処法を構築してきた。自分のトリガーとなるものを特定し、それを回避もしくは対応することができる。セルフケアをしっかりして、定期的にボランティアをし、思いやりと理解を提唱する。

私は自分の体験談を語り、影から踏み出すことで、特にアジア人コミュニティにおける精神疾患に関する偏見や恥、そして差別をなくしていきたい。

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ハフポストUS版の記事を、翻訳・編集しました。

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