ロンブー田村淳さん、慶應大学院生になっていた。理由は「死者との対話」を学ぶため

「人は生きる上で、色んなことを主体的に選択する権利を持っています。でも、死に方についてだけは全然違う。そこに何とかアプローチしてみたいんです」

ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんが4月から、慶應義塾大学大学院のメディアデザイン研究科で大学院生になっていたことを本人が9月5日、Twitterで明らかにした。

なぜ、大学院へ進学したのか。一体何を学び、何を実現しようとしているのか。話を聞きに行くと、いまは「死者との対話」について勉強しているのだという。

取材に応じた田村淳さん
取材に応じた田村淳さん
HuffPost Japan

田村さんが取材に応じたのは9月6日。相方の亮さんが振り込め詐欺グループの宴会に出席して金銭を受け取っていたことが数ヵ月前にわかったが、「今はまだコンビの今後などについては話せる状況ではない。時期が来たらきちんと説明したい」という。今回は、大学院で学んでいることにしぼって、話を聞いた。

え、大学に行ってなくても大学院って行けるの?

そもそも、田村さんが「大学」という存在と向き合うようになったのは2017年のことだ。青山学院大学法学部を目指して、センター試験、二次試験に向けて勉強する様子はAbemaTVの番組企画としても放送され、大きな話題を呼んだが、結果は全て不合格だった。

それでも大学に入って勉強することを諦めきれなかった田村さん。2018年4月から慶應大学の通信課程の学生として大学生活をスタートさせていたが、2019年4月、大学院に入り直していたという。

青山学院大学に落ちた後も、大学で学ぶことを諦めきれませんでした。そのため、比較的入りやすい慶應の通信課程に入学しましたが、仕事との両立が難しく、苦戦しました。単位のためのレポートは提出できても、肝心の試験を受けにいくためのスケジュール調整がなかなかうまくいかない。

2、3ヵ月経った頃から、「何か他の学び方がないか」と考え始めた時に、色々な方からアドバイスをいただき、その中の一つが大学院、という選択肢でした。

「え、大学に行ってなくても大学院っていけるの?」と半信半疑でしたが、調べてみると、大学卒業相当の経験を証明すれば、受験するチャンスがあるとのこと。

そこで知ったのが、今通っている慶應のメディアデザイン研究科(KMD)です。KMDでは、自分が実現したいプロジェクトを起点として、デザインや法律、経営、プロジェクトマネジメントなどを学べると知り、「絶対にここに行きたい」と思いました。

取材に応じた田村淳さん
取材に応じた田村淳さん
HuffPost Japan

話のプロのはずが、面接で頭が真っ白に。「結局何がやりたいの?」

KMDを受験するにあたっては、これまでの芸能の仕事や自分が手がけてきたサービスなどを「大学卒業相当」の経験としてアピールするための書類を提出しました。その後、小論文の試験と面接がありました。

面接の日のことは、今も忘れられません。全然緊張していないつもりだったのですが、部屋に入ったら慶應の教授が3人ずらっと並んでいて、雰囲気に飲まれました。質問のレベルは高いし、聞いたことのない単語が飛び出してくるしで、僕も人前でしゃべる事は自信がある方だけど…、あの時は頭が真っ白でしたね。

10分ぐらい自分で自分が何を喋っているのかわからない状態が続きました。自分の声を聞きながら、「これ全然質問の答えになってないじゃん」と焦っていました。「ああ、完全に落ちたな…」という状態でした。

最後にお情けのようにひとりの教授が、「結局君は、入ったら何をやりたいの?」と聞いてくれた時に、はっと我に返って、こう言いました。

「人は生きる上で、色んなことを主体的に選択する権利を持っています。でも、死に方についてだけは全然違う。そこに何とかアプローチしてみたいんです」

この言葉を聞いた3人の教授が、ごにょごにょと話し始めて、潮目が変わったな、とわかりました。正気になった僕は、「さっきちゃんと答えられなかった質問に遡って話したいのですが…」と話を巻き戻し、自分の言葉で思いを話しました。それは数年前から考え、取り組み続けてきたこと。死に方や弔い方について、人がもっと選択肢を持てる社会をつくりたいというビジョンです。

やっと自分の血が戻ってきた感じでしたね。

「やりたいサービスはわかった。そのサービスはとても興味深い。やればいいよ。ただし、受かればね。でも、ちゃんと来れるのか?」と最後に聞かれた僕は、「毎日来ます」と答えました。

入学式での記念写真
入学式での記念写真
本人提供

45歳、生まれて初めてパソコンを持ち歩く生活。

面接で「通います宣言」をした田村さん。言葉通り4月から8月頭まで週5日、大学院に行く生活を続けた。授業では、デザインや、法律、経営などの基礎を60人程度のクラスで学ぶ。

学校に行くと毎日色々な学びがあって、とにかく楽しいです。

課題もすごく多いんですが、移動中にパソコンをカタカタ打って何とか取り組んでいます。45歳になって始めてパソコンを持ち歩くようになりました(笑)。

課題は毎日色々ですが、課題を通して世の中の見え方がそれまでとガラッと変わるのが面白いです。例えば「同業種の2社を選んで、そのブランドを比較しなさい」という課題が出た時に、僕はクロネコヤマトと佐川急便について調べました。それぞれの広報担当者に連絡してロゴのガイドラインをもらってみると、その対応だけでも2社で全然違う。会社のポリシーやブランド戦略を見ていると、狙っている層の違いが浮かび上がってきて、街でトラックを見たときの感じ方も変わりました。

若い子たちと同じフィールドで学ぶことについて、最初は気恥ずかしさもありましたが、入学する時に「年齢を言い訳にしない」ということだけは決めました。「おじさんだから、そういうのは苦手、わからない」というのは一切なし。みんなと一緒になって、プログラミング言語の「Python(パイソン)」も必死に勉強していますし、授業が終われば我先にと、先生を捕まえて質問ぜめにしています。

何もしなければ何もしないまま終わっていく。先生は自分なりの「問い」を持った学生にだけ応じてくれる。恥を捨てて必死になって、食らいつこうとしています。

授業での様子
授業での様子
本人提供

僕の中では、慶應の通信課程を途中でリタイアしたというのもすごく大きいんですよね。本当は辞めずに両立したかったですが、仕組み上、両方に所属することができなくて…。一度リタイアしているから、そのぶん今回は頑張りたい。

週5で学校に通うことは、吉本やレギュラー番組の関係者にはかなりの迷惑をかけました。それでも、「毎日学校に行かなきゃいけないのは前期の終わりまでだから、何とかそこまで堪えて欲しい。一生に一度なので、やらせてください」とお願いして回りました。

で、結局何がやりたいの?

青学受験に続く、慶應の通信、そして大学院受験。もしかすると周囲からは「大学に行く」ことが目的化しているように見えていたかもしれません。でも、僕が「何を」勉強したいかという点については、青学を受験する前からずっと変わっていないんです。それは、人の“死に方”にもっと多様性を提案すること。具体的には「itakoto(イタコト)」という遺書の動画サービスをつくることです。死者の霊を呼び寄せ、その意思を語るといわれている「いたこ」にちなんで名付けました。

「延命治療はやめてね」とか、「こんな弔われ方をしたい」など、元気なうちに家族に対して、自分の死に方にまつわるメッセージを残せたらいいのに。働き方や生き方には多様性が増えてきたのに、なぜ“死に方”の多様性は広がらないのか。そんな思いから、ずっと作りたいと思ってきたサービスです。

実は2017年の夏に、「itakoto」を作るためにクラウドファンディングのプロジェクトも実施したのですが、当時は、サービスをデザインすることも、尊厳死や安楽死にまつわる法律の知識も、何もかもが中途半端で、真摯に「死」に向き合っていたとはいえない状態だったかもしれません。結果として、僕の言いたいことをきちんと伝えきることもできず、お金もきちんと集まりませんでした。今度こそしかるべき勉強をちゃんとして、これをしっかり世に出していきたいと思っています。

授業での様子
授業での様子
本人提供

タブー視されている「死」とどう向き合うか。

KMDでは、それぞれの学生がプロジェクトを企画・進行し、サービスや製品として世の中にローンチしてはじめて「修了」することができる。机上の空論で終わらせず、アイデアを具現化するための資金調達なども求められる。死者からの動画メッセージサービス「itakoto」は、人々の共感を得られるのか。

夏休みに入ってからは、これまで随分とスケジュール調整をしてもらっていた仕事がたくさん入ってきてかなり忙しくしていますが、このあと残りの休みを使って、おじいちゃんおばあちゃんのヒアリングをしようと思っています。「そもそも100年生きたいですか?」「自分の葬儀をどうしたいか、娘さんや息子さんに話していますか?」など、リアルな声を聞いてみたいですね。

そんなに数は多くないですが、僕がこれまでおじいちゃんおばあちゃんたちに話を聞いてきた感じだと、大半が“死に方”に関する意向を家族に伝えていないんですね。「長生きすればするほどよい」という常識みたいなものがあって、それ以上の会話は、実はなされていない。

「死」とか「葬い」ってタブー視されすぎていて、身近な人同士でも全然語られていません。最近だとお葬式も多少個性的なスタイルが出てきていますが、もっとそれを当たり前にしたい。

「私は死んだらね、こんな風にして欲しいのよ〜」という会話を、もっとポップというか、カジュアルな感じで始められたらいいなぁと思いますし、遺書だって何度も書いてみたらいいですよね。

僕も娘に遺書を書いてみたことがあるのでわかるのですが、一回で“いい遺書”なんて書けません。全然思いがまとまらなくて…。「こんなに長く書いたら、娘は、ぽかん? となりそうだな」と、何度も書き直すうちに、最初は生き方のノウハウを伝えるメッセージだったのが、どんどん祈りに近づいていくんですね。とにかく健康でいてくれればいい、と。こうしたプロセスが、逝く方にも残される方にも大事な気がするし、「itakoto」は、両者に寄り添うサービスにしたいです。

取材に応じた田村淳さん
取材に応じた田村淳さん
HuffPost Japan

「軸がブレブレ」と言われても上等。常に動き続ける姿を見せたい。

例えば、今僕は45歳で、娘が45歳になった時に“発射”される動画を残しておけたら、面白くないですか? 同世代として娘にかけてあげたい言葉って、いわゆる遺言ともちょっと違っているものです。

こうして“時限装置”として自分のメッセージを残しておくと、逝く人もひとつ、気持ちが楽になるような気がするんです。「娘が30歳になったらあの仕掛けがあるな」「孫が成人したらあの仕掛けがあるな」…、少なくとも僕は、逝くときの安心感が増すと思います。

語弊があるかもしれませんが、「死者との対話」ってすごく面白いテーマです。KMDにハムスターを飼っている女性の先輩がいて、いつも棒を使ってハムスターに餌をあげているんですね。ハムスターが棒の先をカリカリ噛みながら餌を食べるんですが、その振動を彼女は録っていて、ハムスターが死んだら、その振動が記録されたその棒と、ハムスターの映像とを組み合わせた装置を作るんだそうです。

すごい(生きた証の)残し方だな、と感服しました。僕には全くない発想。文章じゃなくても、もっと感覚的なものを残せるんですよね。僕の「itakoto」も今の構想段階では動画メッセージサービスですが、今後の研究の中でもっと全然違うものになるかもしれません。

当然、技術的なことだけではなく、法律や医療、倫理など学ばなくてはならないことはたくさんあります。弁護士さんや、介護従事者など、仲間を増やしつつ、ともに学びながらプロジェクトを動かしていくのが、本当に楽しくて仕方ないです。

芸能の仕事をやって、音楽活動もやって、大学院にも通って。僕のことを、「軸がブレブレ」と批判する人もたくさんいるでしょうね。一つのことを極めている人が賞賛される文化があるのも事実ですが、僕はそうではない。

やりたいことをやっていたら、それを見た誰かが「こんなのもあるよ」と声をかけてくれて、次のやりたいことが見つかる。ゴールを決めて一直線に目指すのではなく、移りゆくゴールを追いかけ、常にやりたいことをやり続ける、というのが僕の生き方。

こういう僕の姿を通じて、誰かにとって「そんな生き方もあるんだ」の一例になれたら、嬉しいですね。

注目記事