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2019年11月12日 16時07分 JST | 更新 2019年11月12日 16時10分 JST

「国民祭典」の会場アナウンスで万歳三唱を計15回。運営側は「予定通りです」

広報担当者「会場から両陛下の姿が見えなくなるまで行うということで、回数自体は決まっていません」

時事通信社
天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」で天皇、皇后両陛下に万歳三唱する集まった人たち=9日、東京都千代田区[代表撮影]

天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」が11月9日に皇居前広場で開かれたが、終了間際に会場アナウンスで万歳三唱が15回、繰り返されたことがネット上で話題になっている。ハフポスト日本版は、その真意について運営スタッフに取材した。

 

■伊吹氏の後に計15回の万歳三唱

主催者発表によると、招待客を含めた約3万人が皇居前広場に集まった。人々は提灯を持ち、日の丸の小旗を振るなどして祝福した。

男性アイドルグループ「嵐」が奉祝曲「Ray of Water」を歌いあげるなど式は順調に進み、「天皇陛下のお言葉」の後、奉祝国会議員連盟の伊吹文明会長が次のように挨拶した。

「第126代天皇陛下の御即位を謹んでお祝い申し上げます。天皇皇后両陛下のご健康と皇室の弥栄(いやさか)を祈念し、世界の平和と日本国の限りなき発展を願い、参加者一同、謹んで万歳を三唱いたします」

こうして伊吹会長が「天皇陛下万歳、万歳、万歳」と、万歳三唱。会場の人々も応じた。

司会の谷原章介さんが「ありがとうございました。聖寿万歳を伊吹文明・奉祝国会議員連盟から申し上げました」と引き取った。

その後、伊吹氏とは別人のよく通る男性の声が会場に響いた。

「天皇陛下万歳、万歳、万歳」

「天皇陛下万歳、万歳、万歳」

「皇后陛下万歳、万歳、万歳」

「天皇皇后両陛下、万歳、万歳、万歳」

この後、谷原さんが「天皇皇后両陛下ご退出です」とアナウンス。皇居・正門の石橋に立って祝意に応えられていた両陛下が退出するのに合わせ、オーケストラの演奏が始まった。

その上にかぶせる形で、再び先ほどの声で「天皇陛下万歳」「天皇皇后両陛下、万歳」といった万歳三唱が計11回アナウンスされた。

最初の伊吹氏の声を除いても、万歳三唱は計15回アナウンスされたことになる。

式典はTVやインターネットで中継された。このシーンをめぐって「伊吹氏の後に声を挙げたのは誰?」と不思議がる声や、「戦時中にタイムスリップしたみたい」と批判的な声が挙がった。その一方で「感動的な光景だった」と評価する声もあるなど賛否両論になっている。

国民祭典の主催者の一つは、経団連や日本商工会議所など民間団体でつくる「天皇陛下御即位奉祝委員会」だ。ハフポスト日本版は、会場の声は誰によるものか。回数はどのように決まったのかを委員会の広報担当者に聞いた。以下は、その一問一答だ。

 

■広報担当者「以前も同様の形で万歳三唱しておりました」

 

― 伊吹氏の後に万歳三唱をアナウンスしたのは誰ですか?

「奉祝委員会の男性スタッフです。裏方ですので、特に名前などは公表していません」

―伊吹氏のあとの万歳三唱は予定されていたものですか?

「当初からの予定通りです。何かトラブルがあったということはありません。伊吹氏が最初にやった後、天皇皇后両陛下が石橋から移動されて会場から見えなくなるまでスタッフが肉声で万歳三唱のアナウンスをしました。音声テープではありません。国民祭典は平成10年、平成20年にも実施しており今回で3回目ですが、以前も同様の形で万歳三唱しておりました」

―計15回というのも予定していたのですか?

「会場から両陛下の姿が見えなくなるまで行うということで、回数自体は決まっていません」

 

■万歳三唱の由来とは?

今回のように天皇陛下に関わるイベントや、国会の解散時に行われる万歳三唱はどのように生まれたのだろうか。

日本大百科全書によると、「万歳」はかつてバンセイという読みが一般的だった。長い年月を意味する「1万年」の年月を意味し、いつまでも生き、栄えることをいう。 

中国で皇帝を称える言葉だったが、日本でも天皇陛下の長寿と繁栄を祈る言葉として使われるようになった。平安時代に桓武天皇が雨乞いに成功したとき、群臣たちが「万歳」と唱えたという記録が残っている

現在のようにバンザイの発音で三唱するようになったのは明治時代からだ。水崎雄文さんの「校旗の誕生」(青弓社)によると、きっかけは大日本帝国憲法が発布された1889年2月11日のことだったという。

この日、青山観兵場に向かう明治天皇を宮城正面で帝国大学の教職員や学生が迎えた。その際、おじぎをするだけでは物足りないので、二重橋前で歓呼の声を挙げることになった。経済学部の和田垣謙三教授の「万歳、万歳、万々歳」と三唱する案が採用された。

ただし、実際には最初の万歳で明治天皇の馬が驚いて、棒立ちとなってしまった。このため、2度目の「万歳」は小声になり、3番目の「万々歳」は発せられなかったという。

水崎さんは、もしこのとき馬が驚いていなければ、万歳三唱の最後は「万々歳」が定着していた可能性があると指摘している。