イジメ続けられたゲイのラッパー。今、「音楽を通して声をあげたい」

「ゲイであることを誇りに思いたい。だって18年間、抑圧されてきたんだから」
Amy Westerway for HuffPost Australia

ジェームス・エマニュエルさんは、今でもあの時の気持ちを思い出す。

オーストラリア・シドニーで開催されるLGBTQIの祭典「シドニー・ゲイ・アンド・レズビアン・マルディグラ」に、2017年に初めて参加した時の気持ちだ。緊張で「震え上がった」という。

ゲイでラッパーのエマニュエルさん。ケニア出身の母とスリランカ出身でタミル人の父を持つバイレイシャルの若者でもある。

当時、ニューサウスウェールズ州オレンジから、シドニーの近くにあるブルーマウンテンズの街に引っ越してきたばかりだった。

小さな地方で経験してきたホモフォビア(同性愛に対する嫌悪や差別)への恐怖は、都会の街に越してきてもまだ続いていた。

「生まれ育った場所とのつながりは、そう簡単に消えるものではありません。だからシドニーに越してきて最初の年のマルディグラには、行くことができなかった。純粋に、参加するのが怖かったんです」と、現在21歳になったエマニュエルさんは振り返る。

小さな街でイジメを受け続けた

それから3年。エマニュエルは2020年のマルディグラでステージに立つ。

エマニュエルさんが出演するのフェアデーイベントは、オーストラリアのミュージックシーンを作り変えようとしている、将来有望なクィアのパフォーマーたちに光を当てる。

エマニュエルさんは、ファンの間ではJamarzOnMarzという名前で知られる。

エネルギーと自信にあふれ、セルフィー好きで知られるミュージシャンだ。

しかし、有色人種そしてクィアの子どもとして、地方の小さな街で受けたトラウマはまだ続いている。エマニュエルさんにとって幼い頃の思い出は、甘くそして苦いものだ。

サクソフォーンを演奏していたことや母からスワヒリ語を学んだことは温かな思い出として蘇る。

その一方で、いじめられた記憶を語る時には目に悲しみの色が浮かぶ。

「学校で人気者になったことは一度もありませんでした。高校の最初の頃は、最悪でした。小学校がつらかったから高校に行くのもいやでした」

ダンスが好きで、柔らかな声色を持つエマニュエルさん。5歳で両親が離婚してから性格に繊細さが増した。そんなエマニュエルさんを、小学校のクラスメートは「女っぽい」とからかった。

中学校の最初の2年は、地元のカトリックスクールに通ったが、その時は「身体的なイジメにも、言葉によるイジメにもあった」と振り返る。

「女の子のグループと仲が良かったのですが、たくさんの人たちがそばを通り過ぎる時に『ホモ』と言ってきました」

8年生(日本の中学2年生)で、エマニュエルさんはJamarzOnMarzと言う名前で音楽を作り、YouTubeで発信するようになった。

自分のクリエイティビティーを使って自己表現がしたかった。しかしいじめはネット上でも続いた。

「いじめていた人たちは、僕のFacebookページを作って、そこに『ジェームス・エマニュエルはゲイだ』といったことを書き込みました」

「一度、クラブで殴られたのを覚えています。つかまれて殴られ、『クサレゲイ野郎』と言われました」

Amy Westerway for HuffPost Australia

精神的に追い詰められたエマニュエルさんは、メンタルヘルスの問題を抱えるようになった。9年生の時に、学校を変えたいと親に懇願した。

「私立の学校では喧嘩はありませんでした。しかしもっと巧妙な精神的いじめや感情的いじめを受けました。最終的に(不安障害で)カウンセリングを受けました。感情がコントロールできなくなっていました」

カウンセラーには、自分がゲイだとは伝えなかった。だけどおそらく「気づいていただろう」とエマニュエルさんは言う。

幼少期から10代にかけての時期を振り返り、もっと進歩的な都会で育っていたら、あんなイジメや差別は受けなかっただろうか、とエマニュエルさんは考える。

「学校だけではありません、どこに行っても差別されました。街じゅう、どこでもです。田舎の街は人間関係が狭い。ここみたいな都会とは違うんです」

都会で知った多様性「クィアであることが許されていた」

2016年に高校最後の試験を受けた後、エマニュエルさんはブルーマウンテンズで父親と一緒に住み始めた。そこで初めて都会を経験した。都会では「クィアであることがもっと許されていた」とエマニュエルさんは話す。

シドニー工科大学に通いながら働いていたスーパーマーケットで、同僚にゲイであることをそれとなく伝えることを決意。カミングアウトへの周りからの反応は、温かいものだった。

「みんなが受け入れてくれました。ホモフォビアなのかなと思っていた人たちでさえ、親切にしてくれました」とエマニュエルさんは振り返る。

両親から受け継いでいる、南アジアとケニアのバックグラウンドにも自信を持てるようになった。

オレンジの街ではどの学校でも、エマニュエルさんの自然なアフロヘアが禁止されていた。しかし新しい世界にはもっと多様性が存在していた。

「ブルーマウンテンズからシドニーの中心街に来るとき、西側の郊外を通ります。ある日、気がついたんです。電車を見回したら、全員がアジア人か南アジア人だった。そしてハッと気がついたんです。子どもの時、自分の周りに多様性がなかったと」

Amy Westerway for HuffPost Australia

音楽を通して、会話をスタートさせたい

音楽が、新しい自由の形として、エマニュエルさんの人生に戻ってきた。19歳の時に「Amnesia」という曲で、社会に向けてカミングアウトした。

「『この曲はデートにインスパイアされた。独占したがる男、誰かの体に対して権利があると思っている男にね』って説明したんです。曲をすごく好意的に受け取ってくれた人もいました」とエマニュエルさんは説明する。

それでも、ネット上のホモフォビアは消えていない。「インスタに『この曲好きだけれど、ゲイはサポートできない。ゲイの歌ってる曲は聞けない』とコメントされたこともあります」

しかし前より、批判をうまく受け流すようになった。そして、自身のセクシュアリティを歌にできるようになった。

今でもまだ、自分のアイデンティティと完全に折り合いがつけられなかったり、パートナーと外で手をつなぐのを怖いと感じたりするときもある。

それでも、音楽はエマニュエルさんの心に穏やかにしてくれる。そしてエマニュエルさんの音楽は、カミングアウトしようとする若者たちを勇気付けている。

「音楽を通じて会話をスタートさせたい」と話すエマニュエルさん。ファンの多くが、彼の音楽は会話をスタートさせている、と言うだろう。

それでもエマニュエルさんは、ラッパーとして成長や、変化をもたらすための行動は始まったばかりだと話す。

「今はまだ、自分のことに集中してます。自分で曲を作って、自分のお金で活動している。だけどいつか、次のレベルにステップアップした時に、自分がなるべきだと思う自分になりたいと思っています」

「自分が子どもの時にロールモデルがいなかった。有色人種のゲイを知らなかった。だから音楽を通してそしてソーシャルメディアを通して、自分は挑戦したい、声をあげたい、そしてゲイであることを誇りに思いたい。だって18年間、抑圧されてきたんだから」

Amy Westerway for HuffPost Australia

ハフポスト・オーストラリア版の記事を翻訳しました。(翻訳:安田 聡子

2020年、世界的に流行した新型コロナウイルスは、LGBTQコミュニティにも大きな影響を与えています。「東京レインボープライド」を始めとした各地のパレードはキャンセルや延期になり、仲間たちと会いに行っていた店も今や集まることができなくなりました。しかし、当事者やアライの発信は止まりません。場所はオンラインに移り、ライブ配信や新しい出会いが起きています。

「私たちはここにいる」――その声が消えることはありません。たとえ「いつもの場所」が無くなっても、SNSやビデオチャットでつながりあい、画面の向こうにいる相手に思いを馳せるはずです。私たちは、オンライン空間が虹色に染まるのを目にするでしょう。

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